第25話 流しそうめん


「ヒロト、今日はみんなでお昼食べましょう。アカネちゃんも誘って」


 朝食の席で母さんはいきなりそんなことを言った。

 いや、幼なじみなら誘うのは確かに不自然じゃないけれど、実際のところアカネは本当の幼なじみじゃない。

 もしかしたら、母さんはおつかいのお駄賃として勝手に高級アイスクリームを自ら支給していたことにお怒りなのだろうかと一瞬だけ背筋が冷えた。


 なにかトラブルが起きたら……と思い、シオンに助けを求めるがシオンは特に気にした様子もなくパンにバターを丁寧に塗っている。

 ああ、例の黄金のバタートーストを作るつもりだなと合点する。そりゃあ夢中になるよな。あれは美味しいし、丁寧な作業が大事だから。


 一度焼いたパンにバターを塗り直して再度トーストする。かじればじゅわっとバターがしみ出るとても美味しいトーストになるのだ。シオンは非常に慎重にパンの白い部分を塗りつぶすようにバターを塗りたくっていた。真ん中にだけちょっと多めにバターを塗るのがポイントだ。


食パンの真ん中の白い部分は無限にバターが染み込むので、上にちょっとだけ多めにのせるとテレビでみるような真ん中にバターがちょっとだけのこった究極のトーストが出来上がるのだ。バターを塗り終わったシオンはトースターに張り付いてパンの様子を研究者のように真剣な目で見つめていた。


「オニイチャン、ドウゾ」


 シオンは僕に黄金のバタートーストを差し出した。

 なんと、僕のためだったのか。

 感動しながらトーストをかみしめる。

 じゅわりとバターがしみ出す。絶妙な塩気が食欲をそそる。

 美味しい。

 シオンはなんだかんだ兄想いのいい妹だ、

 こんなにめんどくさい行程を僕のためにやってくれるのだから。

 僕は幸せ気分のまま朝食を終え、母さんの命令どおりにアカネをお昼に誘った。


「ヒロトのお母さんが? めずらしいね」


 とは言ったもののアカネは素直に招待を受けてくれた。

 というか、そのまま家にきてキッチンに向かった。

 珍しいという記憶になっているのかとちょっと意外だった。


 母さんのことだから、「暇ならお昼たべていきなさい」と気軽に声をかけるイメージだし、なんなら僕がいないときでもアカネと母さんが二人、家でお茶をのんでいても不思議じゃないタイプだと思っていたのに。

 アカネのきちんとしれ礼儀正しい雰囲気にさっぱりした性格、母さんのおおらかな雰囲気にシオンを可愛がるようすから想像したらそちらのほうが自然な気がするのだが。


 作り物の記憶の設定というのは無理が生じることがあるのだろうか……。

 それとも、ユキとの記憶が関係しているのだろうか。


「おばさま。お久しぶりです」


 アカネの身のこなしは礼儀正しく手慣れたものだった。

 朝ご飯の後片付けをしていた母さんのよこにすっと立ち、「手伝います」と一言かけて洗い終わった食器をふきんで拭いて、場所をだいたい確認しながら食器棚にしまっていく。

 てきぱきとしているその姿はシオンよりも台所仕事に慣れた感じがした。そして、ユキよりも。ユキもよく手伝ったけれど、てきぱきというよりも優雅という表現が似合う身のこなしだった。


 別にシオンが家事が下手というわけではない。母さんはシオンをそばに置いておきたくてよくシオンに手伝いを頼むしシオンもそれを喜んでこなす。同世代の女の子よりずっと家事はうまいほうだろう。

 手伝いだけじゃなくて、母さんの趣味のお菓子作りもいっしょにやる。

 たいていあれくらいの年頃の女の子はバレンタインデーに手作りチョコを作りたがるが大抵の場合はひどいしろものか、チョコをひやして固めて表面に白いカビのようなファットブルームができた硬いだけのものができあがる。

 まともな手作りお菓子を持っていったシオンはクラスの人気者になったという。


 しかし、アカネの仕草はちがう。まるでプロの身のこなしだ。人と一緒に作業することを前提とした他人を気遣った動きというのだろうか。母さんのすぐとなりにいるのに、決して肘や肩がぶつからないようにしっかりとコンパクトに動いているのだ。


