大統領は結婚式の日にブスと言われた。

ちわみろく

第1話

 朝から見事な晴天で、今日の慶き日を天までもが祝ってくれているかのようだった。

 海の見える教会の窓辺からは清々しい朝日が見える。波にキラキラと輝く陽光が徹夜明けの目に眩しい。

 シルビアはよく細いと言われる目を指先で擦る。びっちりと塗っていたマスカラがポロポロと落ちた。安物だから、落ちるのも早い。

 手元にあるハンドバッグを開いてメイク用のコンパクトで鏡を見れば、クマのできたヒドイご面相の女が不貞腐れた表情でこちらを見ていた。充血した瞳もいつものような明るい緑色とは程遠く、肌艶も悪い。昨夜から着たきりスズメの空色のワンピースはよれよれだ。  

 あと三時間もすればこの教会の鐘が鳴って、国をあげての大きな結婚式が始まる。

 もう一度化粧をし直さなくては、とごちるシルビアはその結婚式の主役である新婦であった。

 そして、結婚式と同日に、大統領の任命式も行われる。その任命式でも主役である。就任する本人だからだ。

 茶色のくせ毛をまとめた髪形は徹夜仕事のせいで乱れていた。化粧も崩れかかった彼女は、ひどく疲れて見える。

 だが、まだ休むわけには行かない。

 本来ならばシルビアはこんなところにいるはずのない人間だった。大統領に就任するべきなのは彼女の父親であり、今日結婚式を国民の前で行うのは、父親のディーターのはずだったのだ。身内として式に列席することはあっても、主役になるわけもなかった。

 そう思うと、わけもなく苛立ち、八つ当たりしたくなる。

 海の向こうで恋人とバカンスを楽しんでいるはずの父親だと思って、足元の靴を思い切り踏んづけた。こ汚くなった水色のパンプスがぺちゃりと潰れる。

「くっそぉ、なんだってあたしがこんなことに。」

 言っても仕方のない事だとわかっている。

 わかっているけれど、言わずにはいられないのだ。

 カツカツと速足の足音が聞こえて、秘書であるエルンストが教会の中へ入ってきたことに気付く。

「シルビア、まだこんなところにいたのですか。もう着替えて準備しないと。」

 口うるさい秘書の彼が、急き立てるように言う。いつもの黒スーツ姿だが、ネクタイの色が白だ。彼も式に列席するから、礼服でなくてはならない。

「いやだぁ・・・、行きたくない。結婚したくないよぉ。エル、代わりにしてきて。」

 言っても仕方ない事だとわかっているけれど、言わずにいられないたわ言だ。それを聞いているほど秘書は暇ではなかった。

「ハイハイ、まずシャワーを浴びて下さいねー。その後式場のスタイリストが待ってますから衣装とメイクをしてですね。その合間に陳情書の内容を音読しますから、聞いて判断を仰ぎます。」

「百歩譲って大統領まではいい。引き受けないでもない。親父の責任は、娘がとって然るべきだと思う。でもさ、結婚はしなくてもよくないか?なぁ、なんであたし結婚せにゃならんの?5つも年下のお坊ちゃま王子様と。向こうだって絶対嫌だと思うよ?会った事も無い32のオバハンなんかとさぁ~。」

「そんなことは問題じゃありません。王室と大統領が婚姻を結ぶという事に意味があるんじゃないですか。何度も説明したでしょう。」

「親父が後家さんと結婚したじゃんか~、なんであれじゃ駄目なんだよ。」

「駆け落ちして他国へ亡命されては意味がないって、これも何度も説明しました。」

 何度説明されても納得いかないものは行かないのだ。

 なんでこんなことになったのだろう。シルビアはもともと平凡な工場の事務員だった。ブラックであることは否めないけれど、それでも工員たちと協力して閉鎖寸前まで追い込まれた工場をどうにか持ち直し、どうにか赤字を免れ黒字にすることころまでどうにか持っていった。何年か前には見事に再生した工場の奇跡を見たいと、学生の見学者が何人も訪れたのだ。工場の持ち主は父親であるディーター・エンダースだったが、政治活動にせいを出すうちに本業がおろそかになったといういい例だろう。彼の長女であるシルビアが、必死で工場を立て直したのは、そうせざるを得なかったのだ。生活のために。



