20、絶望の死地

少女の左腕から出現した数体の怨霊。それらを見てスコーピオンとエニーはすかさず武器を構え、攻撃を開始する。

弾丸が怨霊を撃ち払い、矢が怨霊を撃ち落とす。


「今七体の怨霊を召喚したんだけど、一瞬で倒されちゃった。君達もう戦う力なんて残っていないのにどうして戦うの?」


嘲笑いながら少女は問いかける。

問いかけに対し、スコーピオンは銃口を少女の向けながら、エニーは弓を少女に向けながら、背中合わせで二人は言った。


「「最期くらい戦って死にたい。だからどんな状況でだって戦うんだよ」」


「そういうの、見ていて気持ち悪いんだよね。私の怨霊に喰われて死ぬと良いよ」


少女の左腕が吹き飛び、地面に転がった。

その左腕はぶくぶくと膨れ上がり、やがて化け物へと姿を変貌させた。その姿は怨霊、というには禍々しく、化け物、というには恐ろしすぎた。

全身を漆黒で包み込んだ謎の怨霊、それを前にして、スコーピオンとエニーの足は震え始めた。


「勝てないよ……、こんな化け物」


戦意喪失するほどに、敵は偉大で強大だった。

恐ろしい、なんて生易しいものはない。それ以上にもっと危険な何かがそこにはあった。


「その怨霊は君達天使見習いなんかじゃ到底殺すことのできない化け物でね、そして大天使と同等の力を持つ化け物さ」


肌で感じることのできる恐怖と圧迫感、それがエニーとスコーピオンの首を強く締め付ける。

形も分からない怨霊は、全身を黒い霧で包み込んでいる。霧の中から突如として手のようなものがエニーに向かって伸びていく。


「殺せ」


エニーは恐怖で動けず、固まっていた。

隣にいたスコーピオンがエニーを突き飛ばし、代わりに怨霊の禍々しく重たい一撃を全身に強く受けた。スコーピオンは大きく地面を転がり、全身から血を流して倒れた。


「早々に退場か。私はもう少し楽しみたかったんだけど、援軍に天使が駆けつけて来ちゃったら面倒だし、もう一人もさっさと殺しちゃいな」


少女の指示に従順な怨霊は再び黒い手を伸ばし、エニーへ攻撃する。しかしその腕は銃声とともに吹き飛んだ。

銃声が鳴った方へ視線を向けると、そこには倒れていたはずのスコーピオンが血を流しながら長銃を片手で構え、銃口を怨霊に向けていた。


「俺が死んだなんて誰が言った。俺は、まだ死んじゃいない」


「面白いね。でも無駄だよ。この怨霊の腕を吹き飛ばしたところで一秒もかからず再生する。それがどういうことか理解できる?」


「一秒も経たずに殺せば良いだけだろ」


スコーピオンは銃を両手で構え、怨霊に向けて乱射する。だがスコーピオンが一秒に放てる弾丸の数は精々二発。そのペースでは到底怨霊を殺しきることはできない。

実際、スコーピオンに銃弾を浴びせられている怨霊は微動だにしていない。それは攻撃を受けてもすぐに再生し、致命傷になることはなかったから。


「ゼロ秒射撃のラリー、彼女みたいに一秒に何十発も射撃できるほどの強さがないとこの怨霊には勝てないよ」


スコーピオンは力を使いすぎた。全身が疲労感で襲われ、銃弾一発放つだけでも意識が飛びそうだった。それでもスコーピオンは倒れない。

その姿にエニーは掻き立てられる。


「スコーピオンはもう下がってて。あとは私がやる」


そう言ってエニーは弓を精霊化させて体内にしまい、剣を取り出して両手で構えた。


「エニー、何をするつもりだ」


「回復するとしても、怨霊の致命傷となる部分を見つけられれば良い。だけどあの怨霊は黒い霧を纏っていて、どこに体があるのかすらも分からない。なら、もう接近戦しかないでしょ」


「無謀だ。遠距離だったお前が近距離に移行だなんて」


エニーは近距離の武器を手にしたことすらない。近距離で怨霊と戦いたくない、そんな願いが彼女に弓を手に取らせた。

だから彼女が近距離で戦うことはないし、自分でもエニーはそう思っていた。


ーーだが、目にした。


仲間が命懸けで怨霊に立ち向かっていく姿。それを見ているとエニー自身も何もしない自分に嫌悪感が増して仕方がなかった。

このまま何もしないで仲間を見殺しにするなんてできない。だから少女は剣を取る。


「言ってなかったけどさ、私が抱えている悩みっていうのはさ、天使やめたいなっていうのだったんだ」


「やめる!?」


「私、普通に弱いじゃん。他のみんなは怨霊相手にも怖じ気づかずに戦ってる。でも私は怖いんだ。怨霊は普通に怖いし、戦いたくなんてない。それでも戦う時が来て、私は逃げたくなって、多分このまま天使見習いを続けてたら、この羽でどこか遠くに逃げるんだろうなって」


