第7話 あなたにとっての私は
Bクラス生徒、教官ともども壊滅。そのセンセーショナル過ぎる噂は、瞬く間に学園中を駆け巡った。その相手がAランクなどであればまだしも、最下層のFだというのだから、誰もが驚きを隠せない。
その恐怖と好気の入り混じった空気感は、虐げられる者にすれば歓迎すべきものである。例えば、汚れを落としに風呂場までやって来た女子生徒達など、両手を挙げて喜ぶほどであった。
「いやぁスカッとすんねぇ。昨日まで見下してきた連中がさぁ、道を避けてくんだわ」
コリンは快活に笑いながら服を脱ぎ、胸元の肉を重たげに揺らした。
「ほんとランスレイト様々だよねぇ。覗きも居なくなったしさ、これで快適に洗えるってもんだわ」
同意したファンナは既に裸だ。すかさず、浴室のど真ん中で堂々と立ち尽くした。
実のところ、先日までは壁の穴から覗く不届き者が居り、彼女たちは酷く窮屈な想いをさせられた。仕方なく、服を着たままで濡れタオルで拭うしかなかったのだが、今は違う。こうして仁王立ちになっても、外から盗み見る者は居ないのだ。
「はぁぁ解放感。生まれたての姿って堪んねぇわ」
「ファンナ。風邪引いちゃうよ、早いとこ済ませよう」
マナの呼びかけでファンナが浴槽の前に戻る。波打つ漆黒の湯。底が見えない程に汚れた湯船の前に。
「あ〜〜ぁ。これでキレイなお風呂に入れたら最高なのにな」
「仕方ないよ、ルールだもん」
大所帯の風呂場だ。浴槽も広々としており、湯も存分に用意されている。しかし一番風呂はSクラスからで、A、Bと順番に入浴を済ませる規則だ。何百もの人間が使うのだから、もちろん過程の中で濁る。更には悪意まで上乗せされ、泥土で汚されていくのだから、Eクラスが浸かる頃には悪臭すら放つ程になってしまう。
しかし湯船に浸かる権利があるだけマシだろう。Fクラスはそれすらも許されず、濡らしたタオルで拭うのみが認められていた。もっとも許可があったとしても、敬遠したくなる濁りようなのだが。
「それにしてもね、マナのおっぱい大きいよね。普通の2つ分はあるんじゃないの?」
「そこまで大きくないってば! 1個半くらいだよ、たぶん」
「あのランスレイトを夢中にした乳だぞ、スゲェに決まってんじゃん」
「だから、そんなんじゃないの……」
「謙遜すんなよ。アイツが率先して守ってくれたんだ。そりゃもう、蕩(とろ)けるようなご褒美をくれてやったんだろ?」
その言葉にマナは顔を曇らせ、視線を落とした。昨晩の一件以来、それとなくランスレイトを眼で追い続けたのだ。仲間内で楽しげに笑う顔、退屈してアクビを漏らす顔。それらを何度も眺めている内に気づいてしまう。
彼は自分に全く興味が無いのだと。用事も無ければ、視線がこちらに向けられる事もない。そして、一方的に見つめているだけだと分かれば、言いようもない寂しさに包まれた。こんな想いをするなら、舐め回すように全身を注視された方がいくらかマシである。
彼女は小さな溜め息を、自身の大きな胸に向けた。いまだにそれはコンプレックスでしかない。
「どうしたんだいマナ。やっぱり何かあったんだな?」
「ええと、昨日の夜にね。ランスレイト君と……」
そこまで言いかけて、詰まる。素直に話せば、彼の心の傷まで晒してしまう事になるからだ。誤魔化し、ボカシたいのであるが、適切な言葉が一向に浮かばない。
取り繕いに苦慮するマナ。やがてその肩には、慰めるような手がかけられ、小気味良い音が鳴った。
「そっか。アンタの初めてをあげたんだね。その覚悟はスゲェよ」
「初めてって……えぇ!? 違う違う! そんなんじゃないもん!」
「野暮な事は言わねぇさ。でもな、アンタの彼氏はモテモテだよ。寝盗られないよう気をつけるんだね」
「ほんと、そんなんじゃないのに……」
「良いから。あっち見てみろよ」
強引に向けられた顔の先には、別グループの女子生徒が見えた。身綺麗にする手を休めながら、談笑に花を咲かせているのだ。
「今日のランスレイト君さぁ、すっごく格好良かったね! 悪い奴らボッコボコに倒してさぁ」
「よく見るとキレイな顔してるよね。ちょっと背が低いけど、手足が長いからそう見えないし」
「私は最初から気づいてたけどね。彼が美男子だって」
