第24話 駄菓子屋

「なあ、ちょっとお腹すかない?」

「うーん、すごくすいているって訳じゃないけど、何か食べたいかも」

「よっしゃ、ちょうどいい。駄菓子屋によってこう」


 僕の通っていた小学校の近くには駄菓子屋がある。

 ちょっと物語みたいで気に入っている。

 駄菓子屋なんて普通は物語の中のはなしか、あとは大型ショッピングセンターにある駄菓子屋風の専門店くらいだ。

 本物の駄菓子屋なんておそらくこことあとはテレビにでてくる有名店だけだろう。


 長いひさしのおかげで駄菓子屋は真夏でも涼しかった。打ちっ放しのコンクリートの床の上は子供があるくから妙に土と砂が積もっている。その土が特別乾くでもべたつくでもなくしっとりと落ち着いているのがたぶんこの場所の適温だ。

 低めの棚に並べられたお菓子のケースに、柱からかかるクジやシールの束。お店の端には見たこともないくらい古そうなじゃんけんとかができるゲームの機械。

 ラーメンと甘味料のにおいが入り交じった空気がただよって微妙にお腹がすく。


「好きな物を好きなだけお求めくださいお嬢様」


 僕はおどけてアカネにいった。うやうやしく深いお辞儀をするのも忘れない。

 駄菓子は安い。大抵の物が何十円という値段で買えてしまう。

だけど、子供にとって両手いっぱいのお菓子は最高の贅沢をしているように感じる。

 普段、食べているおやつの方が高い可能性だってあるのに、こちゃこちゃと積み上げられたカラフルなお菓子はとても楽しくて幸せな気分になれる。


 しかし、こうやってみると本当に安い。

子供でもたくさん買えるので安いというイメージはあったけれどここまで安かったなんて思わなかった。

 これでは駄菓子屋がなくなるのもなっとくだ。薄利多売なんていっても管理や品出しなどのめんどくささを考えるとまともに経営して儲かるとは思えない。

 そりゃあ、廃れていくに決まっている。


 たとえば、昔なら多少賞味期限の切れたお菓子を売ったところで子供はお腹を壊した理由にその駄菓子に思い至らないし、親だってそんなにうるさくなかった。だけど、いまならばネットに書き込まれて大炎上だってあり得る。これだけいろんな種類の小さな商品を客が直接手に取れる位置に陳列してその管理もきちんと行うなんて手間がかかりすぎる。

 きっと、この駄菓子屋だっておみせのおばあちゃんがやめてしまえば終わりだろう。

 そう思うと悲しくなった。


 お店の利益のために、できるだけ高い物を食べようとブタメンを頼む。

「ここで食べてくの?」って聞かれて、「うん」と返事するとおばちゃんがお湯をいれて上にあのちっちゃい透明なプラスチックのフォークをのっけてくれるのだ。

 どうしてあのフォークでちまちま食べるのがあんなに美味しいのだろう。ラーメンなら豪快にすすった方が美味しいはずなのに、ともすればスパゲッティーみたいにフォークにちっちゃく巻き付けて食べるくらいの方が美味しいと感じてしまうのはブタメンの謎である。


