第5話 交流は夜更しとともに
地獄の行軍訓練が終わり、奇跡的にも脱落者を出さずに帰還したFクラスの面々。正確に言えば、ランスレイトの活躍があっての生還だが、ともかく全員が無事だ。
シンリックの用意した干し肉で晩餐を終え、寮へと戻った。広々とした室内に人の気配は弱い。大多数のクラスメイトは、身体を拭く為の湯を求めて外出したからだ。残るのは僅か、マナを始めとした女性陣数名である。
「へぇ、なるほどねぇ。ランスレイトがねぇ」
「そうなの。私を助けるふりして、おっぱいの感触をずっと愉しんでたの。帰り道も降ろそうとしなかったし。酷いでしょ」
「いやいや朗報だよ。ああ見えて女好きか、なるほど」
「ねぇ、コリンの姉御。何がそんなに嬉しいん?」
ファンナとマナが首をひねる。コリンの返答は、不敵な笑みに被せるようにして、告げられた。
「あのランスレイトを、思いのままに操れたら、スゲェんじゃねぇ?」
「えっ? それはそうかもしれないけど……」
「そんなん無理っしょ。アイツめっちゃ自由人だしぃ」
「そこで色仕掛けさ。上手く好意を持たせて虜にしちまうんだ。そうすりゃコントロール出来るんだ、心強いだろ?」
「まぁ、あれだけ強いから、頼もしいけど……」
「上手くいくのかなぁ。あんなの惹きつけるって無理筋っぽい」
「ナメんなよ、アタシは外じゃ散々モテてきたんだ。その気になりゃ簡単だっつうの」
不安気に揺れる2人を気遣いもせず、コリンは鼻息を荒くした。確かに彼女の美貌はクラスでも群を抜く程だが、果たして上手くいくのか。
場面は変わって別棟通路。風呂場で身体を拭き終えたランスレイトとゲイル2名は、雑談を重ねながら寮に戻ろうとしていた。
「ゲイルってさ、何で身体でけぇんだ? 他の連中よりずっとガタイ良いよな」
「うちは猟師だから、そこそこに飯が食えた。まぁ貧民の部類ではあったのだが……」
2人は話の途中で立ち止まった。行く手にコリンが待ち受けていたせいだが、そのただならぬ雰囲気に足を止めたのだ。
「ごめんね、スカートに虫が付いちゃって。ランスレイト、取ってくれる?」
甘ったるい声に妖艶な眼差し。そして、尻を突き出すようにしてのおねだり。さすがに抜群のプロポーションを誇る彼女、腰から下の曲線は完璧で、数多の男を惹き付けるに十分であった。実際、隣のゲイルなどは顔を真赤にして視線を落とす程である。
(ふふっ、男なんて簡単さ)
ランスレイトが歩み寄るのを見て、早くも勝ちを確信するコリン。しかし、腰回りに手が伸びる事はなく、代わりに強い吐息が放たれた。スカートという形状に配慮して、上からなぞるような風の流れだ。裾は持ち上がる事無く、太ももに被さってなびくばかりになる。
「おい、これのどこが虫なんだよ。枯れ葉じゃねぇか」
「あれ、おかしいな。ヤベェ昆虫に見えたんぁけどなぁアハハ」
「そもそも虫も触れねぇ奴が戦争なんか出来ねぇだろ。苦手でも今のうちに慣れておけ」
そうしてランスレイトは、いささか前かがみになったゲイルを連れて立ち去った。もちろん作戦失敗である。
それからもコリンは果敢に挑み続けた。背中の柔肌を見せて拭いてくれと頼んだり、人肌が恋しいからと寝床に誘うなど、かなり強烈な仕掛けを。
結論から言えば、いずれも失敗した。見せつけた背中には濡れタオルが叩きつけられた。絶妙な力加減により、怖いくらいキレイにされてしまった。また人肌の恋しさについては、いずこからか調達したワラを投げつけられ、それ抱いて寝ろと呆れられる始末。
誰がどう見ても惨敗であった。
「クソッ。アイツ全然なびかねぇんだけど」
「意外だね。てっきり本能を剥き出しにして、襲いかかると思ったのに」
「マナ、何でそんなに嬉しそうなんだよ。人の失敗が面白おかしいってのか?」
「別にそんなんじゃない。私も残念だと思ってるよ、うん」
「姉御ぉ。荒れてる場合じゃないってば。ランスレイトをどうすんのよぉ」
「そうだよな。じゃあマナ、任せた」
「えっ、どうして急に?」
