第29話 再びの祭り
空気全体が熱をおび、その空気にあたった人がまた熱くなり更なる熱を生み出す。
祭りの日の空気はそういう特別な力をもっている。
神輿をかつぐ掛け声に、お囃子に屋台の呼び込み。人々が交わす言葉の数々。
ハレの日と呼ばれる祭りの日は、人を少しだけ狂わせる。
提灯のあかりにつられて、無数の羽虫がその羽根を焦がす。
人も浮かれた熱にあてられ続ければあの虫たちのように身を滅ぼすのだろうか。
食べて飲んでとにかく楽しむ。
そう、折角のハレの日。祭りの日。人はみんな狂ったように、普段入り込めない場所にぎゅうぎゅう詰めになっていく。
村の祭りと違って、街の祭りは夏の終わりごろに催される。
ラムネの瓶をひっくり返すと中のビー玉がコロンと涼しげな音をたてる。儚く脆いガラスだからこそ出せる音だ。最後の一滴まで飲みきれたことを確認するように瓶の中を覗き込むとその透明な青の向こう側には、最強の幼なじみがいた。
彼女の名前はアカネ。
この夏ずっと一緒にすごしてきた。
スタイルがよくて活発で美少女で僕に対する言動が最高に可愛い。
最強の幼なじみである。
そんなアカネがこちらをみつめている。
瓶を通すことによって水の中にいるみたいにふわふわと揺れるその像はとても神秘的だった。
ぐにゃりと視界が崩れかける。
ガラスのせいだけじゃない。瞳の一部が涙の膜で覆われたせいだ。
なぜだか急に胸に切なさというか、何かを失った気持ちになったのだ。
いや、そんなにおかしなことでも特別なことでもない。
僕たちは成長途中、思春期なのだから。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない。ただ、うれしくて」
アカネはそういって微笑んだ。彼女も僕と同じ感覚が押し寄せたのだろうか。ごまかすように笑って、手にもっていたリンゴ飴を一口かじる。
紅い飴でコーティングされた小ぶりなリンゴはぴかぴかで宝石みたい。
正直いうと、食べ物というより作り物めいている。
それでも、アカネの小さな口にかじられると、その薄紅色の衣はぱりんと爆ぜてリンゴ本来の白い果実があらわになる。アカネの白い歯によってかじり取られた白い果実からは甘くて爽やかな香りが金粒になって空気の中に溶けていく。
アダムとイブが楽園から追放されるきっかけになった禁断の果実であるリンゴを祭りというハレの日の定番の食べ物にしたのはいったい誰なのだろう。
金魚の尾鰭のような薄く橙色がかった赤の紅をさしたアカネの唇が官能的に蠢き、その奥では真珠のような歯が禁断の果実を擦りつぶし、白い喉を落ちていく。
単に、飴というころもをはがしリンゴの果実を咀嚼するだけの行為が妙に色っぽい仕草に見えた。
僕があまりにも無意識にじろじろみてしまったせいだろうか、
「一口食べる?」
アカネはかじってない方の赤くて無傷な局面を僕の口に近づける。
もう、唇につく寸前の距離感だ。
子供のときに聞かされた、童話のリンゴをたべて暗殺されかけたお姫様もこんな漢字だったのだろうか。この距離まで差し出されたら、断るなんて不可能だ。
しかも、リンゴは官能的に艶めいている。
僕は申し訳ないと思いながら、アカネに見とれていたとはいえないので一口かじる。
甘い。
口の中を傷つけそうな薄ガラスにも似た飴が歯を立てた場所からひび割れ、濃いリンゴの香りが鼻腔をつく。自然のもの独自の青臭さと酸っぱさ、そして微かな苦みが舌に広がる。そして、溶けたアメがすべてを甘味として認識させて去っていく。
思ったよりもその複雑で高級な味にうっとりとする。
禁断の果実を別った。
なんてロマンチックに言ってみるが、単に幼なじみと夏祭りでりんご飴を食べただけの話である。
アカネはしきり「楽しいね」と今日はやたらはしゃいでいる。
ああ、前にもこんなことをアカネとは違うだれかとしたような気がする。
今日もシオンは一緒に来なかった。いつも祭りの日は絶対一緒だったのに。昔、熱をだしていたのにそれを隠して僕と祭りにいって母さんにこっぴどく怒られたこともあるくらいなのに。
