23、怨霊事変

 少女は死を間近にし、過去を思い出していた。

 それは思い出したくもない辛い記憶、思い出せば出すほど、自分を嫌い、他人を嫌い、この世界を嫌いになってしまう記憶。

 本当は忘れたい、モノクロの記憶。



 何十年も前、いや、何百年も前の話かもしれない。

 いつの出来事かも分からない、それはいつの間にか起こったこと。日常の中でありふれた景色、その端に映るか映らないかくらいの出来事。



 少女はある夫婦のもとに生まれた。

 その夫婦は少女を売り物のように扱っていた。そのことに少女は別段悲しむ様子もなく、ただ淡々と日々を過ごしていた。


「あなたにはまた商品として頑張ってもらうわよ」


 母の声がする。仕事の時間だ。

 少女は足を進め、仕事場に向かう。


 そこは全面が石の壁で覆われ、逃げる場所もない。その部屋の中央に椅子に縛られた男が座っている。

 少女はチェーンソーを持ち、男の耳元でその音を聞かせた。


「や、やめろ。何をするつもりだ」


 男は叫ぶが、少女はお構い無しにチェーンソーを男へ振り下ろした。男の全身には深々と傷が刻まれ、血が周囲に錯乱する。

 そんな仕事を少女は何年も続けていたある日、少女は死んだ。

 ーー死因は不明。

 ただ言えることは、少女は無数の怨霊を体内に抱えていた。これまで傷つけ、痛めつけてきた者たちの悲痛な叫びや憎しみ、怒りが少女という器には存在していた。


 死後、少女は思う。


「ーーああこの世界、壊れ逝け」


 少女は崩壊を望んだ。

 翼の生えないその器で。




 死を間近にして思い出した過去に、少女は笑っていたーーいや、嗤っていた。

 高らかに声を出し、銃弾によって修復不可能な傷を負いながらも、少女は嗤っていた。


 不気味な少女に、ラリーやシエル、リアライゼたち生徒は脅えていた。


「私はこの程度じゃ死なない。私を殺したければ、この世界を壊すんだな」


 そう叫ぶ少女に歩みより、ラリーは少女の口に長銃の銃口を入れた。少女の口は塞がり、声が出づらくなる。


「お前はもう死ぬ。最後くらい静かに死んだらどうだ」


「わわしわうぇっだいおあえあをおおす」


「恐い恐い。だが今のお前じゃ何もできねぇよ。いい加減成仏しやがれ」


 ラリーの銃口が火を吹き、少女にとどめを刺したーー


 少女という脱け殻は溶けていき、死んでいった。

 だがあくまでも破壊したのは少女の不死性を保つための器だ。問題は結界内で戦っているメイサエルが死神を殺せているかどうか。


 やがて結界が崩壊し、その結末が明らかとなる。

 一本の槍がある人物の腹を貫いている。その槍は赤く染まっているーーわけではなく、白かった。その槍にある女性の血が滴り落ちている。


「……メイサエル!?」


 死神に槍を奪われ、その上腹を槍で一突きにされている。腹には風穴が空き、メイサエルは血反吐を吐く。

 メイサエルは倒れ、彼女の頭を踏みつけ、死神はラリーらを睨み付ける。勝ち誇った笑みで。


「さあ終焉の幕開けだ。お前たちは皆ここで終了する運命にあるが、構わないよな」


 死神は微笑み、そう言う。

 メイサエルが倒された以上、彼を止めることができる者は誰一人としてこの世界にはいない。


「シエル、まだ戦えるな」


「静止しろ。そのまま自分の心臓部をつらぬーー」


 シエルが言葉で死神を操ろうとしている最中、シエルの心臓部を死神が貫いた。


「これで良いのかな?」


 シエルは口から血を吐き出し、膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。

