ムジナノハナシ

@aikawa_kennosuke

ムジナノハナシ

私、長野県の長野市出身なんです。




市内の端っこの方に実家があったのですが、家の周りは山や田畑が多く、自然に囲まれて育ちました。




実家からバスで30分ほどのところにある長野駅周辺は栄えているので、学生時代の休日は駅前によく遊びに行っていました。




のどかな田舎臭さと、都会っぽさの両方が近くにある地域だったので、非常に暮らしやすい環境でした。


内陸の県なので海もないですし、有名な観光地も少ないのですが、暮らしやすさに惹かれて県外から移住してくる人もいました。




特徴のない県のように思われがちですが、今も実家に帰るときはその独特な空気感を感じて、それなりにノスタルジーに浸れます。








そんな懐かしの故郷で、私が体験したある話をしようと思います。




長野市には善光寺というお寺があります。


かなり大きな寺で、敷地も広く、観光に来てその大きさに驚いている人を多く見ます。


本堂の真っ暗な地下を歩く、“お戒壇めぐり”も有名で、地元の数少ない観光スポットなんです。




で、その寺の近くの道端に“むじな地蔵”という地蔵があるんですね。




たしか、むじなが人に化けて善光寺に忍び込んだという伝説があって、その伝説に因んで造られた地蔵と聞きました。




そのむじな地蔵が象徴的なんですが、地元には“むじな”に関する逸話が多くあったんです。


実家の近くにもむじな郷路山という山があるくらいで、日常的に“むじな”という言葉を聞いていました。




祖父母や両親からはよく、


「夜遅くまで遊んでいると、むじなが化けてでるぞ。」


とおどされました。




そのため、幼い頃は“むじな”という恐ろしいものが山の中にはいるのだ、となんとなく思いながら生活していました。






あれは、小学2,3年生のころだったと思います。




その日は祖父母の田植えの手伝いをしていました。


まだ梅雨の時期でしたが、夏の蒸し暑さが顔を覗き始めていて、作業をしているとじんわりと汗をかきました。




午前中の作業が終わって、一度祖父母の家に戻り昼食をとりました。




午前中に大方の仕事は片付いたのか、祖父母は昼を食べ終わってもゆっくりとしていたので、暇になった私は裏山へ散歩に行くことにしたんです。




裏山と行っても険しい獣道になっているわけではなく、しっかりと舗装された道が通っていました。


その道路は山から流れてくる小川に沿って作られていて、サラサラと流れていく川の音を聞きながら散歩をすることができました。


幼心ながら、心が洗われるような気がしたのを覚えています。




裏山には以前にも一人で来たことがあったのですが、心細かったため5分も行かない間に引き返して、裏山の入口付近の河原で遊んでいました。




しかしその日はできるだけ奥まで進んでやろうと思っていました。




冒険しているような感覚で心が沸き立ちましたし、きれいな空気を感じながら自然の中を進んでいく爽快感にも浸っていました。








以前に引き返した辺りを過ぎても構わず進み続けました。




道は蛇行していてカーブが多いため、道の先が見え辛く、なかなか進んでいるように感じることはできませんでした。




しかしほとんど一本道で、迷う心配はありませんでした。




サラサラと流れる川の音、風で擦れる草木の音を聞きながら歩いていきました。








30分ほど歩いたでしょうか。




草木に隠れて景色があまり見えないからか、同じ道を何度も通っているような気がしてきたんですね。




道を曲がると、しばらくまっすぐ道があって、カーブが現れる。曲がるとまたまっすぐの道で、またカーブが。


そんな調子で繰り返しているため、自分が本当に進めているのか不安になってくるわけです。




前回以上の心細さを感じました。




次いで、これ以上進めば戻れなくなってしまうのではないかという不安と恐怖を感じました。






引き返そう。






そう思って急いでもと来た道を下りていきました。






しかし、帰りもまた、全然進んでいる気がしないんです。


道を曲がっても曲がっても見えてくるのは同じ道。




まるで自分が山に飲み込まれているような、そんな感覚でした。




恐ろしくなった私は、思わず立ち止まりました。


なぜだか全身に鳥肌がたって、足がすくんで動けなくなったんです。




その時、周囲の木々のざわめきが大きくなったように思いました。




そして、ザーっという草木が搖れる音に混じって、変な音が聞こえました。






シシシシシシシ






という、人の笑い声のように聞こえました。




恐怖が生み出した幻聴かもしれませんが、その時の私には草木の音とは明らかに異質な音に聞こえたんです。




冷や汗がシャツの下をスーっと流れていきました。






そして突然、






「ねえ。」






と後ろから声をかけられたんです。




心臓が止まるかと思いましたよ。




驚いた私は声にならない叫び声をあげました。