「あの野郎はきっと巨乳フェチだ。アンタみたいなのが好みなんだよ」
「きょ、きょにゅ……ッ!」
マナは思わず自分の胸元を抱きしめた。そして、訓練中に胸を背中に押し付けてしまった事を思い出し、むず痒い気分に陥る。
「頼んだからね。アタシらが生き残れるかは、アンタの働きにかかってんだ」
「困るよ、いったいどうすれば……」
「簡単だろ。そのデケェ胸でアイツの顔を包んでやんな。そんでもって好きなだけ揉ませてやりゃ良い」
「そんな事できないもん!」
「バカッ、声が大きい」
今は消灯時間を過ぎた深夜だ。下手に騒げば、ランスレイトの暴風が吹き荒れるかもしれず、「女子会」の3人は青色吐息だ。
締めくくりとばかりにコリンは、任せたよと囁き、眠りについた。ファンナも間もなく寝息を立て始める。
(そんな事言われたって、無理だよ……)
マナは横になると、再び自身の胸元を抱いた。両手に余る大きな肉は、武器と言うよりもコンプレックスである。
男達からやたら視線を浴びせられ、無言の圧力に怯える事もしばしば。暴漢に襲われかけた経験があるだけで、メリットを感じたことは一度もない。もし小振りにする手段があるのなら、真っ先に飛びつきたいとすら思う。
(こんなものが好きだなんて、どうかしてるよ。訳分かんない)
心の内で呟く。そして夜は更けていく。眠気は一向に感じられず、無限にも思える時間が幕を開けた。
だからこそ気付くことが出来た。いびきや歯ぎしりに混じって、うなされる声が聞こえる事に。
(この声って、もしかして……?)
足音を殺して歩き、出どころを探ってみれば予想通りだった。
(やっぱりランスレイト君だった)
暗がりでも分かるほど、はっきりと苦悶の表情を浮かべている。そして喘ぐようにうわ言を繰り返す。
こんなに強い人でも悪夢に苦しめられるのか。始めのうちはノンキに観察していたのだが、様子を眺める内に印象も変わっていった。
「ジャッキィ、許してくれ。オレは助けたかった……」
虚空に伸ばされた手が、何かを求めてさまよっている。縋り付きたいのか、それとも許しを請いたいのか、マナには分からない。
しかし何故だろうか。彼女の心は途端に苦しくなり、涙すら誘うようになる。いたたまれない気持ちに流され、つい、その手を握りしめてしまった。何者かの代わりに、罪を許してやるかのように。
すると、さすがにランスレイトは意識を取り戻した。素早く起き上がり、激しく息をつきながら目覚めたのだ。
「あぁ? 何でマナが?」
「ご、ごめんなさい。あまりにも酷くうなされてたから、気になっちゃって……」
「そっか。またあの夢を見たんだな……」
マナは初めて見る表情に驚かされた。普段の気怠げな顔でも、眠たげなものでも、楽しみを見つけて快活に笑うソレとも違う。何か抱えきれないほど大きなものに悩み苦しむ姿に、新しい一面を見たのだ。
ランスレイトはそれからも身を起こしたままで、寝入る素振りを見せない。それを機と捉えたマナは、彼女にしては珍しく積極的な申し出をした。
「私も眠れないの。良かったら一緒に夜更ししない?」
場所は変わって寮の外。芝生の上に座った2人は、珍しく穏やかな冬の夜空の下で、肩を並べた。布団にくるまるマナとは対象的に、ランスレイトは普段着のままである。
「寒くないの? そんな格好で」
「別に。お前らとは鍛え方が違ぇし」
「そうなんだ。すごいね」
続かない会話の合間に、マナは大きく息を吐いた。白く染まる吐息は、どこに流されるでもなく、虚空をひとしきり染め上げては消えていく。
何か話題は無いか。長い無言は重圧そのものだ。何でも良いからと脳裏を探るうち、ふとコリンの言葉が蘇った。
――好きなだけ胸を揉ませりゃ良い。
そんな不埒な妄言は、頭を左右に振って追い払った。もちろん、隣のランスレイトにも奇行を見られてしまう。
「何だ、寒いなら無理すんな。さっさと寝床に戻れよ」
「いや、今のは違くって、その……ランスレイト君はどうしてこの学園に来たの!?」
