第15話 今だけは全てを忘れて
本校舎の裏手側にある下り階段は、地下牢へと続く。名前こそ懲罰房と呼ばれているが、実態はただの牢獄である。
階段を降りたなら一本道だ。石壁に囲われた通路の奥に詰め所があり、見張りの騎士が時間を潰している所だ。ランスレイトは、さすがに正面突破を仕掛けるほど無邪気ではない。面体を解いて上着に戻し、それを素肌の上に着込む。
そして通路の半ば、照明石の薄明かりを頼りに見当をつけ、跪いた。
「たしか、この辺だよな……っと」
ランスレイトは石材の繋ぎ目を指でなぞり、魔力で干渉した。この壁は魔法により強化されているのだが、逆に言えば、魔力による影響を大きく受けてしまう。もっとも学生の身分で成し得る芸当ではないので、学園の設計者も想定しなかった事である。
指でなぞったエリアが、押し出すだけでキレイにずれた。まるでパズルピースの様だ。空いた穴を這いずって通過し、彼は自分の牢へと戻るのだった。
「まったく、世話の焼ける奴らだよ。差し入れとか、普通考えるかっつの」
「あっ!」
「あっ……」
這い寄った先で、見回りに来たトラバウトと眼が合った。鉄格子越しに重なる視線。想定外の結果に、両者とも固まってしまう。
先手を取ったのはランスレイト。彼は牢の中へ入ると、石壁を元に戻し、床に敷かれた藁の上で寝転んだ。
「あぁ身体中がいてぇ。腹減ったし喉渇いたし、もう一歩も動けねぇよ」
「よくもヌケヌケと! よりにもよって脱獄などやらかしおって!」
「んな訳あるかよ。無理無理マジで無理。散々殴られた身体じゃ起き上がれねぇし」
「その百叩きも全く効いておらんだろうが!」
トラバウトが牢の端を指さした。そこには、へし折れた折檻棒が山を成している。樫の木で作った強度の高いものなのだが、ランスレイトの背中を叩くなり粉砕、あるいは執行官が手首を痛めるという異常事態。
結局、10人目が負傷した段階で折檻刑は取りやめとなったのだ。
「ランスレイト。大人しく罰を受け入れるならまだしも、勝手に抜け出したとなれば、その罪も問わねばならんぞ!」
「どこにも行ってねぇって。ずっと寝転がってたんだよ」
「あれだけ堂々とやらかしておいて、戯言が通ると思うなよ! こうなれば半年、いや、卒業を向かえるその日まで懲罰房に……」
その時、2人ばかりの牢獄に、第三の声が響いた。
「トラバウト。てめぇは誰かを糾弾する時だけは活き活きしやがるな」
「そ、その声は……!」
振り向いたトラバウトはその場で恐懼(きょうく)し、固まった。現れたのは杖つきの老夫である。
総白髪で頭頂はいささか寂しい。左目は大きな戦傷で塞がれ、残された方の眼力は、不足を補うかの様に鋭い。少なくとも、老い先の短さなど全く感じさせなかった。シルクと獣皮であつらえたローブも、肩幅に合わせて歪んでおり、体格の良さを無言で語る。
「理事長! なぜこのようなムサ苦しい所へ!
」
「来ちゃ悪ィかよ。この学園はオレの金で回ってんだぞ。なんでテメェらの都合に合わせなきゃならねぇんだ」
「もちろん! 我ら教官と生徒一同、あなた様に感謝しない日など1日とてありません!」
「チッ。得意なのはおべっかと、出る杭を打つ事だけかよ。使えねぇ」
理事長と呼ばれた男は、懐から黄金色のキセルを取り出し、火を灯した。胸いっぱいに吸い込まれた煙は、吐き出されると、出口を求めて天井を駆け回った。
地下牢で煙草など。普段のトラバウトなら激しく詰め寄るシーンだが、今だけはおくびにも出さない。
「まぁ良い。ともかく開けろ」
「ええと、それは、この牢の事でしょうか?」
「他に何があんだよ、さっさと開けやがれ」
「は、はい! ただ今!」
錠が軋む音とともに、押し開かれた。理事長は何の気無しに足を踏み入れていく。そして手の物をもう1度深く吸い込み、紫煙の快楽を愉しんだ。
文字通りの隙だらけ。ランスレイトは最強の手札を前にして、指先に力を宿した。このジジイを脅せば、諸々が好転するかもしれない。そんな企みが脳裏をよぎったのだ。
「やってみるか、小僧」
獰猛に歪む戦傷。そして放たれた闘気を前に、今度はランスレイトが冷や汗をかいた。向き合って気圧される経験など数える程しかない。そして今、回数を折る指を一本増やしてしまった。