そして、前方に飛び退きながら後ろを振り返ったんです。






そこには自分と同じくらいの背丈の少年が立っていました。




「大丈夫?」




と心配そうな顔で近づいてきます。




その少年の表情を見た途端、恐怖一色だった感情に、安堵が芽生えてきました。




多分、同じ年代の仲間意識のようなもので、安心感を得たのだと思います。




「迷子?」




と少年は聞いてきました。




私は途端にびくびくしていたことが恥ずかしく感じられ、強がって


「ううん。ただ散歩してるだけだよ。」


と答えました。




その少年はにっこりと笑って、




「じゃあ一緒に遊ぼうよ。」




と言いました。




心細さが解消された私は嬉しくなって、すぐさま少年に向かって頷きました。






少年は、


「じゃあ秘密基地に連れてってあげる。」


というようなことを言って、山の奥に進み始めました。




私は喜んでついて行こうとしました。


しかし、立ち止まりました。




何かが、おかしい。


そう思ったんです。




少年は半袖シャツと短パンを着ていましたが、かなり汚れているように見えました。


足は裸足で、道路の上を歩いてるんです。




そして何より、少年からは変な臭いがしたんです。


祖父母が飼っていた犬のような臭いでした。


いわゆる獣臭というのでしょうか。




私はその時、むじなの話を思い出していました。




むじなは人間の姿に化けると言います。




もしかすると、目の前にいる彼は…。






そう思い始めると、また背中に冷たいものが流れました。






「やっぱり、帰るよ。」




吃りながら私がそう言うと、少年が振り返りました。




「なんで? 近くだからすぐに着くよ。」




「けど、早く帰らないとおばあちゃんたちに叱られるんだ。」




私はできるだけ申し訳無さそうに少年の誘いを断りました。




少年はしばらく考え込むようにした後、こう言いました。




「そっか、それならしょうがない。けどせっかく会えたんだし、君にこれをあげるよ。」




そして、私に向かって手を差し出しました。


少年は私に何かをくれるようです。




私はなんだろうと思って近づきました。




しかし、近づいて少年の手を見ても、何も持っていないんです。




どういうことだろうと思って、少年の顔を見ました。






少年は笑っていました。




頬を釣り上げて、にんまりと。






そして、ものすごい勢いで、私に飛びかかって来たんです。




いきなり少年に抱きつかれたような格好になって、何が起こったか分からずにいると、右肩に激痛が走りました。




右肩を噛まれている。




私は思わず叫びました。


何を叫んだか覚えていませんが、「痛い」とか「やめて」、そんなことを叫んだんでしょう。




少年はすごい力で私の体を掴んできましたが、なんとか振り払うことができました。




そして、また叫びながら一目散にもと来た道を駆けました。




一度も後ろは振り返りませんでした。 




目をらんらんと光らせ、口を大きく開けて、化け物のように声をあげながら、あの少年が追いかけてきているように思いました。




あの少年が追ってきていることを想像すると、体を前進させる手足に力が入り、喉が枯れるほど叫び声が出ました。








どのくらい走ったか分かりません。


気づくと裏山の出口に差し掛かっていました。




私はそのまま祖父母の家まで全速力で走りました。




玄関を開けた私の姿を見た祖母は、卒倒しそうなくらい驚いていました。




私は道中まったく気が付きませんでしたが、噛まれた右肩の出血が酷く、来ていたシャツの右側が真っ赤になるほど血が流れていたんです。




私は、そのまま近くの病院に連れて行かれました。






傷はそれほど深くはなかったようで、傷口を縫い、輸血を受けて1日だけ入院しました。




もちろん何があったのか訊かれました。




私は断固として、




「子どもに化けたむじなに噛まれた。」




と主張し続けましたが、誰もまともにとりあってくれませんでした。




警察の取り調べもありましたが、近くの山に猿もいるので、野生の猿に襲われたのではないかということに落ち着きました。






ただ、私の肩の傷は、猿のそれではなく、もっと鋭い歯をもった生き物でないとつかないのではないかと、診察した医者が首を傾げていました。










成人した今でも、あの時の肩の傷跡が残っています。




今となっては、あの体験が本当にあったのか、自分が勝手に記憶を脚色しているだけなのか、自分でもはっきりとは分かりません。




ただ、地元に帰って、善光寺のむじな地蔵の前を通る度にこの体験を思い出すんです。




そして、むじな地蔵の無機質な顔が、笑っているように思えるんです。




そして、あの時の少年の、にんまりとした恐ろしい表情と重なるんです。


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