「アカネちゃんのおかげで早く片付いたわ。ありがとう。一仕事始める前にお茶にしましょうか」


 そういって母さんはダイニングテーブルにお茶とお菓子を並べる。

 とはいっても、お客さん用のではなく家族用のものだ。冷蔵庫から冷やした麦茶をとりだして日常使いの底の部分にたんぽぽみたいな模様が刻まれたグラスに注ぐ。

 このコップ、クッキーをつくるとき時々型につかえるというライフハックがあるらしい。


 雑多なお菓子が入った缶をぽんとおく。

 缶は茶筒を巨大にしたみたいなデザインでちょっとだけレトロだ。

 おでん屋さんの看板みたいなあたたかそうな赤色をしている。というか、この缶はいつだったか父親がおでんをテイクアウトしてきたお多幸の缶だ。

 普通の贈答用の可愛いだけのお菓子の缶とはちがってガチで中身をまもる雰囲気がなかなか交換がもてて愛しい。

 ああ、またあの店のおでんが食べたい。

 真夏におでんが食べたいと思わせるあの店の味はそれだけ特別だ。


 適当にとってたべてねということなのだろう、缶の蓋をとり、広告をおって作った小さなゴミ箱を広げる。覚えているだろうか。

 小学校のとき、ケシカスとかをいれるためにノートの切れ端で折り紙をしてつくる小さなものが入る箱を。いらない紙でつくるので箱ごとさっと捨てられて便利だ。

 ただ、さすがにもう小学生のときのように大量にかいて間違えたのを消すなんてことはあまりしなくなったので使わないが、なぜだか我が家では常時ストックされている。母さんはまめだ。こうやって休憩してお菓子をたべてたり、テレビをみるときにササッとこういうものをつくってしまう。


 ちょっとこうやって心の中で褒めているのにも関わらず、母さんはのんきな顔をして、缶から個包装のクッキーを取り出して食べる。まあ、このほうが客人もお菓子に手をのばしやすくなるのは確かだ。


「アカネちゃんがうちに遊びに来るなんて久しぶりね。昔は毎日のように来てくれてたのに」

「なかなか顔を出せなくてすみません。最近、いろいろ忙しくて」


 母さんとアカネが当たり障り無く会話する。

 本当は初めて来たのに。

 目をつぶるとまるで、ユキと母さんが会話しているんじゃないかと錯覚しそうになる。


「綺麗になったわね。それに比べてヒロトったら相変わらず子供のままでいやになっちゃうわ」

「いえ、昔に比べたらずっとおちついてますよ」


 そういって女二人で僕を会話のだしにしてクスクス笑う。

 なんだか、本当にずっとこうやってお互いに知っているみたいだ。

 そしていつの間にか話題は僕のことが中心になる。


「あのときヒロトったら泣いちゃってねえ」

「そうそうあれはびっくりしました。ふだんやんちゃなのにこんなことで泣いちゃうんだって」

「ねえ、あのときも。ヒロトたら実はね……」


 おーい、僕の黒歴史を晒す大会はやめてくれ。本人はここにいるんだ。ここにいて確実にダメージをくらているんだ。お二人が楽しいのはわかりますが、話のネタにされる小さなころの僕に愛の手を。

 僕がなんとかして母さんと幼なじみの会話を不自然じゃなく乗っ取ろうと画策していると、シオンが助け舟を出してくれた。


「ママ、ソロソロジカン」 

「あら、もうこんな時間。そろそろお昼にしなきゃ」


 あまりにも二人の会話が盛り上がりすぎてしまったため、シオンが途中で止めに入った。ナイスだシオン。流石に兄思いのいい妹だ。ちょっとブラコン気味なのを心配していたけれど、やっぱり最高の妹だ。ベスト・オブ妹賞は君のものだと心の中でエールを送った。

 しかし、その直後に「アノトキノオニイチャン、オネショシテイタヨネ」なんてボソリといった。

 そして女三人で大爆笑。いや、小学生の頃の話だし。小学生くらいまでなら別にあり得る話だし。

 というわけで、僕の黒歴史晒し大会の優勝者はシオンとなったのだった。

 ……女って怖い。


 昼食は流しそうめんだった。

 流しそうめんとはいっても庭に本格的な竹でできた装置が設置されるのではなく、卓上に小さな流れるプールが置かれるよくフリーマーケットなんかでだされている。一年に一度活躍するかしないかもあやしい納戸の肥やし系家電だ。


 納戸の肥やし系家電とは、どこの家庭にもあって一見とても便利そうな家電。かゆいところに手が届くというか、本当は痒くないところまでかいてしまいかゆみを悪化させる。用途が限定されていて、大抵の場合その使用するシチュエーションにまでめったなことではいたらないため家にないということをなかなか気づかれない。


 うちわを仰いでくれるぬいぐるみ型のロボットや流しそうめんセット、ポップコーンメーカー、自動ゆで卵ゆで機などが大人気。近年では、焼き芋焼き器などがある。はっきり言って邪魔。なお、この家電を家から駆逐することに成功した場合、家にないことに気づかれるとなぜだか家族のだれかが買い求めてくるので、その存在の有無は極秘にする必要がある。