「ここに来た理由? そんなん聞いてどうすんだよ」
「気になるんだもん。教えてよ、ね?」
マナは両手を合わせて拝んだ。誤魔化し半分の話題だったのだが、意外な盛り上がりをみせた。
「別にお前みたいな深い理由じゃねぇ。育て親の爺が学生やって来いっつうからだ」
「そうなんだ。でもFランクなんだね」
「支度金が欲しかったからな。爺には、弟に立派な墓を立てろと言っといた。言う通りにしたかまでは見てない」
「弟さん、亡くなってたの?」
「やめろ。オレから振っといて何だが、楽しい話題じゃねぇ」
「そうだよね。ごめんね」
マナは、先程の件を思い出さずには居られない。うなされてまで許しを乞うのは、弟に対してではないか。そう推察しても、問いかけるだけの勇気は無かった。
しかし幸いにも会話は途切れず、更に深堀りされていく。
「正直さ、最初はすぐ抜けちまおう思ったよ。どこを見ても雑魚ばっかで、ロクな奴がいねぇの。こんな所に居ても時間の無駄だって話だ」
「あはは……辛辣だね」
「外は魔獣がどうのと脅してたけどさ、オレには関係無いしな。その気になればいつでも突破できる。だから初日に帰ろうって思った」
「それ、実は気になってたの。ランスレイト君なら、1人で結界の外に行けるでしょ。どうしてここに居るの?」
「ムカつくからだ」
「ムカつくって、何が?」
「クソ弱いくせに、立場で上から物を言う連中が。陰湿にイジメて、テメェのくだらねぇ人生を慰める様な連中が」
確かにランスレイトは、初日の夕方に独り歩きをしていた。その短い間に何かあったのか。学園の生徒達を思えば、トラブルに見舞われた事は容易に考えられた。
「オレはここに残るよ。ついでにお前らも、可能な限り守ってやる」
「本当に!?」
「おうよ。だからお前らも、他人を利用するとか考えんのやめろ。しかも人の事を危なっかしいとか陰口叩きやがって」
「ごめんね。皆も必死なだけだから、悪気はなくって……」
そこまで言ってマナは口をつぐんだ。ランスレイトを危なっかしいと評価したのは、初日の夜だ。その後暴漢に襲われ、あわや慰み者にされる所だった。あの時は、偶然目覚めたランスレイトに救われたものだとばかり考えていたが、会話を聞いていたなら話は変わる。
全てを理解した上で、寝起きを装って救った事になるのでは。マナは、確信めいた推察から、思わず笑みを溢した。
「ふふっ。君ってば不器用だよね」
「何を笑ってんだよ」
「ごめんね。もっと怖い人かと思ってた。それか、傲慢で嫌な人」
「どうとでも言えよ。オレはオレだ」
「ところでさ、私達に何か出来る事はないかな?」
「何だよそれ?」
「お世話になりっぱなしじゃ悪いもん。あぁ、でもね、何でもって訳にはいかないよ? 内容によっては、じっくり検討してからじゃないと!」
顔を真赤に染めたマナが、両手を慌ただしく振った。彼女の脳裏には、身体を使ったサービスのアレコレが浮かんでしまったからだ。
その心を知ってか知らずか、ランスレイトは苦笑とともに答えた。
「だったら、そろそろ寝かせてくんねぇか。さすがに眠くなってきた」
「うん、そうだね。私も気が抜けたら眠気が……」
「お前さ、弱っちいくせに重荷をやたらと背負うんじゃねぇよ」
「あはは。もしかして、今夜のも聞こえてた?」
「断片的にな。こうして話してるうちに、何となく理解した」
「ごめんね本当に。そして、これからも宜しく、ランスレイト君」
マナは年相応に眩しい笑顔を向けた。学園に来て以来、初めてみせる満面の笑みで、夜空に浮かぶ月にも劣らない美しさが、そこにはある。それでもランスレイトは生返事を返すのみであったが。
それから2人は寮へ戻ると、すかさず寝床へ戻った。また悪夢を見るんだろうか。マナは聞き耳をたてながら成り行きを見守った。聞こえるのは寝息、歯ぎしり、イビキ。そんなものを耳にするうち、やがて眠りの世界へと落ちていった。
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