 あまりにも一瞬の出来事に、すぐ側にいたラリーでさえも対応できずにいた。


 しばらくしてようやく状況を呑み込んだラリーは二丁の長銃の銃口を死神に向け、銃弾を乱射する。だがその全てを死神は回避し、一撃も受けることはなかった。

 その状況で死神はラリーの懐まで忍び寄り、腹に重たい一撃を入れた。ラリーは大きく吹き飛び、校舎を半壊して破壊した壁を下敷きにして倒れた。


 校舎には生徒がいる。

 先生たちが死神によって倒され、生徒たちは恐怖する。

 脅える生徒たちの表情を楽しみながら、死神は微笑んで生徒たちに近づいていた。


「皆、下がってて。ここは僕がやる」


 生徒が全員脅え、足をすくめる中、彼だけは勇敢にも前に出た。


「君は、確か悪魔と天使との混血ーーチルドレンか。私も悪魔の血と天使の血が混じっていてね、本当に気持ちが悪いよ」


 死神は腕を一振りする。

 刹那、刹那の間にチルドレンが消えた。


 一瞬生徒らは何が起きたのか理解できず、固まっていた。その後壁から激しい音が聞こえ、その方向を見て生徒たちは気付いた。

 壁に体を倒し、チルドレンが気を失っていた。


 ーー瞬殺


 チルドレンが一瞬で敗北し、生徒は脅える。


「久しぶりだな、天使見習いを殺すのは。やはり夢と希望に満ち溢れている、君たちのような世代を殺すのは私にとっては大好物でね」


 面白おかしく、生徒たちの反応を楽しんでいる。

 脅える者、震える者、声も出ず恐怖する者、泣き叫ぶ者ーー




 ーーチルドレンのように戦いを挑む者



「君は、リアライゼか。君のような非力な天使が戦っても彼のように死ぬだけだよ」


「構わない。私は自分の心に誓ったんだよ。最期くらいは戦って死のうと」


 リアライゼの勇敢さに、死神は安堵する。


「やはり君は素晴らしい。私が期待していた通りに動いてくれた。だからこそ君にはここで死んでもらいたくないんだよ。是非とも君には私とともに来てほしい」


「嫌だ」


「やはり君は私に似ている。だからかな、私は君を嫌いになれない。むしろ心の底から大好きさ。今の君みたいに意地っ張りなところとか」


「私がお前に似ているはずがない。私は私だ、リアライゼだ。二度と私とお前が一緒だと言うな」


 リアライゼは弓を構え、死神に矢を定めた。

 死神はそれでも平然とし、リアライゼに手を差し伸べる。


「リアライゼ、君は私と来るべきだ。それとも君はここでか弱いクラスメートとともに死ぬつもりか」


「私は死なない、クラスメートも誰一人死なせない。私が皆を護るんだ」


「無理だ」


「無理じゃない」


 速攻でリアライゼは言葉を返した。

 この状況でも依然として、リアライゼは果敢に振る舞っていた。クラスメートの大半が彼女を英雄と、そう評している。


「君はバカだ。だがそれも仕方がない。だって君は私の一部から産まれた怨霊だからね」


「ーーえっ!?」


 冷やかしか、それともただの嘘か、だが確かにリアライゼは思考が混濁していた。

 動揺しているリアライゼに、死神は続けて告げる。


「君、今まで思わなかったのか?君は他の人よりも優れていると」


「思ったことなんて……」


 ーーない。

 それがリアライゼの確かな答え。


「いや、気付いているはずだ。なぜなら君は優秀だから。他人に嫉妬されないように、自分が優秀ではないただの凡人であると周囲に知らしめたかった。だから君は優秀ではないふりをする」


「私が優秀?」


「君ならいずれ私を殺すほどの力を手に入れる。だが今の君では私を殺すことはできないし、それに君を傷一つつけられない。君と話している時間はない、だから後ろの生徒たちは今すぐにでも殺そうかな」