 幸いなことに、我が家には流しそうめんセットがあるので、誰かが新たにそういった家電をかってきて納戸のスペースを圧迫することはなさそうだ。めでたい、めでたい。

 いや、もうすでに納戸のスペースは圧迫されているのでめでたくはないかもしれない。

 流れるプールのなかを白い束が優雅に泳いでいく。

 プラスチックでできた流れるプールの中を白い糸がふわりと舞う。ときどき、ピンクやグリーンの麺が混ざり非常に優雅だ。


 一瞬だけあのクジ引き屋の紐クジを思い出してしまったが、必死で脳裏から追い出す。


 まるでハワイアンズの流れるプールで優雅に泳ぐそうめんたち。ちょっとばかりモーターの微振動音が気になるが、それを忘れられればちょっとだけワクワクする。

 それを箸で捕まえて、きりりと冷えためんつゆに突っ込む。

 そうめんだけでは寂しいからと、母さんは冷蔵庫から椎茸の煮た奴にナスとキュウリの煮浸し、厚焼きの卵焼きなんかを出してくる。

 なかなか豪華な取り合わせだった。

 みんなで和やかにそうめんをつつく。


 残念ながら途中で、流れるそうめんはめんどくさくなったので、ざるに盛られた物を直接食べていた。

 きっと来年の夏、流しそうめんセットが登場することはないだろう。

 使わなければバザーにでも出せたのに。

 きっと流しそうめんセットは半永久的に我が家の納戸のスペースを圧迫し続け仕事をすることはないだろう。


 もし、万が一つかうことがあるとすれば、僕かシオンが大人になって結婚して孫が偶然にも何度をあさって、流しそうめんセットをみつけて、そしてそれが夏の比較的暇な日だったという非常に低い確率を満たさないかぎり不可能だ。

 僕はそんなくだらない確率を計算しながら腹をさする。

 満腹だ。

 おそらく母さんは女の子が一人くるだけなのに、家族四人で食事をするときよりも多く昼食を用意した。これが、僕の男友達がくるとかならまだわかるけれど、シオンは女の子だ。育ち盛り、成長期といってもさすがにそんなに食べない。


「そうだ、スイカたべない?」


 親というのは不思議な生き物でこちらがお腹いっぱいになったあとでも、まだ食べられるだろうとばかりに食べ物を出してくる。

 この場合、子供にはあまり拒否権がない。

 母さんは言うと同時に冷蔵庫に向かっていき、カット済みのキンキンに冷えたスイカを持ってくるから。ほどなくしてボウルに山盛りなったスイカが出てくる。

 種はついているけれど、あのスイカの皮と果実の間の白い部分がなく美味しいところだけが積み上げられている。

 お腹いっぱいで特に食べたくなくてもこんなスイカを出されてしまえば、食べないわけには行かない。


 僕とアカネ、そしてシオンもフォークをのばしてスイカを食べる。

 凍る直前まで冷やしたんじゃないかとおもうそのスイカは甘くてすこしだけ青臭くてみずみずしい。

 そうめんのつゆでしょっぱくなった体が水分を吸い込んでいく。

 でも、それでもお腹はいっぱいだ。

 肝心のスイカをもってきた母さん本人は「片付けしなきゃ」と一切れだけ食べてそそくさと台所に消えていった。


 お腹いっぱいになるまでたべて、扇風機の風に涼みながらぼんやりと休む。

 畳の上で暑さから逃れるように、三人で寝そべる。

 ただ、何をするでもなく怠惰さをむさぼる。

 理想的で正しい夏休みの過ごし方だ。

 いつのまにか何年も、いやずっと子供の頃から三人でこんなふうに夏休みを過ごしてきたようなきがする。

 一緒に遊んで、宿題をやって、絵日記をかいて。

 いや、それは本当はその記憶にいるのはアカネではなくユキだと、自分の記憶を必死でただす。だけれど、なぜか頭がぼうっとして、ユキのことを思い出そうとしてもどうしてもぼんやりしてしまう。

 アカネとユキの輪郭が重なりぼんやりと一つになっていくうような奇妙な感じがした。


 ああ、そういえば今年はまだ海にもプールにも行っていないそんなこを考えていると、アカネがいつの間にかこっちを向いていた。


「ねえ、ヒロト。私、いまとっても幸せ。ありがとう」


 僕に寄りかかったままぱらぱらとマンガをめくるアカネは突然そんなことを言った。


「急にどうしたの」

「いや、幸せだなあって」

「確かに幸せだ」


 夏休みを満喫するという意味では確かにここ数日、とても忙しいと同時にとても充実している。

 怠惰にすることに忙しいというのもちょっと変な話だが。

 そこまで言われてしまったら、僕としても最高の夏休みにしないわけには行かない。

 アカネが来てからまだ一ヶ月もたっていないのに、すごく濃い時間を過ごしている。


 そして、僕はユキがいなくなったというのに、まだ何も行動できていない。












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