第6話 武芸は身をたすく
明けの朝。Fクラスの一同は、早起きランスレイト特製の肉粥で腹を満たすと、屋外の修練場に整列した。ただし生徒の数は総勢50名。他のクラスと混合の訓練である。
「はい、おはようございます。本日は戦闘訓練、近接戦闘に絞ったものを執り行います」
生徒が混合なら教官も同じだ。顔にシワを刻んだ壮年の男。痩せこけた顔つきに、ピンと伸びたヒゲを指先で摘みつつ、訓示を述べた。
「喜べ、Fランクのクズども。今日はBランクの猛者達が直々に、だらしない貴様らの性根を叩き直してくれるだろう」
下卑た笑いが方々で上がる。それよりも気がかりなのは各人の装備だ。ゲイル達は丸腰に普段着である一方で、相対するBクラスの面々は、大振りな剣や鎧を着込んでいる。
これは何かの冗談か、それとも調練用の装備が貸し出されるのか。不安に揺れる一同は、恐るべき事に、最悪な現実を思い知らされる事になる。
「武器に指定はありません。各々、手に馴染む物を使っていただければ」
「シンリック教官! 我々にも武器を貸してください!」
「ええと、自前の物を使えと言ったのですが、伝わりませんでした?」
「そんな物、誰も持ち込んでません! 武器とは無縁の人生だったんですよ!」
「では、まぁ、素手でお願いします」
誰もが寒気で身を震わせた。この学園において、Fランクの位置付けなどこんなものだ。人間らしく接するのは仲間内のみで、生徒はもちろん、担当教官ですら路肩の石扱いしようとする。
そして不運はBクラスの悪辣さ。相手は皆、圧倒的優位にあぐらをかき、好き勝手に心の内を晒し始めた。
――クケケ。Fランのゴミでも血は赤いのかな? 確かめてみねぇと分かんねぇな?
――あの金髪スゲェ美人じゃん。囲んでヤッちまおうぜ。
――オレはあの桃髪だぁ。チビのくせに巨乳とか、堪んねぇんだよぉ……。
薄気味悪い呟きは、間もなく現実のものとなりかねない。ゲイル達が効果的な反撃を仕掛けない限りは。
「どうすんだよゲイルぅ。あいつら、オレ達を殺しかねねぇぞ」
「どうにかして武器を奪う。そうすれば、この絶望的な状況も好転するかもしれない」
「武器を奪うって! それで相手を怒らせたら
大変な事になるだろ!」
「だからって、このままじゃ弄ばれるだけだ!」
言い争い、悲嘆に暮れる声。ランスレイトは
それらを聞き流しつつ、敵方を見極めた。面倒な気持ちが強いものの、守ると約束した手前、傍観する訳にもいかなかった。
(手っ取り早いのは、やっぱり目立つ事だろうな)
ランスレイトは一人ひとりを眺め、強弱を測ろうとした。そのうち、何人かの男達が殺気を漲らせる姿に気付く。動き出す前から肩を上下させており、気が急いている様にしか見えなかった。
(あいつら、この前の暴漢か。アゴを治療中ってのは使えそうだ)
作戦が決まると、人知れずほくそ笑んだ。それを待っていたかのように、「始め」との声があがる。
欲望を剥き出しにして駆けるBランク達。しかしそれらを押しのける様にして飛び出した3人は、全速力で疾走した。
あれが他所に行かれては困ると、ランスレイトは煽る事にした。突き刺さりそうなフレーズを用い、絶妙にからかう手法で。
「おう、お前ら。オシャレなマスク付けてんな。似合ってるぞ」
「アアァァッ! ブッ殺しゅしぇやりゅう!」
言葉にならない叫びが轟く。狙いはランスレイトに向いた。男達は先駆けて間合いに入った。そして太く大きな剣を掲げ、迷いなく振り下ろす。
「しゅんじゅまえーー!」
獰猛な刃がランスレイトの額に迫った。しかしそれは、いとも容易く止められた。掲げた掌に掴まれる事によって。
「マジで弱いなお前。Bランクっつっても所詮は雑魚の集まりか」
「こりょ、殺しゅ。こりょしゅてやりゅうぅぅ!」
「そうカッカすんなよ。頭に血がのぼるヤツは早死にしやすいぞっと」
ランスレイトは、ガラ空きになった相手の腹を蹴った。型にはまらない、見るからに加減したものだ。しかし威力は十分。対象者は波に飲まれたように転がされ、仰向けの口先からは泡が吹き出した。
他の2人の命運も似たようなものだ。フレイルや長槍は半身で避けられ、やはり腹に蹴りを見舞われる。3人並んで白目を剥く所まで同じだった。
「な、何だコイツは!」
Bクラスの教官は腰を浮かせて叫んだ。シンリックも、声色こそ普段どおりだが、「わ〜〜ぉ」と取り留めも無い言葉を呟いた。
そして生徒たちの進撃も鳴りを潜める。狩る側であると確信した矢先、思いがけない反撃を食らったのだ。勝手極まる願望などアッサリ萎んでしまい、枷でも付いたかのように足取りも重たくなった。
