第22話 幼馴染とのおもいで


「お願いします。お小遣いの前借りをさせてください!!」


 朝食の場で、僕は母さんに頭を下げる。

 お小遣いの前借りだ。


「却下」


 あっけなくそれを断る我が家の財務大臣――父さんは大蔵大臣と呼ぶ――こと母さん。

 まあ、分かっていたことである。

 今まで一度たりともお小遣いの前借りが許可されたことなんて内のだから。

 だけど、今回ばかりはあきらめるわけには行かない。夏休みはあと少ししかないのだ。

 ここでおとなしく退散してアカネを水族館に連れて行けなければ男が廃るというものだろう。

 お手伝い大作戦をコツコツと続けてきたが、臨時収入が支給される様子はない。もしかしたら、おつかいというクエストの報酬で勝手に頂戴していた高級アイスクリームが原因かもしれない。


 僕ってこんなにかっこつけだっけと自分でも不思議に思う。

 だけど、なんだか理由はわからないけれどアカネをちゃんと水族館につれていってやらなきゃって思うんだ。もちろん、夏休みが終わってから連れて行けばいいという意見もあるかもしれないけれど、そうなれば土日にしかいくことができない。土日の水族館なんてこんでいて、どちらが観察される魚の群れなのか分からなくなってしまう。


 なので夏休みのうちにいっておかなければいけないんだ。


 そんな理由で僕は納得していた。

 ただ、そんな理由では我が家の財務大臣である母さんには通用しないらしい。

 僕はしかなく抵抗せずに朝食を食べながら次の策を考える……考えるが何も出てこなかった。


「オニイチャン、コレ」


 朝食を食べ終え部屋にいると、シオンが部屋にやってきた。


「ん、ラブレターか?」

「バカ」


 シオンが可愛らしいピンクの封筒を差し出すのでついついそんな冗談がでてしまう。だって、仕方が無いだろう。封筒に封をする部分には可愛いハートのシールまで貼ってあったのだから。

 ここに「お兄ちゃん大好き」とか書かれていないかな、そしたらお兄ちゃん嬉しくてないちゃうなんてことをふざけていってみる。

 すると、頬を赤くしたシオンがべしべしと僕のことを軽くたたいてきた。ちっとも痛くない。痛いどころか軽いマッサージにさえなっている気がする。


「今、ここで開けていいのか?」


 僕がたずねると、シオンはこくりと頷く。


「コレ、アカネサンニツカッテアゲテ」


 封筒の中からは壱万円札が二枚ほど出てきた。

 こんな大金どうしたのだろう?


「ワタシ、ホトンドオコヅカイ、ツカワナイカラ」


 僕の意をさっしたのかシオンが言う。まあ、確かにシオンはお小遣いを使う場面がほとんど無い。大抵は家にいるし、我が家は必要なものであれば大抵のものは親が買い与えてくれる。

 お小遣いというのはいわばお金の使い方を学ばせるという社会勉強のようなものなのだ。なので、財務大臣である母さんも滅多なことでの追加予算は許してくれないのだ。


 でも、だからといって流石に妹からお小遣いを恵んでもらうわけにはいかない。兄として人としてそれはちょっとばかり踏み入れてはいけない、クズへの第一歩のような気がしてならない。

 僕が断りの文言を探していると、シオンは僕の開きかけた唇に人差し指をすっとあてて黙らせてこういったのだ。


「コレハ、オニイチャンノタメデハナクテ、アカネサンノタメダカラ」


 そういって真剣にこちらを見つめる。

 そうか。シオンとしても自分と似た運命をたどるアカネにたいしてなにか思うところがあるのだろう。

 新しい世界にはやくなじめるようにとかだろうか。シオンのほうが年下のだけど、たしかにこの状況においては先輩である。こういうところにまで気遣いができて優しいのがシオンのいいところである。


