第4話 行軍訓練に揺れる胸

 学園で初めて迎えた朝。Fクラスの一同は、朝食を摂る事も許されず、別棟校舎の前に集められた。眠たげな顔ばかりが並ぶ前には、担任シンリックの姿がある。



「はい皆さん。朝早くからお集まりいただきましたが、訓練の時間です。眠気を覚まさないと命を落としかねないので、宜しくお願いします」



 物騒な言葉がサラリと放たれたが、一同はそんな物言いに慣れていない。頬を叩くだとか、背筋を伸ばすなりして態度を改めた。


 大げさなアクビを隠そうともしないのは、ランスレイトぐらいだ。



「さて、皆さんには本日、行軍訓練を受けてもらいます。何のことはありません。ただ走るだけなので、子供でも出来ますよ」


「教官、具体的にはどの様にやるのでしょうか」


「はいゲイル君。順々に説明するので、焦らぬように」



 シンリックは屋外の虚空に黒色板を呼び出し、表面を指でなぞりだした。すると白色で大きな円、その内側に小さな円が描かれる。



「昨日も少し話しましたが、この学園は二重結界となっております。校舎や寮付近にひとつ、外周にひとつ、魔獣の侵入を防ぐ強力なものが張られています。ここまでは良いですね?」



 特に異論はない。問題はその後の内容だった。



「今回の行軍エリアは結界と結界の間、東側となります。学園から端までを往復すればお終いです」


「それは魔獣がうろつく場所を行く、という事でしょうか?」


「そう言ったつもりですが、伝わりませんでしたか?」


「マジかよ、そんな危険な所を……」



 一同は不安な想いを隠さなかった。そして問題は距離にもある。往復で20キロ。一日がかりで、ほぼ休みなく走らされるとあって、さすがに抗議の声があがった。



「無茶ですよそんなの、できません!」


「魔獣に追っかけられながら走るんですか? 自殺行為でしょう!」


「ハァ……面倒ですねぇ。皆さん、ゆくゆくは戦地を駆け回る傭兵になるんですよ? 魔獣がうろつく大地を避けて通れると思いますか?」


「そりゃ、そうだけど……」


「安心なさい。別に武器を持って戦えとは言いません。私は隠密魔法を扱えるので、魔獣に見つかる事はありませんから」



 その言葉には微かな安堵を覚える。そしてさり気ない掛け声で走り出したのだが、そうする間にも更なる課題が課せられていく。



「遅れた人は置いていきます。隠密魔法の圏外にまで離れてしまえば、普通に襲われますから。ちなみに私は偵察型なので、窮地に陥った生徒を助けられません、あしからず」


「遅れるなって、こんなペースで走りきれってのかよ」


「はいそこ、無駄口叩ける余裕あるなら温存しておきなさい。後々に響きますよ」


「クソッ。他人事みてぇに言いやがる……」



 駆け足にしてもかなりのハイペースだった。確かな足取りで付いていけたのは、ゲイルを始めとした10数名。最後尾の数名は転びそうになるのを堪えながら、必死の思いで食らいついていた。


 ちなみにランスレイトは、まともに参加していない。木に登ってリス穴を覗き込んだり、つがいの鳥たちが愛を囁く所を脅かしてみたりと、遊び半分だ。休暇さながらに散策し、皆と距離が開けば追いすがる。そんな事の繰り返しだ。



「ランスレイトのヤツ、良い気なもんだよな。オレ達は命がけで走ってんのによ」


「文句を言うなシューメル。羨んだ所で前には進まない」



 人間、必死になれば何とかなるものだ。5キロ地点の小川沿いで小休止という段階では、1人の脱落者も出さなかった。


 ただし顔色の違いは一目瞭然で、まだ余裕を残す者、荒く喘ぐような息を晒す者との2つに分かれた。



「きっつコレ……。まだ半分もいってないとか……」


「はい皆さん。朝食を配りますね。食べる時に食べるのも大切な事ですよ」


「さすがに教官は小汗の1つも無しか……」



 生徒たちに手渡されたのは一欠片の干し肉と

、黒く変色したパンだ。どこかカビ臭く、味付けも眉を潜めるほどだが、食えない程でもない。一同はしかめっ面を浮かべつつ、ある者は口を押さえて吐き気に堪えながらも、食料を飲み込んでいく。