「嘘だぁ。初日なんか怖いおっかないって言ってたじゃない」
どこもかしこもランスレイトの話で持ち切りだ。年相応に淡い憧れを懐き、友達同士で噂しあう。
ランスレイトは自分のものではない。そんな当たり前の事を、現実としてまざまざと見せつけられたマナは、一層深く落ち込んでしまった。
それからは服に袖を通し、コリン達とは少し離れて別棟へと戻っていく。そんな最中だ。校舎裏の井戸の傍で、何かに悪戦苦闘するランスレイトを見かけたのは。他の誰にも気づかれないよう列を離れ、そちらへと歩み寄った。
「そんな所で何してるの?」
「マナかよ。ちょっとゲートルがな、ぼちぼち限界かもしれねぇ」
馴染みすぎた感のある革を広げると、所々が摩耗して擦り切れている。そして数カ所ほど、向こう側を見通せる穴までもが見えた。
「もしかして、今日の訓練のせいで? ごめんなさい、私達を守る為に」
「違うっつの。限界だって言ったろ、これはもう廃棄寸前だったんだよ」
「代わりはどうしようね。購買部に行けば売ってるみたいだけど」
「金なんかねぇし。またBクラスをボコして巻き上げねぇ限りは」
「止めてよね、大騒ぎになっちゃう!」
「分かってるよ、冗談の通じねぇやつだな」
ランスレイトはゲートルを指先で弄び、クルクルと回し始めた。それを眺めるマナは、1つひらめく。今日のお礼を、そして、彼の記憶に些細な痕跡を残せるだろう提案を。
「あのね、針と糸を持ってきてるの。もしかしたら直せるかも」
「マジで? 出来んの?」
「ちょっと待っててね。道具を取ってくるから」
小走りになったマナは部屋に戻り、自分の荷物を漁りだした。その間、コリンの呼びかけには返事もせず、やはり小走りで井戸の元へとやっ来た。
「お待たせ。今から始めるね」
「お前……せっかく汗を拭いたってのに、また小汗かいてんじゃん」
「ええと、だいじょぶ、そのうち乾くし!」
マナは早速修繕に取り掛かった。病気の母に代わり、縫い物は幾度となく経験済みで、指先も器用な方だという自負がある。
しかし革細工は初挑戦だ。更に、穴を補填する事にまで意識が及ばず、単純に糸で生地を引き寄せただけだ。結果、歪な凹凸の浮かぶ形となってしまう。
仕上がりを掲げて、思わず首を傾げるマナ。そして、失敗という現実を認識するなり、顔は青ざめていく。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 上手く直せなくって……」
何度も下げられる頭。ランスレイトはそれには気にも留めず、ひしゃげたゲートルに手を伸ばし、身につけた。
「うん、まぁ、巻けない程じゃねぇよ」
「平気? 無理してない?」
「別に。壊れりゃ捨てるだけだ。裾がフワつくのは落ち着かねぇけど、すぐに慣れるだろうし」
「それは、なんて言うか、ごめんね」
「だから気にすんなって。無きゃ無いで構わねぇんだよ」
「でも、君の物を壊しちゃったもん。いつか弁償するよ、お金はどうにか稼いで、購買部で……」
なおも言い募ろうとするマナの頭は、優しく叩かれた。ポンポンと2回。続けて紡がれた言葉も、珍しく慈愛の感じられるものだった。
「前にも言ったろ、背負い過ぎんなって。お前は弱っちいんだから、程々にやってりゃ良いんだよ」
マナの胸に、春風にも似た甘い風が駆け抜ける。しかし酔いしれるのも束の間。続けて侮辱にも似た不快感が、深い所から怒りを呼び覚ましてしまった。
「あのさぁ、あんまり子供扱いしないでくれるかな。君は同世代でしょ?」
「アァ? そうだっけ? あんまりチビッこいから忘れてた。バカにされたくなきゃ飯食え飯。そんでもってデカくなれ」
「なっ! 言っとくけどね、君だって背が低いじゃん! なんならコリンよりも小さいし!」
「オレは良いんですぅ、すでに超絶強いから伸びるメリットとか無いんですぅ」
「私はまだまだ大きくなるもん! スラッとした長身お姉さんを諦めてないから!」
「はいはい。そうなったら良いねスゴイっすねーー」
「酷い! なんで私にはそんなイジワルなの!」
それからも痴話喧嘩じみた騒ぎが続いた。心配して探しに出た、ゲイルやコリンが止めるその瞬間まで。
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