(やべぇな。コイツはマジもんの化物だぞ)
権威や肩書がそう思わせるのではない。個人としての武、気迫が、彼を憮然とさせるのだ。ランスレイトのような、若者に相応の成長が目覚ましく、覇気のみなぎる青年であっても圧倒する力。確かに只者ではなかった。
そうして怯むうち、権威に打ち負かされた男の怒号が響き渡る。
「頭が高いぞランスレイト! この御方は学園理事長にして、三武神の1人に数え上げられるデルガロン様だ、這いつくばれ!」
「お前が、あの……」
「おうよ小僧。オレたちゃ浅からぬ縁で繋がってやがる。アーセイルから聞いた事ねぇか?」
「うちの爺からは、まぁ、チョロっとだけ」
「まぁそんなもんか。アイツは自分語りが嫌いだからな」
デルガロンはくぐもった笑い声をあげると、キセルを逆さにして叩いた。灰になった煙草が石床に落ち、次の一服が詰め込まれる。それからもまた、紫煙をくゆらせるのだ。
「オメェの師匠とは昔からの好敵手よ。戦場にあっては戦果を競い、模擬戦も散々やった。結果は69勝68敗1分け。オレの勝ち越しで終わったがな」
「あの爺と五分かよ。とんでもねぇバケモノだな」
「オメェも悪かねぇぜ? オレの気迫だけで思い留まりやがった。アホ面してるが勘は鋭いみてぇだな。あの人間嫌いのアーセイルが唯一とった弟子だ、素質に疑いようはねぇがな」
「褒めてんのかよソレ」
「戦場じゃ勘が物を言う。機を見て攻め込むのも、旗色を読んで逃げるのもな。勘の悪いヤツぁそこを見誤って死んじまうんだ。仲間を無闇に死なせちまう事だってある」
戦傷が微かに揺れる。瞳も猛々しさが和らぎ、虚空を見た。照明石の照らす薄明かりに何を映しているのか。ランスレイトには読みきれなかった。
「それはそうと、オメェは何をやらかした。Sクラスの女にでも手を出したのか?」
「そんなんじゃねぇよ」
「じゃああれか。そこらの生徒を脅して金を巻き上げたとか?」
「違うっつの。魔獣狩りで結界の外に出たんだよ。そしたらルール違反だとかで捕まった」
「……どういう理屈だ、そりゃあ?」
先ほどの温和なムードは刹那に霧散した。老いで曲がった背中からは、闘気だけでなく、肌を貫くような気配まで滲み出ていた。
緩やかな仕草でデルガロンの顔が後ろに向く。そして見開かれた視線に射抜かれた男は、飛び跳ねつつ背筋を伸ばした。
「生徒はいかなる理由があろうと、教官の許可なく結界より出てはならない! これは役員会の承認も得た、れっきとした法でございます!」
「オレの見てねぇとこで下らん決め事しやがって。そんなクソルールに何の意図があるってんだ」
「1つは、未熟な生徒達を脅威から遠ざけるため! そしてもう1つは、逃走を試みる不届きな生徒を戒める為です!」
「バカかテメェは! ここの生徒どもは、終いにゃ傭兵になるんだ。魔獣殺してナンボの商売をすんだぞ。それが、狩りの為に出たから捕まるとか、おかしいとは思わねぇのか!」
「お言葉ではありますが、法は法! 守る事に意義があるのです!」
「なら却下だ。その一文は消しちまえ。以後、それを振りかざす事を禁ずる」
「し、しかし……」
「オレは命令したぞ、分かったな」
デルガロンの杖先がトラバウトの腹に向けられた。それだけで、身体を貫かれた錯覚を覚え、膝を着く衝動に堪えるだけで精一杯になる。
「そんな訳だ、小僧。今後は気にせず存分にやれ。魔獣料理は旨ぇからな」
ゆるやかに去りゆくデルガロンに、転がるようにして追いかけるトラバウト。その背中に向かってランスレイトは、声をあげて問いかけた。
「うちの爺は、アンタに69勝して勝ち越したと言ってたぞ!」
「そりゃ記憶違いだ。アイツもとうとうボケやがったか」
静まり返る牢屋。呆然としながら座り込むランスレイト。予想だにしない展開に、気持ちを整理する時間を必要とした。
やがて鉄格子の向こうに騎士が現れ、ここから出ろという。懲罰は3日を待たずに終わった事を告げられた。誰の差し金かは考えるまでもない。
それからは暗い回廊を歩き、詰め所までやってきた。外への扉をくぐれば晴れて自由の身である。しかしランスレイトはその場に居座った。