 死神が足を踏み出した。

 クラスメートが殺される、身の毛もよだつほど、リアライゼは恐怖に支配されていた。恐怖がリアライゼの背中を押し、引き金を引かせた。

 精神が不安定な状態で放たれたリアライゼの矢は巨大化し、死神を突き飛ばした。矢が巨大化するのは想定外だったのか、死神ですら硬直していた。


 リアライゼは矢を見て、騒然としていた。


「死神を……倒した?ーー」


「ーーと思うなよ。私を殺せるはずがないだろ。私はこの程度の攻撃で死ぬことはない」


 リアライゼの背後に死神が立っている。


「リアライゼ、君には折角チャンスを与えたのに、残念だ。君にはここで死んでもらおうかな」


 死神はリアライゼの頭部に拳を振るったーー寸前、エニーが矢を放ち、死神の腕を吹き飛ばした。

 反撃をしてこないと油断していた死神にだからこそ、エニーの攻撃が命中した。


「お前、やってくれたな」


「リアライゼから離れろ」


 死神はリアライゼの側にはいない。

 既にエニーの懐まで移動していた死神は、エニーの腹に拳を進めた。その拳をパンテラとレイグレンが剣を振るって斬り飛ばした。


「また……二度も攻撃を受ける羽目になるとはな」


「とどめを刺すぞ」


 スコーピオンやテス、その他クラスメートらが一斉に死神に武器を向けるーーだが、


「私を殺せると思うなよ。お前ら全員皆殺しだ」


 次の瞬間、教室に広がっていたのは、血まみれの生徒。

 全員が圧倒的脅威に敵わず、敗北していた。


「瞬殺か。全く、手応えがないっていうのは楽しいね。この調子でもっと弱い天使と戦いたいけど」


 死神は倒れている生徒たちを見下ろす。

 まだ全員息をしている。


「死なないか。ただ周囲に強烈な風を送っただけだからね。死なないのなら、何発耐えられるか試そうかーー」


「ーー貫け、紅蓮の槍」


 突如、燃える槍が死神の側頭部から振るわれた。それを紙一重でかわした死神だが、蹴りが死神の顔に直撃し、屋根を突き破って校庭まで吹き飛んだ。


「この威力、まだ生きていたか。メイサ」


「死ねるかよ。まだお前を殺してもいないのに、こんなところで死ねねえんだよ」


 メイサエルの槍はこれほど以上に赤く染まり、火炎を纏っている。激しく燃える赤い炎を纏う槍を構え、鋭い眼光を向けている。


「私の生徒に手を出したんだ。それだけでお前は死刑の対象だ。首差し出せよ。すぐにお前を殺してやるから」


「嫌だね。それに君に私が殺せるかな。風穴が空いたその体で」


 メイサエルは身体のいたるところから血を流している。

 それでもメイサエルは勇ましく叫ぶ。


「殺す、お前を」


 羽を大きく広げ、メイサエルは勢いよく死神に飛び込んだ。死神は両腕で何とか槍の一振りを受け止めるが、右腕が燃え上がりながら吹き飛んだ。


「何!?」


「まだだ」


 燃え上がる槍は颯爽と振るわれ続け、今度は左腕を斬り飛ばす。

 生徒たちに斬られ、再生したばかりの腕が再び斬り落とされ、死神は激昂する。


「よくも、私の腕をぉぉぉおおおお」


「弱いから死ぬんだろうが。お前は弱い。だからここで死ぬんだよ」


 メイサエルの槍が死神の胴体を切断した。

 槍での攻撃はさらに素早くなる一方で、もう逃れることはできない。死神の首に槍が進む。


 ーー私が……私が死ぬ?有り得ない、有り得ない。私はまだこの世界に復讐を遂げていない。まだ報復を終えていない。なのに……ここで死ぬ?


 悲しみにくれ、死神は涙を流した。そんな彼女の首を、容赦なくメイサエルは跳ねた。

 斬り飛ばされ、血が弧を描きながら宙を舞い、そして地を転がった。


「シラギ、君は優秀な天使になるはずだった。きっと、私がいなければ、今頃、君は私よりも優秀な天使になっていたのだろう」


 少女に身体を奪われ、シラギの人生は終わった。

 その時から、メイサエルはずっと後悔していたーーし続けていた。


 シラギの苦しみに早く気付けていれば、シラギともっと話せていれば。

 結局私はシラギのことなんて見ていなかった。視界の片隅にそっとシラギの面影を映すだけで、私は見ようとしなかったんだ。


「ごめん、シラギ。多分、全部私のせいだ」


 罪に苛まれ、メイサエルは空を見上げる。

 そんな彼女の後悔を背負った背中を、誰かが叩いた。それは勇気づけるような、というよりも背中を押すような。


 ーーメイサエル、僕を救ってきれてありがとう。


 最期に、誰かがそう言った。

 メイサエルはその声がある少年の声とよく似ていて、一瞬、戸惑った。

 だけどその声を聞けたおかげでメイサエルは前を向くことができた。ずっとひたむきに罪を背負い続けてきた彼女に、ようやく陽光が差し掛かる。




 今日、この日ーー怨霊事変は終結した。

 死神という少女の死をもって。

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