 母方の従兄弟だと言う秘書に、半ば引き摺られるように教会から出ると、庭先には黒塗りの高級車が止まっていた。

 それを見てエルンストもシルビアも目を丸くする。彼らの用意したものではないからだ。

 大きなドアが開いて、助手席から黒服のいかつい男が顔を出し、後部座席のドアを開けた。ガードマンかなんかだろう、周囲を警戒している。

 勿論、シルビアにはガードマンなどつかない。ついたことなどない。だって必要ないし、そんなお金も無いからだ。なんとも寂しい大統領である。

 見慣れない訪問者にシルビアの顔が強張る。エルンストは庇うようにシルビアの前へ出た。

 後部座席から、グレーのスーツを着た若い男が降りてきて二人の方を見る。

 艶のある黒い髪が、朝陽を反射して銀色に見えた。その顔を見て、エルンストが、あっと声を上げる。秘書に連鎖したように、シルビアもまた目を瞠って口をぽかんと開いた。

 車を降りて、教会の庭先の芝を踏みしめて近寄ってきた若い男に見覚えがあるからだ。

 カイ・サッシャ・シャッフェンベルク王子。

 今日のもう一人の主役だ。シルビアの結婚相手である。

 呆然と王子の登場を見つめているシルビアとエルンストに近づき、やがて、その足を止める。

「シルビア・エンダース?」

 確認するように問う声は、彼を追ってきたガードマンにも聞こえるほどはっきりとしていた。

「そ、そうだけど。」

 慌ててシルビアは応じる。

 婚礼の時間にはまだ早い。式の直前まで、新郎新婦は会わないしきたりだ。どうして彼がここに現れたのかまったくわからなかった。

 メディアで目にするままの、端正な横顔。整った顔立ちは王家ゆえなのか、美貌の母親譲りなのか。イケメン王子として騒がれる彼の顔は国中で知られている。

 シルビアからすれば、けっと思うだけの若造だが、そのイケメンぶりにはさすがに見惚れた。

 しかし、王子として育てられ労働一つ知らないようなキラキラしい美貌から慌てて目を逸らす。特にこの若い王子殿下は、レアメタル産業で王室が私腹を肥やし始めてから産まれた年代なのだから、さぞかし贅沢に大切に育てられているはずだ。

 一方シルビアの方は一介の町工場の事務員だ。父親は政治家で革命家と言っても、元は小さな町工場を起こした、ただの一労働者に過ぎない。

 シルビア・エンダースは子沢山な家庭の長女として5人の弟妹の面倒を見ながら学校へ通い家事をして働いてきた。王子殿下から見ればさぞかしみすぼらしく思えることだろう。

 金色の瞳を細めて、大きく息をついた王子様は立ち止まったまま呟いた。

「・・・調書の写真よりブスじゃん。式にはもうちょっとマシになって来てよね。」

 呆れたような口調でそう言うと踵を返す。

 カイ王子は、シルビアと初対面だと言うのに、とんでもなく失礼なことを言い放った。

 怒り心頭に発したシルビアには一瞥もくれず、そのまま黒塗りの車に戻る。ガードマンがドアを閉め、やがて呆然としたままの二人を置いて黒塗りの車は走り去った。

「なっ・・・なっ・・・、なんなの、あいつ!!」

 地団太を踏んで目の前の秘書に当たり散らすが、怒りはおさまらない。

 困った顔でシルビアを宥めるエルンストは、時間に遅れるからと強引に彼女を式場へ引っ張っていく。

 心の中でどうして王子がここへ来たのだろうと、疑問に思いながら。




 



















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