卓上の皿に積まれた木の実を鷲掴みにして頬張り、ヤギ乳で満ちた壺を抱えて呷る。そして全てを飲み干すと、足元で壺を叩き割り、悠々とした足取りで出ていった。理事長と親しげに接した男に、強く出られる者はそこに居なかった。
「ふぁぁ。色々あったけど、どうにか終わったな」
空を見れば、微かに白みだしている。夜明けだ。Fクラスに降りかかる理不尽も和らいでくれればと、白い息を浮かべた。
そして寮へと戻る。一応は「帰ったぞ」とだけ口にして。するとベッドから、床下から大勢が飛び出し、彼へと取り付いた。
「お帰りなさいランスレイト!」
「随分早かったな! もう1日は捕まってると思ったが!」
「いや、お前ら。暑苦しいんだが。つうか眠いんだよオレは」
男女の垣根なく押し寄せたので、揉みくちゃになる。夜中とは思えない騒ぎも、ランスレイトの怒鳴り声によって、一応の落ち着きを取り戻した。
「まったく、オレはろくに寝てねぇんだぞ。静かにしろよ」
ランスレイトは足元を怪しくさせながら、ベッドへ潜り込んだ。そのまま眠りにつくところだが、最後に、この数日について評価がなされた。
「ジョーイ。短期間で決めた割には悪くない作戦だった。だが、相手が連携をとって攻めてきたら負けてたぞ。7割くらいの戦力でこなして、もしもの時の為にもっと余力を残しておくんだ」
「うん、分かった。案配までは気が回らなかったよ」
「ゲイル、お前は戦闘の要だ。勇敢に戦ってるうちは良いが、負けちまえば一気に不利になる。次からはそこまで計算して動けよ」
「むぅ……。善処する」
「コリンは身内に甘すぎる。女達もお前が守ってくれるからと、力を出せずにいる。たまには突き放さねぇと皆弱っちいままだぞ」
「分かっちゃいるけどよ、中々できねぇんだわ」
「最後にマナ……」
絞り出した声は途切れとぎれだ。いよいよ体力の限界を迎えていることは明らかだ。
「お前、クソ雑魚のくせに無茶すんじゃねぇよ。他人の世話は自分の身を守れるようになってから、存分にやれっつうの。あんま心配かけんなバカ野郎」
「あはは、辛辣ぅ……」
そこで評論は終わりだ。言い募ろうのする言葉は体裁を無くし、寝息へと切り替わる。
「クソが。ランスレイトのヤツ、偉そうにホザきやがって。まるでずっと見てたかのような口ぶりじゃねぇか」
「ずっと見守っててくれたんだよ。だから寝てないの」
マナは跪くと、ランスレイトの手を優しく握りしめた。
「ありがとう。君のおかげで、私達は今日も生きていられるの。本当に、ありがとう……」
滲ませる瞳。両手だけでなく、額まで添える様は、祈りのようにも見えた。一切の雑念が排された無垢なる想いである。
まるで、額縁の中から飛び出した様な光景を見せつけられた一同は、誰からでもなく退散しようと動き出す。
「さてと、あとは恋人同士に任せて、アタシらは寝かせてもらいますか」
「見張り役の人は、念の為、朝までよろしくね。マナさん達の邪魔はしないように」
「ちょっと待って! そんなんじゃないもん!」
あくびを浮かべながら去る一同。中には「今回ばかりは譲ってあげる」などと言い、イタズラっぽく微笑む者も少なくない。
マナは憤慨と困惑を入り混じらせながらも、その場からは離れようとしない。そして再び手を握る。冷え切った身体だと分かれば、さらに強く握りしめた。せめて暖かになればと思うばかり。
その時、彼女は気づいた。ロウソクのか細い光の中、ランスレイトの指先に切り傷がある事を。
「何かで擦っちゃったのかな、痛そう……」
するとマナは、声を落とした。詠唱、手のひらに魔力を注入。最後には固有名詞をつぶやき、奇跡の光を発動させた。
「ライトヒール……!」
柔らかな光に照らされた傷口は、みるみるうちに縮まり、やがて消えた。もはや本人ですら傷跡を探すことは不可能だ。
「私だってちゃんと成長してるんだよ、ランスレイト君」
報告の声は誰にも届かない。それでもマナは微笑みを絶やさぬまま、安らかに眠る横顔を眺め続けた。
間もなく朝日が昇り、暖かな日差しが降り注だろう。Fクラスが迎えた窮地も終わりを告げ、彼らにとって本当の夜明けが訪れたのである。
最下級クラスの革新劇場 おもちさん @Omotty
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