自分の気持ちを振り返りながら、エニーは自信なさげに呟く。


「多分、あの怨霊に飛び込めば私は死ぬ。それでもリアライゼやスコーピオンは戦った。なら私も戦わなくちゃね。最期くらい、戦って死にたいよ。だからごめんね。私は今ここで死ぬけど、今日は楽しかったよ」


笑顔でスコーピオンに振り向いて伝えて、エニーは剣を両手に怨霊に飛び込んだ。誰も勝てるはずのない怨霊に飛び込んだエニーに、怨霊は無慈悲に黒く禍々しい手を伸ばす。

その手を剣で斬り飛ばし、さらに前へと突っ走る。しかしエニーに今度は三本の腕が伸びる。


「たかが二本で私をとめられるものかぁあああ」


エニーは剣で怨霊の腕を二本斬り飛ばした。だが一本が残り、その腕にエニーは掴まれた。


「握り潰せ」


怨霊の腕力から抜け出せず、エニーは怨霊に握りしめられる。全身が圧迫され、激痛に苛まれる。

エニーが苦しみ叫ぶ様を、スコーピオンは黙って見ていられなかった。疲労で痺れる体を起こし、力のない手で銃を掴む。


「死なせるもんか。エニーは、死なせない」


銃は握れても、肩が上がらない。腕が限界をとうに越えており、これ以上何かをすることは不可能に近かった。それでもスコーピオンは必死に腕を上げ、意識が飛びそうな状態で銃口を怨霊の腕に向けた。


「エニーを、離せ」


引き金が引かれ、怨霊の腕が吹き飛ぶ。エニーは怨霊の手から離されるとともに、スコーピオンは力尽きて倒れた。

意識が遠退く中、スコーピオンは願う。


「頼むリアライゼ、速く戻ってきてくれ」


しかしリアライゼは戻ってこない。

怨霊の腕から落ちるエニーだが、エニーが落ちた先には腕が迫り、再びエニーは腕に掴まれた。


「逃げられないよ。何で私の怨霊から逃げられると思っているんだよ。助けが来るとしても、天使学校からここまでの時間を考えると、来るのは最低でもあと十分は先かな。それじゃあ怨霊、その子を握り潰して、血の雨を倒れている少年に浴びせてあげよう」


その指示の下、怨霊の腕がスコーピオンの真上まで伸びた。


「さあ、握り潰ーー」


銃声が響く。

直後、天井に直径一センチの穴が空き、怨霊の腕が吹き飛んだ。


「何だ!?」


怨霊の腕を撃ち抜いた一撃は、湖上からの射撃だった。

湖上から神殿内部の様子を透視して銃弾を放った。


「間に合ったみたいだな」


長銃を二丁構え、木の枝をくわえながら現れたのは大天使ーーラリー。

彼女の後ろからはリアライゼが遅れてやってくる。


「リアライゼ、ここにいるのはエニーとスコーピオンの二人だけで間違いないんだな」


「はい」


「ならオッケー。殲滅と行こうか」


ラリーは何やら微笑んでいた。


「ラリー先生、何をするつもりですか?」


「封印殿内部に入るには湖内にいる怨霊どもが邪魔だ。だからそいつらを片付けるんだよ」


「片付けるって、怨霊の数は少なくとも一万以上はいますよ」


「そうか。さては私の異名を知らないな。私の異名を知ればすぐに分かるさ。これから私が行うことの簡単さと、その速さがな」


冷静に、それも余裕をかましながら語っている。

それほどのことがまるで朝早起きをするよりも簡単なことのように。



湖上に現れ、何かをしようとしているラリーを見て、死神は驚く。


「さすがに来るとしても速すぎる。さてはリアライゼたちをつけていたな。このストーカー教師め」


神殿内にいた少女に遠隔で会話をする。

死神と少女の意識は常に同位置にあるため、離れていても脳内で会話ができる。


「どうした?シラギ」


「とんでもない奴が来たよ。大天使の中でかなりクレイジーな女天使ーーのラリー」


「たとえ大天使だろうと……」


と、余裕をかましていると、神殿の外から巨大な爆発音を聞く。その音の正体を確かめるように、神殿の隙間から外の様子を見た。

そこで目にしたのは、湖内に無数にいた怨霊が銃弾の雨によって一掃されているところだった。

どう考えても湖内には怨霊が一万以上はいた。その怨霊が彼女の登場で瞬殺された。


「これはどういうことだ……!」


「すぐにその少女らを殺せ。早くしないとそっちに行っちゃうから」


「了解。怨霊、今すぐそいつを喰い殺せーー」


「ーーさせないよ」


湖上から感じる視線に、少女は脅える。

少女はさすがに湖上から正確にこちらを狙うことなど不可能だろうと、そう思っていた。しかし先ほど神殿に穴を空け、正確に怨霊の腕を撃ち抜いたことを踏まえ、少女は動揺する。