 そんな中で手つかずのまま項垂れるのは、マナだった。



「大丈夫かい、アンタ。少しくらい食べたほうが良いよ」


「ありがとうコリン。でも、喉を通らなくて……」



 元来、丈夫でないマナにとっては特に厳しい訓練だった。消耗しているメンツの中でも、取り分け様子が酷い。



「なぁゲイル、団結するんだろ。誰かマナを助けてやってくれよ」


「助けるって、背負うとか肩を貸すとか?」


「そうだよ。まさかとは思うけど、こんなか弱い女の子をほっぽりだして、自分だけ走りきろうとは思わないよな?」


「うっ。だが、しかし……」



 ゲイルは助けを求めて周囲に眼を向けた。誰もが眼を伏せるばかり。自分の事で手一杯だと、言外に伝えるかのようだ。



「すまない。オレ達も、誰かを庇える程の余裕は無いんだ」


「ハァ? アンタ、昨日は偉そうに講釈垂れてたよなぁ? 皆で協力して乗り切ろうって。それが何さ。昨晩はアタシを、そんで今はマナまで見捨てようってんだから、聞いて呆れるよ!」


「昨日も言ったろう、オレは特別に強いとか、そんな人間じゃないんだ! ただ単に、群れなきゃ弱いやつから死んじまう。それを危惧しただけなんだよ!」


「だから、今がその時なんだって! マナが死んじまうかどうかの瀬戸際だろうがよ!」


「それは分かってる! だけど、下手に助けたら共倒れになるだけだ。無闇に犠牲を増やすくらいなら、より多くが生き残る方を……」


「テメェは2度とリーダー面すんじゃねぇよ!」


「やめてッ!」



 マナの叫びが響くと、辺りは途端に静まり返った。それまで、拳を振り上げて殴ろうとしたコリンも、悔しさを滲ませながら下ろした。



「大丈夫だから。こんな事で仲違いしないで」


「そうは言うけどさ。アンタ……」


「それにね、私だって強くなりたいの。皆のお荷物じゃなく、ちゃんと戦える人に」


「……分かったよ。でもさ、辛かったら言いなよ。アタシが、岩にかじりついてでも助けてやるからさ」



 コリンがマナの頭を撫でようとした時、小用から戻ったシンリックが告げた。



「さてと、そろそろ出発しますね」


「もう!? 早すぎんだろ!」


「あくまでも小休止ですから。大休止は折り返しの10キロ地点なので、頑張ってくださいね」


「チクショウ、やるしかねぇってのか……!」


「そもそも歩兵は走るのも仕事のうちですよ。君達は騎乗の人に成れるほど出世しませんから、こういうのには慣れておくべきです」


「しれっと毒まで吐きやがるし……」



 こうして、疲れも癒えぬままに走り出した一行。やがて道の様子も平原から変わり、沼や勾配の急な坂道を行くことになった。もちろん、大多数がペースを落としそうになり、その都度自身を叱咤する。遅れれば死。ただその一心で駆け続けるのだった。



「はいお疲れさまです。ここでしばらく休憩を挟むので、自由にしていいですよ」


「やっと、やっと休めるのか……」



 誰もが疲労困憊といった様子で、高原の一角で寝転がった。両手足を投げ捨てる様な仕草は、限界間近であることを告げるかのようだ。


 しかしまだ折り返し地点だ。少しでも長く身体を休めようと無言になるのだが、不意に金切り声が響いた。



「マナが居ない、どこ行ったんだよ!?」



 頭数は変わらず、脱落者は出していない。唯一、マナ以外に関しては。



「多分だけど、走りきれなかったんだろう。仕方ないと諦めるしか……」


「フザけんじゃないよ。アタシは探しに行くからね!」


「待て、コリン。今から行ったって無駄だ。魔獣が蠢く危険地帯なんだぞ」


「離せよ、正義感ぶったデカブツ野郎。アンタらはせいぜい長生きしたら良いさ。アタシらの亡骸の上でね!」


「よせよ。丸腰で行った所で食われるだけだ。せめてランスレイトに行かせろ」


「……そのランスレイトはどこに居んだよ?」



 ゲイルは驚き半分で周囲を見渡した。確かに、どこに眼をやってもランスレイトの姿がない。そもそもいつから居ないのかも知らない。


 皆はどよめき、消えたランスレイトを探した。やがて彼らのうち1人が、その消息を語った。「腹が減ったから食えるもん探してくる」とだけ告げ、いずこかへ消えたと言う。



「チクショウめ。どいつもコイツも、肝心な時に役立たずなんだから!」



 その場で泣き崩れるコリンを、慰める言葉などなかった。皆、わざと見捨てたのではない。ただ自分が生き残るために手を差し伸べなかっただけだ。


 そんな事はコリンも分かっている。だがらそれ以上は周囲を責めなかった。自分の膝を叩き、己の無力さを呪いながら、ランスレイトが戻る事に賭けるのだった。


 一方その頃。マナはどうにか生き残っており、大木を背にして立ち尽くしていた。眼前には無数の瞳、そして牙。迫りくる大蜘蛛に食われようとする瞬間であった。



「お願い、来ないで……誰か!」



 悲鳴にもならない声は掠れていた。蜘蛛は自慢の2本牙を左右に開き、獲物を噛み切る構えを取った。牙の先に生え揃った体毛が、マナの桃色の髪に触れると、再び微かな悲鳴があがる。