「アカネも一口食べる?」


 一口目というのは料理を食べるときは緊張するものだが、慣れ親しんだ食べ物をたべるときは最強に美味しい。

 ブタメンの一口目、コーラの一口目、ケーキの最初の一口の三角の部分は一番美味しい。

 成分は同じはずなのに不思議だ。

 その一番美味しい部分をアカネに味わってもらおうとしたところ、アカネは返事をしなかった。

 頭を抱えて「うーん、うーん」とうなっている。

 どこか具合でも悪いのかと心配して、「大丈夫?」と声をかけた。


「どれにするか決められないのです。どれも可愛くて」


 たった数十円の品物にこんなに悩むなんて。

 そんなアカネが愛しくて可愛くて僕は思わず抱きしめたくなる。

 だけど実際問題、神聖な子供のための社交場である駄菓子屋でそんな破廉恥行為、狼藉は許されない。


「どれでも好きなだけどうぞ、お姫様」


 僕は自分の気持ちをごまかすように、再びそうやってふざける。

 でも、アカネは安心するどころか困り続けている。

 仕方ないので、僕はアカネが好きそうな駄菓子を見繕って見せる。


 ――これは口の中にいれるとパチパチとはじけるキャンディー。

 ――これは棒状のこんにゃくゼリーで色も可愛いし凍らせてあって美味しい。

 ――これはお金の形のチョコレート。

 ――これは食べると強い子になるビスケットサンド。

 ――これはヨーグルトと名前がついているけれど全くヨーグルト味じゃないけれど、木のへらでたべると最高に美味しいクリーム。


 一つ一つを説明すると、アカネが嬉しそうに頷く。

 どれもお気に召してくれたみたいだ。


「おばちゃん、これちょうだい」


 会計をしてもらおうと店のおばちゃんに声をかけたとき「あっ」とアカネは声を漏らした。

 その視線の先には指輪の宝石の部分がキャンディーになっているお菓子があった。

 本物では有り得ないくらい巨大な宝石だ。

 僕はそれを見つめるアカネの様子が小さな女の子みたいで可笑しくてそしてとても可愛くてしかたがなかった。


「おばちゃんこれも」


 もちろん、僕はアカネが特に見つめていたピンク色のそれを買う。

 アカネの顔がほころぶ。本当に嬉しいんだ。

 アカネが喜ぶと僕も嬉しくなる。

 これってとても幸せなことかもしれない。


「ねえ、私もこれが欲しいな」


一瞬、ユキの声が聞こえた気がした。

あわてて、あたりを見回すがもちろんユキの姿はどこにもない。

僕が暗い顔をしていると、ユキはさっき支払いを済ませた、宝石の代わりに巨大なキャンディーがあしらわれた指輪を僕に向かって差し出す。


「ねえ、お願い。これ私につけてよ?」


そういって、僕からみて右側の手をひらりと伸ばす。

その手は昔の母の手と少し似ていた。

若い分そこまでひどく荒れてはいないけれど、なにか日々の仕事を頑張る人の手だった。

彼女が前に話した世界の影響なのだろうか。

僕は一番すらりと長い中指に指輪をはめる。


アカネは少しだけ顔を曇らせた。

どうしたのか不思議に思って訪ねても返事はない。


「私だったら、薬指につけてくれた?」


駄菓子屋からの帰り道、ユキがそういう声が聞こえた気がした。



 ***


 家に帰るとシオンが居間で一人退屈そうにテレビを見ていた。

 ソファーにすわっているのに、つま先にスリッパをひっかけてぶらぶらさせているのは暇な時のシオンの癖だ。


「シオン、お土産買ってきたぞー」


 僕は努めて明るい調子でシオンに声をかけた。

 金欠で妹から金を借りている身のくせにお土産を買ってくるなんてと怒られるかもしれないと思ったが、僕はまだシオンから借りたお金に手を付けていない。

 妹から借りた金で妹にお土産を買ってきたらクズ兄貴といわれてもしかたないかもしれないが、今回は僕が大事に食いつないでいる三千円からの出費だ。

 無駄遣いといわれようと可愛い妹の笑顔をみたくてちょっとくらいお土産を買うのは許されるだろう。


「オニイチャン、コレハ……ナニ?」


 シオンが困惑した顔でこちらを見つめる。

 そりゃあ、困惑もするだろう。

 透明なチューブのような細長い袋のなかに茶色い液体といくつかの干からびたようなかけらが浮いている。

 確かに初めて見る人間にとってこれは気味が悪いだろう。

 でも、これは僕の一押しの駄菓子なのだ。


「これはな、あんずボーというのだよ」

「アプリコット?」


 どうしてお洒落な単語に言いなおせるのだ妹よ。

 シオンはあんずときいて安心したらしく、さっきまで指一本触れるどころかまともに見ようともしなかったその菓子を手に取っている。

 封を切ろうとするので僕はあわてて止めた。そのまま食べられないこともないが、袋にはいっているので液体が簡単に流れ出してしまうのだ。


「これはね、凍らせて食べると美味しいんだ」


 そういって、僕はシオンの手からあんずボーを回収して冷凍庫にいれる。

 ちょうど夜にお風呂をあがったころいい感じに凍って食べごろになっているだろう。

 僕は二人で風呂上りにサイダーに凍ったあんずボーをさして、ノンアルコールのあんずボーサワーをつくろうと思ったのだ。

 以前テレビかなにかで、飲み屋のインタビューシーンであんずボーサワーを飲んでいるのをみて思いついたのだ。


 あんずボーなんて一見華やかじゃない食べ物を食べようと思ったきっかけはおそらくその番組がきっかけだっただろう。それまで駄菓子やで見てはいたのかもしれないけれど、そんなお菓子があるなんて知りもしなかった。

 あのテレビであまりにもあんずボーサワーを飲む人がいなかったら僕はいまだにこの食べ物の存在にも気付かなかっただろう。

 人生って不思議だ。偶然によって変わってしまうのだから。


 ところで僕はその日、結局あんずボーにありつくことはできなかった。

 風呂でいい感じにあったまって、さあシオンにこの最高に美味しい飲み物を教えるぞと思った時、すでにシオンはあんずボーのサイダー漬けを手に持っていた。

 その隣では父さんがそっくりな飲み物を美味しそうに飲んでいた。


「冷蔵庫に美味しそうなものがあったからつくっちゃった」


 僕がなにか言おうとすると、母さんはてへっとしてそんなことを言った。

「てへっじゃないよ、いい年して」といおうと思ったが、やはり高級アイスクリームの件を母さんはすこし怒っているのかもしれない。


 とりあえず、父と娘で仲睦まじく美味しそうに駄菓子を味わっている姿をみることができたので、よかったということにする。


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