「まさか……」


直後、無数の銃弾が黒い霧を纏った怨霊に何百発も放たれた。怨霊の体は再生が追いつかないほどに撃ち抜かれ、一瞬にして全身を灰のようにされ、とうとう消失した。


「私の怨霊が……」


当然驚きを隠せない。


「さあ、次は若いお前を殺そうかな」


「私は体内で怨霊を生成できる。つまりさっきみたいな怨霊も簡単に作れるんだよ」


少女は怨霊を召喚しようと左肩を剥ごうとしたその時、死神が少女の背後に現れた。


「シラギ、来ちゃったんだ」


「そりゃ来るさ。あのストーカー教師、相当な強さを有しているからね」


その時、天井を突き破ってラリーとリアライゼが神殿内に現れた。


「ゼロ秒射撃のラリー、君は優秀だな。だからこそ僕は君が嫌いだ。分かるかな?この気持ち」


「分っかんねえし。勝手に気持ちの理解とか押しつけてんなよ。面倒くせえ」


死神を前にしても、ラリーは動揺の片鱗を一切見せない。

自分の実力に相当な自信を持っているのか、それとも……


「ねえ君、僕のこと知らないでしょ」


「あ?お前有名人なのか。だとしても私に知られるには知名度が足んねえよ。もう少し知名度を上げてから来い。クソボケが」


それに対し、死神は笑って返した。


「口が悪いな。だけど知られていない僕も悪いし、自己紹介をしようか。僕はこの世を終わらす使徒ーー死神」


その名が飛び出した瞬間、わずか一秒も経たず死神に向けて弾丸が放たれた。しかし死神はその弾丸を素手で掴んだ。


「安心しなよ。怨霊事変が起こる前に僕は死なないから」


死神の尋常ならざる強さに、ラリーから余裕の笑みが消える。


「ゼロ秒射撃のラリー、君は怨霊事変でかなり厄介になってきそうだ。だから君だけはここで殺してあげようかなーー」


「ーーその前に私との決着はまだかな」


突如頭上より飛来したメイサエルは柔軟に槍を振るい、死神の頭に激しい一撃をいれたーーが、死神は寸前で腕でメイサエルの槍の攻撃を防いでいた。


「君が来たか、メイサ」


「お前が私の名を呼ぶな。お前ごときに名など呼ばれたくない」


汚らわしいものを見るような視線で死神を見ていた。


「シラギ、お前はやはり殺しておくべきだったよ。あの時殺し損ねたことを、私は今になって後悔している」


「それはクラスメート十八人を見殺しにしたことと何か関係がーー」


メイサエルは死神が話す最中に高速で飛び回り、死神の腹に蹴りを一発入れた。すかさず槍での攻撃を二発三発とするが、それを全てかわされる。

死神は少女とともに距離をとる。


「今ここで決着をつけても良かったんだが、逃げるのか、お前はまた」


「心外だな。ならお前をここで殺そうかな」


死神の黒目は赤く染まり、血に滲む。

その目にはメイサエルが映っている。しかしメイサエルの背後にもう一人天使が降りた。


「天上十六系クール系ミズエル、また随分と強い奴が現れたな」


それは予想外だったのか、死神は分が悪いと感じていた。


「仕方ない。ここは逃げの一手だ」


「また逃げるのか。あの時みたいに」


「確かにあの時みたいに逃げるさ。だがあの時は逃げてから次の策を練った。僕は確実に君を殺す。あの教室で血に染められていないのは僕と君だけだ。どちらが先に血に染まるかな」


メイサエルは槍を死神に投げるが、槍が触れる寸前で死神と少女は唐突に消えた。


「まあ良い。次会った時は必ず殺す。待っていろよ」


メイサエルは強く言葉を吐き出した。その言葉は強く、聞く者全てを傷つけるように。

殺伐としていたメイサエルだったが、すぐに表情を切り替え、彼女は言う。


「生徒の三人は天上塔でヒールエルから医療を受けろ。ラリーは生徒の三人に付き添え。ミズエルは私とともに湖の散策、そして封印殿化の解除だ」


「ああ」


それから湖を探したが、怨霊は一体もいなかった。

しばらくして湖は封印殿化を解除され、ただの美しい湖へと姿を変えた。


しかし彼はーー死神はまだ捕まらない。

今後、彼は無数の怨霊を従えてやって来る。その時、きっと彼は微笑むだろう。そして嘲笑うだろう。

世界に絶望を携えて。

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