第2話 二人のお鍋

 女とあなどられることが一番嫌いだ。そもそも、男はなんだってあんなに偉そうなんだろう。


 東篠とうじょう亜子の家は、篠平という妖狐の里を治める篠平家に代々仕える家で、彼女はそこの一人娘となる狐だ。当然ながら、篠平本家を盛り立てるのが亜子の役目であるが、周囲のジジイどもからは小さい頃から「女狐めぎつねのおまえに何ができる」と言われ続けてきた。なんせ、亜子が生まれた時、死んだ彼女の祖父でさえ両手をついて落胆し、「この子に立派な男子を生ませろ」と言ったのは、40年近くたった今でも有名な話だ。

 アラフォーとは言え彼女の見た目は二十代後半、胸にも腰にも艶のある健康美を誇る。子供だってこれからでも全然遅くはないわけで、いやむしろこれからが本番なのかもしれないが、冗談じゃないと当の本人は思う。


 昔から稽古は男と同じ扱い、どんなに辛くても弱音は吐かなかった。おかげで、今では男と同じように仕事を任されるようになっている。当然、色目で見られることは大嫌い、女だからと特別扱いされるのも腹が立つ。そうやって、男という存在といがみ合って生きてきた。




◇ ◇ ◇

「ねえ次郎、聞いてるかい?」

 年季の入った小さな古民家の質素な居間。粗末なこたつに頬杖をついて座りながら、亜子は台所に向かって呼びかけた。古いストーブの上にかけられたヤカンからは湯気がシュッシュッと忙しなく上がっている。外では唸り声のような風が吹いていて、今夜はまだまだ荒れそうだ。

 そして、奥の台所では「かかか」と笑う男の声が。

 恋人の稲山総次郎だ。ここは、彼の師匠である百日紅さるすべり先生の家であるが、家の主は所用で不在だ。先生が留守なのに勝手に入っていいのかと彼に尋ねたら、「ここは俺の第二の実家なのよ」と図々しい答えが返ってきた。

 質実剛健を絵に書いたような部屋は、当然ながらテレビもなければパソコンもない。総次郎は「先生が留守の時は、おまえも好きに使っていいぞ」と言ってくれたが、それはただの空き巣じゃないかと思ってしまう。

 それにようやく、あの大妖狐の弟子、百日紅さるすべり先生と知り合いになれたのだ。本当なら、先生がいる時に訪れ、彼からもっといろいろと教えを乞いたいと思う。しかし、なぜだか総次郎が会わせてくれない。

 しょうがないので、亜子は先日篠平であったどうでもいい面倒事を総次郎に愚痴っていた。

「おまえはお節介が過ぎるんだよ」

「だって放っておけないじゃないか」

「ま、そこが亜子らしいんだけど」

 言いながら総次郎がグツグツと煮立った土鍋を持ってくる。今夜は、彼女の大好きな鶏と野菜の鍋だ。

美味おいしそうだねえ」

「あたりまえだ。誰が作ったと思ってんのよ」

 総次郎が呑水とんすい蓮華れんげ、そして箸を並べてくれた。二人とも全国を回って、あやかしがらみの厄介事を解決するという似たような稼業をしている。この狭い業界、当然、出くわすことも多々あって、気がついた時には顔見知りになっていた。二人で野宿をしたり、古参のあやかしの住みを間借りしたりして、自炊することも多い。そしてそんな時は、決まって総次郎が料理をしてくれる。

 会って間もない頃、「きっと料理が苦手だと思われている」と思い、彼に炊事を申し出たことがある。そしたら、「俺が世話をしてえの」と返ってきて、不覚にもきゅんときた。

 思えば、あの時にはすでに惚れていたんだと思う。悔しいから絶対に口には出さないが。


「うん、おいしい」

 ぷるぷるの鶏をほおばり亜子は上機嫌な声を上げた。それを見て、総次郎が得意気な顔をする。

「野菜もちゃんと食えよ」

「食べてるよ」

「シメはおじや? それとも麺?」

「悩むな。てか、その前にビール!」

 蓮華で二口目を口に運びながら亜子が片手を上げる。総次郎が肩をすくめながら「へいへい」と立ち上がった。


 もさっとしたくせ毛に、あごヒゲが良く似合う。いい加減なように見えて、押さえるところはきっちり押さえてくるし、さらりと冷たい奴かと思いきや、すっと懐に入ってくる気安さもある 。そして、なぜだか料理が上手い。亜子が知る稲山総次郎とは、そういう男だ。

