第30話 花火

 ひゅーという空気を切る音が聞こえたあとに爆発音。

そしてそれから、ぱらぱらと炎の粒が散らばっていくような心地の良い音が鼓膜を揺らす。

 目的地の直前、どうやら僕は自分の体力を過信していたらしい。

 花火がはじまる時間には間に合わなかった。


「え、なに? 大丈夫なの?」


 アカネは花火の打ちあがる音が怖かったらしい。初めて雷を聞いたときの子猫のようにおびえている。僕の肩をつかむ手が震えてすこしだけ湿っているのが分かった。


「大丈夫。これが花火の音」


 僕がそう言うと、安心したらしく空を眺める。

 空には一発目の散りかけた花火と二発目の花火の種が打ちあがったところだった。

 間に合わなかった一発目の花火は今まさに散っていくところだった。

 花の形をうしない、光の粒は萎れた花びらのように落下して消えていく。

 光の粒が消えた余韻が胸を打つほど切なくて苦しくなった。


 少しの間、世界から音がなくなったんじゃないかと思うくらい何も起きない間があった。

 そして、その静寂が破られると次々と夜空に花が咲いていく。

 華やかな大きな花が咲き、小ぶりな花がたくさん咲いたり、変わり種の花が咲いたりしていく。


 僕は少し早足になって目的地に向かいながら空を見上げる。

 耳元では「わあ、すごい。すごい!」アカネが子供のように手をたたいて喜んでいる。

 ああ、もっとちゃんと見せてやらなきゃ。

 この笑顔のためにもっと努力しなきゃ。

 僕はそんな風に思っていた。

 案の定、僕の特等席には誰もいない。

 アカネを背中からおろして、二人で境内にすわって花火を眺める。

 こんな特等席がどうしていつものこっているのか不思議だ。

 だけど、最高の場所には変わらない。

 僕とアカネは花火を眺めながらここ数日の思い出とあるはずのない子供の頃の思い出を話した。

 夏がそうさせるのだ。

 夏休み最後の一日が、その輝かしい姿を覚えておけよと言わんばかりに迫ってくる。

 しずかに、たくさんのことを「そういえば」なんていって話し続けた。

 そういえばという度に空に大きな花が咲いては散っていく。まるで思い出の一つ一つが花火になってそれが夜空に飾られているような気分になった。


 ――そういえば一緒にかき氷食べたよね。

 ――そうそう、あのとき三人とも食べたい味はばらばらだった。

 ――そういえば一緒に図書館で本をよんだね。

 ――アカネはこの夏沢山の本をよんだね。

 ――そういえば、ヒロト。この前たべた海鮮丼美味しかったね。

 ――あれを水族館の魚だなんていってごめん。

 ――そういえば、流しそうめんセットはどこにいったの。

 ――多分、母さんによって納戸の奥深くに封印された。

 ――そういえば、一緒に夏祭りにいったね。


 僕たちの昔話はだんだん、昔のこと――嘘の記憶――ではなく、僕たちが本当に一緒に過ごした時間のことになっていた。ああ、話足りない。もっともっと、一緒にすごした思い出がたくさんある。たった一ヶ月なのにも関わらず、僕たちは本当に幼なじみみたいな関係ができていた。


 ああ、楽しかったな。


 僕が言ったのか、アカネが言ったのか分からない。けれど二人共気持ちは同じだった。

 気が付くと花火は終わり、あたりはすっかり暗くなっていた。

 遠くにみえる祭りの提灯もひとつ、またひとつと小さく弱々しくなって光が消えていく。静かに闇が押し寄せて、さっきまでの熱気が嘘みたいな冷たく心地のよい風がさあーっと僕たちを通り抜けていった。

 ああ、本当に終わってしまった。

 どうしてお祭りの後はこんなに寂しくて胸をしめつけられる気持ちになるのだろう。

 僕には可愛い妹も美人な幼なじみもいるというのに。

 一体何が足りないというのだろう。


「ヒロト、ありがとう」


 アカネがぽつりといった。泣きそうなのに満開の笑顔だ。


「どういたしまして」


 アカネの声をきいてすこしだけお祭りのあとの寂しさがやわらぐ。


「ねえ、もう一度手をつないでいい?」


 そういうとアカネは僕の手をとる。

「大きくてあったかいね」そういって、両手で僕の手を包むように握る。


 アカネは泣いていた。

 ぽろぽろと真珠みたいな涙をこぼす。だけど、目と口は笑った形をしていた。

 夏が終わるってこんなに寂しかっただろうかと胸が苦しくなる。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 そんな会話を家までの帰り道、何度も何度も繰り返した。

 なにがいけなかったのだろう。僕はなにかしてしまったのだろうか。それとも何もしなかったのが問題なのだろうか。僕は特等席だと思っていたけれどあんな薄暗い場所に連れて行って花火を見せたのは心細かったのだろうか。

 それとも、何か別のことを期待されていたのだろうか。

 なにか夏休みにやり遂げられなかったことがあるのだろうか。

 僕はいろいろと考えを巡らせるがピンとくる答えに出会えないまま僕たちの家の前についてしまった。


「じゃあ、また明日」


 家の前で別れるときに僕は確かにそういった。

 アカネも弱々しく頷いた気がした。


 だけど、翌日からアカネが僕の部屋に来ることはなかった。

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