 マナの命も風前の灯火だ。こうして誰の眼に触れる事もなく、独り寂しく死んでいく。その孤独が一層の恐怖を煽り、四肢まで硬直させてしまった。


 耳障りな奇声。蜘蛛が鳴いたのだ。勝ちを確信し、ご馳走を口にできるとあって、上機嫌な響きにも聞こえる。



「やだ、死にたくないよ。お母さん……」



 脳裏には、母の優しげな顔が浮かんでは消えていく。まだ元気に働いていた頃の姿は、幼心には頼もしく映ったものだ。しかしそれらは幻。窮地に陥る娘を救う事など、決して無い。


 救えるとしたら、茂みから現れたこの男であろう。キノコ狩りでも愉しむような気楽さで、気ままな散策を続ける男に。



「やっぱ冬は厳しいな。果実の1つも見つからねぇ」


「えっ……ランスレイト君?」


「うおっ。お前はクラスメイト」



 絶体絶命の光景を目の当たりにしたランスレイトは、足元の小石を拾い上げ、蜘蛛に投げつけた。



「あっち行けよオラァ!」



 小石とはいえ、風切り音とともに疾駆する塊だ。巨大な図体をいとも容易く貫き、絶叫をあげさせた。すぐに蜘蛛は身体を翻して退散。茂みの向こうへと消えていった。



「あ、あの、ありがとう……死ぬかと思った」



 背中の幹を滑りつつ、マナは腰砕けになった。もはや立ち上がる体力も気力も残されてはいなかった。


 そんな女性に声をかけるのなら、気遣いの言葉が適切だろう。しかしランスレイトは、そんなセオリーに従う気は更々無かった。



「お前さ、全然向いてねぇよ。傭兵なんか諦めちまえ」


「自分でも分かってる。でも……」


「辞めたら借金塗れになるんだったか? 我慢しろよ。お前だったら酒場の看板娘でもやれば、そこそこ稼げるだろ。大変な仕事かもしんねぇけど、死ぬよかマシじゃねぇの?」


「それじゃあダメなの! それじゃ……」



 思いの外に強い返答に、ランスレイトは眉を潜めた。この察しの悪い男でも、何か感じるものがあるのだ。



「私のお母さん、病気なの。簡単には治せない難病なんですって」


「そっか。それは、大変だな」


「支度金を貰えたから、高い薬を試すことが出来たの。でも、思ったより元気にならなくて」


「じゃあ打つ手無しじゃねぇの。どうすんだよ」


「この学園には、たくさんの魔導書があってね。しかもタダで学べるのよ。私はそこで、最上級の回復魔法を覚えたいの」


「それが使えりゃ治せんのか?」


「分からない。でも、治療師様が言うには、他に無いだろうって」


「なるほど。それがお前の残りたい理由って訳か」


「うん。だからね、私の事は気にしないで。頑張って強くなって、魔法を覚えたいから」



 ランスレイトはその場でマナに背を向けた。それから膝を折り、アゴをしゃくった。



「どうしたの、それは?」


「背負ってやるよ。早く乗れ」


「さっきも言ったでしょ。私は強くならなきゃいけないの。だからこの訓練も自力で……」


「急に強くなれる訳ねぇだろ。今出来ねぇ事は明日も多分無理だ。でも来月くらいなら出来る様になってるかもしれねぇ」


「えっ……」


「目標があるんだろ。だったら博打みてぇなやり方は止めて、誰かに甘えちまえ。こんな所で野垂れ死んだら、誰が母親を助けるんだよ」



 今の言葉は効いた。頑なに拒み続けたマナが、肩に手を回し、背負われる事を自ら進んで受け入れたのだ。



「うわっ、お前軽いな。もっと飯食えよ飯を。だからそんな小っさいんじゃねぇか」


「仕方ないでしょ。貧乏だからご飯を食べられなかったんだもん」


「でかくなったのは胸だけかよ。どんな理屈だ」


「ちょっと、やめて! 変な目で見ないでよ」


「暴れんなって。頭に柔っこいのが当たって落ち着かねぇ」


「なっ……! 助けるフリして下心が有ったって事!? 下ろしてよスケベ! ヘンタイ魔人!」


「耳元でキィキィ騒ぐなよ、うるせぇな!」



 それから、やたらと騒がしい2人は魔獣蠢く一帯を駆け抜けた。ランスレイトは両手を塞がれるハンデを背負いつつも、迫りくる敵を飛び越えるか、足蹴にして撃退するかして難を逃れた。


 そして遂に、皆が待つ休息地まで辿り着く。喜色満面の出迎えに、コリンの感涙も添えて、ひと騒ぎ起きた。


 そんな止むことのない喜びに包まれる中、1人ランスレイトだけは無関心を貫いた。そっぽを向いて、冬空に向かってアクビを放つばかりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る