――ユキ2――

 神様は「きわださま」と呼ばれていた。

 そういえば、私たちが祭りで着る着物も「希和蛇織きわだおり」だ。

 布や糸を持ち出しただけで、怖いことをするなんて、ひどい神様だと思った。


 祭りの前の晩、私は村のはずれのお堂の中に祭り当日に着るのと同じ希和蛇織の着物を着せられ、放り込まれた。

 逃げ出そうと思ったけれど、外からカギがかけられているのか出ていくことはかなわなかった。

 なんだ、ただの儀式じゃないか。

 こんな小屋の中に閉じ込められたとしても、時間がたてば朝になるだけ。

 私はこんどは外から入ってこれないように内側から閂をかけた。


 どれくらいの時間がたっただろう。

 きっと、このバカげた騒ぎに付き合えば、明日には日常がもどってくる。

 そう自分を励ましながら、私は何もない空間の中で時が過ぎるのを待った。


 そして、その時はやってきた。

 うつらうつらしていたつもりなんてない。

 なのに、気が付くと目の前に自分よりもずっと大きな黒い影があったのだ。

 なぜだか、その影は男だということだけはわかった。

 でも、姿ははっきりしない。

 その男は問うた。

 私にその男の子を孕む気があるかと。


 私は静かに首を振った。

 恐れ多いとはああいう感情をさすのだろう。

 声にだして答えることさえもできなかった。


 男、いや、神様――きわださまは言った。

「子供を孕めば願いを叶えてやろう」と。


 冗談じゃなかった。

 だけれど、私は抵抗することなんてできなかった。

 気が付くと私はその影に組み敷かれていた。

 でも、どんなにその顔が私に近づいても、たとえ唇と唇がくっつきあっても、私はその男の顔を判別することはできなかった。


 手も足も動かせない。


 唇を吸われたり、体の表面をすうっと何か羽根のようなもので撫でられる。

 体の奥からざわざわとした、感じたことないような感覚が浮かび上がってきた。


「あっ」


 思わず声がこぼれたとき――きわださまの前で声をだしたのはそのときが初めてだった――私の中になにか新しい塊が入り込んできた。

 それからのことはよく覚えていない。

 思い出したくもない。


 でも、確かなことは私はきわださまの子を孕んだ。


 それだけは確かだった。


 気が付くと朝になっていた。

 朝になると、お母さんが迎えにきた。

 家に着くまで、お母さんは何も言葉を発することはなかった。


 きわださまの子供を妊った《みごもった》。

 信じたくなかった。


 だけれど、私のなかに確かに何か別の生き物が息づいているのが分かった。

 そんなこと有り得ないはずなのに。


 セックスをしても、それが胎児としてはっきり分かるまでは何週間もの時間がかかる。


 でも、私のおなかの中には何かがいるのだ。


 トクンッ、トクン


 目を閉じると、心臓の音が聞こえる気がする。


 ありえない。信じたくない。


 だけれど、耳を塞げば塞ぐほど、自分の中のもう一つの心臓の音が聞こえた。




 私はその夜、夕べの忌々しい記憶から逃れようと、できるだけいつもと同じように過ごそうとした。

 幼馴染のヒロトと夏祭りにいったのだ。

 着物は昨夜、着ていたものだけれど。

 同じものを着てヒロトに会うのはいやだと思う同時に、ヒロトでその嫌な記憶を塗り替えてしまいたかった。


 ヒロトと一緒にいれば、忘れられる。

 忘れてしまえば、きっとなかったことと同じになる。


 そう思っていたけれど、私はあとで知る。

 きわださまはそれじゃゆるしてくれないということを。




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