今日のアカネは浴衣を着ている。
白地にレモンと葉っぱの模様が描かれているとてもさわやかで可愛らしい柄の浴衣だ。
夕方にシオンに呼ばれて、居間にいくとアカネがいた。
「変じゃない?」
浴衣姿のアカネが僕に聞いた。
個性的な浴衣に僕がてれていると、
「トッテモキレイ」
シオンが答える。
「ありがとう」
アカネの頬が緩む。
そして、再び僕のほうをむいて「どう?」と首を傾げた。
なのに、僕はなぜだかとても照れくさくて、「きれいだ」とぼそりといった。けれど、アカネには聞こえなかったらしい。
それくらい、今日のアカネは特別可愛らしかった。
浴衣にしては珍しいレモン柄のせいなのか、アカネが可愛いせいなのかすれ違う人々が次々と振り返る。
「ほら、はぐれちゃ大変だから」
そういって僕はアカネの方に手を差し伸べた。
「ん?」
聞えなかったのかアカネは首をかしげる。
僕は急に恥ずかしくなって、その手を引っ込める。
ああ、こんなところで意地を張っても仕方がないのに。僕は馬鹿で阿呆でどうしようもない。
こんなときくらい変な意地なんて張らず、普通にかっこよく言えればいいのに。かっこよくなんかなくてもせめて素直にその手を捕まえられればいいのに。
「ねえ、手つなごう」
そういって、アカネが僕の手をぎゅっと握ってきた。
「そうだな」
そういって、わざとすこしだけ力を入れてアカネの手を握った。
あたたかい。
少しだけ震えているのは僕なのかアカネなのか。お互いを拒絶しないことを知っているのにも、もし拒絶したとしても僕たちが幼馴染であることは変わらないのにどうしてこんなにおびえてしまうのだろう。
だからこそ僕はしっかりと手を握った。
はぐれたりしないように側にいることを伝えられるように。
言葉で伝えるのは難しいからその分、アカネの手を強く握ることで伝えたかった。
***
金魚すくいに、ヨーヨー釣り、射的に輪投げ。
りんご飴にやきそば、わたあめにビー玉の入ったラムネ。
ああ、お面も忘れちゃいけない。
僕たちは夏祭りをおもいっきり楽しんだ。
儚い時間の最後の一瞬を全力で楽しむように僕たちはその祭りの夜を夢中で羽ばたいた。
どうやって過ごしても夏休みはもう終わるのだ。それならば、一瞬一瞬を大切にして最高の夏の思い出にしたい。
「ほら、こっち」
花火の時間のちょっと前、僕はひとごみが向かうのとは反対の方向に向かった。
神社の境内。
すこしだけ高台になったそこは花火から遠ざかる分、人気はなく静かに花火をみるのに特等席なのだ。
アカネは一瞬とまどった顔をしたけれど、すぐについてくる。
確かに、僕たちが向かおうとしている方向は薄暗くてちょと不気味だ。
女の子と二人だけでいくのはちょっと不安にさせてしまったかもしれない。計画していたときにはシオンもついてくるものだと思っていたので悪いことをしてしまった。
「怖い?」
僕はあわててアカネに聞く。怖いなら引き返して、ちょっと暑苦しくても人混みの中で手をつないだまま花火を見るのも悪くはない。
「ううん。大丈夫」
アカネはなぜだかうつむいたまま答える。真意を測ろうにもこちらを見てこない。
「やっぱりやめておこうか」
「ううん、行こう」
浴衣じゃちょっと歩きにくいかなと思いながら神社への道を歩く。
アカネの息が上がっている。
「ほら」
そういって、僕はアカネとつないだ手をほどいてアカネの前にしゃがむ。
「えっ?」とアカネがまた戸惑ったような態度をとるので、
「おんぶ、子供の頃もしてあげたじゃん」
そう、嘘の記憶。でも、きっと僕は幼いころに彼女と同じ状況になったら同じことをするはずだ。ならば、昔もそうやったといえばアカネも逃れることはできないだろう。
「ありがとう」
なぜだか、アカネの声は消え入りそうなくらい小さくて震えていた。まるで、世界が終わる話をしってしまった小さな子どもみたいに。
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