 長年、こういう稼業をしていると、危険な目にうことも度々だ。そんな時、総次郎に幾度となく助けられた。最初は、男に助けられたということが悔しくて、差し伸べられた彼の手を振り払っていた。

 しかしある時、彼に言われた。

「おまえ、何にそんなに噛みついてんの?」


 痛いところを突いてくる。

 思えば、総次郎は「女だから」なんて理由で、こちらの行動を止めたりはしない。だから、ちょっと無茶をして、大怪我をしても顔に傷を作ってきても、「いいつらだ」と褒めてくれる。

 そんな彼が助けてくれる時は、女だからとあなどっているわけではなく、自分の実力が足りない時だ。だからそれは、素直にちゃんと認めないといけない。昔は、「自分が女で男でない」ことを指摘されたような気がして、それが出来なかった。

 

 総次郎が缶ビールを二本持ってきて、亜子と自分の前に置いた。二人で同時にプルタブを開けると、プシュッという音とともに泡が弾けた。

 そのまま缶を傾けてグビッとビールを飲む。ビールが喉を通りすぎ、身体中に染みていく。ふと亜子は、缶を持つ総次郎の手に目をやった。ごつっとした長い指が、亜子はなんとも言えず好きだ。彼女は、無性に触りたくなって、手を伸ばして彼の指をなぞった。

「あん? 急にどうした」

「ふふん、別に」

 笑い混じりに答えると、総次郎が苦笑した。

「変な奴だな。たった一口で酔ってんのか?」

 酒には酔っていないが、この男にはけっこう酔っていると思う。

「私、けっこう見る目はあると思うんだよね」

「自分で言うか」

「次郎も見る目があると思うけど、」

「それな」

 総次郎がニヤリと笑う。そして彼は、絡み付く亜子の指を一旦ほどくと、缶ビールを傍らに置いて、今度は自分から彼女の手を絡め取った。

「俺は、昔から女だけは外したことないのよ」

 彼の言葉の中に、自分以外の複数が含まれていることに若干の引っかかりを感じつつも、褒められているらしいので聞き流す。すると、総次郎が急に声のトーンを落として言った。

「出来れば、おまえの子供を見たいんだけど」

「……へ?」

 あやうく缶ビールを落としそうになる。何を言い出すかと思ったら、いきなり「子供」ときたもんだ。

「なに、私に刀を置いて、立派な男子でも産めって言うのかい?」

 びっくりしたのと、気恥ずかしいのと、そして少し腹立たしいのとで、亜子は握られた手を引っ込めた。子供のことを言われたのは、いったい何年ぶりだろう。彼女の父親にいたっては、この放蕩ほうとう息子ならぬ放蕩ほうとう娘にもう期待さえしていない。

 子供なんて柄でもない、と思う。いわゆる「母親」らしく子供の世話をしている自分の姿なんぞ、想像しただけでも身震いする。

「じょ、冗談じゃない。なんで子供なんか──、刀を置くつもりはないよ」

「じゃあ、持ったまま乳やりすればいいじゃんか」

 総次郎が頬杖をついて口の端に優しげな笑みを浮かべる。

「俺、いいと思うのよ。おまえの子供」

「刀を片手に持った母親なんて見たことない。それにいろいろ自信が──」

「なんだ、面倒くせえな」

 不安な亜子の気持ちが伝わったのか、それとも最初からそう思っていたのか、総次郎が言った。

「だから、俺が世話をしてえの。亜子も子供も」

 そして彼はニッと笑った。

 ああ、ダメだ。不覚にもきゅんときた。


 いつも、男という存在といがみ合って生きてきた。でも、本当にいがみ合っていたのは自分の中の女という存在だったのかなと、亜子は思う。


「……次郎は、男と女、どっちが欲しい?」

「亜子の子供ならなんでもいい」

 試しに聞いてみると、あっさりとこちらの望む言葉をくれた。いろんな意味で、総次郎には守られている気がする。守られる立場は好きじゃない。でも、相手が総次郎だと悪い気がしない。たぶん、彼が自分を対等の相手として認めてくれていると分かっているからだと思う。


 だったらこの先も、この世話好きな男にずっと世話をされてもいいのかなと、亜子は思った。

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