「何をやっている貴様ら! Fランクにナメられるなんぞ良い笑いものだぞ!」
教官から檄が飛ぶと、生徒たちも眼の色を変えた。そして標的をランスレイトだけに絞り、一斉攻撃を開始した。
「予想通りに釣れた。バカは分かりやすいから助かる」
ランスレイトは気楽そうに呟くと、身を低くして疾走した。目まぐるしく迫る切っ先を、矛先を避けつつ、着実に攻撃を浴びせていく。拳を頬に、肘を腹にとめり込ませるだけで人が吹っ飛ぶ。その拍子に鉄鎧も砕けて破片が舞い散った。
この圧倒的なまでの武力は、ゲイル達からもよく見えた。
「バカ強ぇ……。まさかここまでスゲェヤツだったとは」
「Bランクが子供扱いじゃないか。しかも武装した相手だぞ!」
傍観するうちの1人、マナなどは、胸の奥を熱く焦がした。約束を守ってくれた事への安堵、そして、ランスレイトが時折見せる真剣な面持ちに見惚れるのだ。
「キレイな動き……」
彼女は、誰にも届かない称賛を贈った。ランスレイトの武技は幼年期から培われた実地型だ。歩く、座ると大差ない程にまで、人生の中で繰り返された動きである。自然と要点を掴んでおり、瞬時の判断も乱戦の中で効果的に機能した。
一言で言えば、達人の域にまで達しているのである。
「お前で最後、オネンネしやがれ」
遂には、全ての敵が地面にねそべった。ランスレイトの額を伝う一筋の汗を、自身の指先で散らした時、Fクラスの集団から歓声があがった。
「すげぇや、マジでやっちまいやがった!」
「ありがとう! ランスレイト君!」
しかし手放しで喜べたのも、ほんのひととき。敵意を足元で刻みながら立ち上がる姿に、声を潜めてしまう。Bクラスの教官である。
「あってはならない。Fランク風情に全滅など、あってはならんのだ!」
逆上した教官は両手を掲げ、低くうなった。呟かれるのは詠唱であり、禍々しい気配から、攻撃魔法である事が分かる。隣のシンリックは巻き添えを恐れて、僅かに数歩だけ横に逃げた。
「許さんぞ、貧民出のゴミどもめ。まとめて皆殺しにしてくれるわ!」
虚空に現れたのは氷柱で、塔のように巨大であった。それが超高速で投げつけられる。先端に突き刺さるにしろ、その重量に押し潰されるにしろ、確実な死が待っていた。
「何で、どうして教官が攻撃してくんだ! 訓練じゃなかったのかよぉ!」
「知るか。八つ当たりだろ!」
「今度こそ死んだ、おしまいだぁぁ!」
絶叫に次ぐ絶叫。しかし、やはりというか、最前列のランスレイトだけは無言だった。迫りくる氷柱。それに向けて掌を掲げると、巨大な魔法は忽然と姿を消した。
続けて眼前には青白い竜巻が出現。それは少しずつ細くなり、やがて見えなくなった。最後に、周辺には粉雪のような氷の結晶が舞い、彼らの頭上を淡く濡らした。
「生徒も雑魚なら教官も雑魚か。お遊戯会かよ、マジで」
「なぜ魔法が消えた! まさか不発したのか!?」
「良いか。魔法を唱えるんだったら、こんぐらいやってみせろよ」
ランスレイトは何気ない仕草で、片手を頭上に掲げた。その動きに合わせて一迅の風が吹き荒れ、一同の裾が激しくまくれ上がった。
すると、彼らの頭上には先程と同等の氷柱が出現した。ただし数が尋常ではない。空を埋め尽くす程に膨大な量であった。
「なんだコレ、教官よりもスゲェぞ!」
「ええと11、12、13……。もう数えらんない!」
「さてと。どうするよ、Bクラスの偉大なる教官様。オレとの魔法勝負、当然受けてくれるよな? 教えるのがテメェの仕事なんだしよ」
獰猛な瞳が教官を射抜く。歴戦の兵ですら身震いする程の闘気を浴びて、教官と言えどもまともでは居られない。
「な、な、何だその魔力は! それではまるで、武神のよう……だ」
そして、白目を剥いて倒れた。口元を泡で満たし、両手も苦悶とともに宙を掴もうとする。
「やれやれ。終わったぞ、お前ら」
「やったぁーー!」
今度こそ本当の終焉だ。私刑(リンチ)も同然の馬鹿げた「訓練」は終わりを告げたのである。
「ランスレイト! お前は何て強さだよ、まったく」
「ありがとうランスレイト君! 私達の為に頑張ってくれて!」
「おいマナ。感謝の言葉だけとか、ご褒美が甘いんじゃねぇの。そこは首に抱きついて、ほっぺにチュウくらいやれよ」
「コリン! 私はそんな事できないもん!」
可愛らしい憤慨、巻き起こる笑い声。一様に笑顔を浮かべる様は、実に仲睦まじいものだった。
それを遠巻きに眺めるのはシンリックだ。彼は微動だにせず、やはり普段と同じ調子で呟くのだった。
わ〜〜ぉ、と。
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