 確かに、全然違う世界から来て緊張の連続だろう。

 覚えなきゃ行けないことも多いし、もうすぐ夏休みも終わる。

 できるだけ、今のうちにいろんな体験をして「普通」というものを自然に身に付けたほうがいいのかもしれない。

 僕はシオンの心遣いに感謝して「ありがとう」とお礼をいった。


「ベツニ、オニイチャンノタメジャナインダカラネ!」


 嗚呼、妹よ。ツンデレという言葉をしっているだろうか。

 ツンデレは大昔流行したと言われる萌えの形の一つである。

 過去においてはそれはそれはもてはやされたという。ツンデレのレベルがあがるとツンドラといってどこか北の大地を凍結させるともいわれている。嘘だけど。


 しかし、現実にいたらウザイよねということで、あくまで二次元の世界だけにとどまった。

 三次元でその振る舞いはもうすこし気を付けた方がいいかもしれない。そういった助言をすると、シオンはあきれた顔をした。


「んで、今日のお出かけはいっしょにくるかい?」


 シオンがアカネのことを気にしているみたいなので確認する。自分と同じような立場のアカネをあれだけ気遣っているのだから一緒にすごしたいと思っているだろうと。

 そして、そろそろまた兄と一緒に夏休みを満喫してやってもいいと思ってくれていることを期待して。

 しかし、今日も首を横に振る。

 やはり、お年頃というやつなのだろうか。


「おっはようー」


 今日もアカネは窓からご登場だった。なぜだか、最近はこの登場方法がお気に入りのようだ。

 どこかの漫画で読んだらしい。

 僕が貸した漫画のはずなのだが、どの漫画だったか思い出せない。

 危ないからやめさせようと何度もいったのだが、「いいじゃん。このほうが気分がいいしインパクトがある」と訳のわからない返事をしてくるばかりで暖簾に腕押しである。


 白いレースのカーテンをぬけるとき、それは一瞬だけ彼女の身体にまとわりつき、まるで天使のように見えた。

 慌てて目をこする。

 窓から乗り込んでくる天使がいてたまるか。


「今日もデートにいきますか」

「デ、デートって自分で言ってる……」

「だって、デートでしょ」


 最初にそういったじゃない。そういって、僕の棚から辞書を取り出してみせる。

「シオンちゃんに教わったんだー」といってにこりと微笑む。

 たしかに、辞書の内容をみると必ずしも「恋人同士」に限定されている意味であるわけではなさそうだった。


 今日行く場所は決まっていた。

 アカネが幼なじみであるならば、夏休みが終わったときに困らないように昔のことを知らなければいけない。

 僕たちが一緒に過ごしたはずの場所。

 僕たちの通ったはずの小学校に向かうことにした。


 最近、僕は不思議なことにシオンと嘘の記憶について話す。

 まるで、それが事実であったように。

 だって、夏休みが終わったときに周りと僕の認識がずれていてはこまるのだ。

 シオンのときは家族であり、妹なので友達と共有しているはずのエピソードは少ない。だけど、アカネは幼なじみだ。


 同じ学校に通ってきたのだから、友達とも一緒の記憶を持っているはずである。学校生活はイベントが盛り沢山だ。遠足に運動会に学芸会に学習発表会。そのくせ毎年繰り返される。去年とか一昨年とかのことをその度に話すのだから、共有している思い出は多くなければいけない。そうしないと、記憶を植え付けられていない僕だけが話題についていけない。浦島太郎状態になってしまうのだ。なんで、こんなに若いのに思い出にこだわるのかわかんない。

 僕は毎日生きているのに必死なのに、どうしてかみんな思い出というものが大好きだ。


 思い出を作ること自体が大好きなのだ。

 なんでわざわざ作らなければいけないのだろう。僕は毎日が幸せで大切なのに。

 どうしてわざわざイベントをこなして、イベントのために恋人を作ったりしようとするのだろう。

 小学校も高学年になったころからこんな感じだった。

 ちょっと前は同じ生き物だと思っていた女子がある日別ないきものみたいになってしまうのだ。


 最初は、恋愛とかいいはじめた女子が理解できずに「気持ちわりい」なんて一緒にわらっていた友達もいつの間にか「彼女がほしい」とか「付き合うことになった」なんて報告に変わっていく。その変わり身のはやさには驚きだ。

「裏切り者め」と僕が冗談でいうと、みんな不思議そうな顔をして、「お前にはユキちゃんがいるじゃん」と返してきた。

 そう、今までずっと、俺の隣にはユキがいた。


 今考えると小学校というのは不思議な場所だった。

 いろんな家の子が入り乱れて一緒に生活を共にする。

 よくあれだけ共通点の少ない人間同士を仲良く共存させようとしたものだとそののんきな思考回路にため息がでる。

 僕たちが通った“はず”の小学校は家から十五分程度の場所にある。

 本当は僕とユキが通った小学校だけれど……。


 遠すぎず近すぎずちょうどいい距離感だと思う。

 適度に遊びながら通学できるし、帰ろうとしたときはすぐに帰れる。

 朝は登校班で登校するから十分もあれば学校につく。だけど学校から帰るときはばらばらというか僕ら二人だけなので早くても三十分はかかる。

 子供というのはなんでもすぐ遊びにしてしまう。


 おとなしく決められた道をただあるけばいいのに、駐車場の端っこにはえた猫じゃらしを引っこ抜いたり、空き地で服にくっつく植物(僕たちはこれをくっつき虫と読んでいた。今考えれば虫ではないのに)を見つけてはこっそり相方の服につける。退屈をすれば、ランドセルをどちらがもつかじゃんけんを電信柱ごとにやってみたり、グリコをしながら帰ることになる。

 なんでだろう。実際はアカネとはそんなことはなかったはずなのに、話していると本当にそうだったような気がしてくる。

 ユキとの記憶が混同してしまっているのだろうか。


 夏休みのせいか小学校の校庭は開放されていた。

 ろく遊具もないので安全だと思われているのだろう。

 タイヤに色を塗って下半分を土の中に埋め込んだ遊具にすわってみるが、小学生のころはもっと大きいと思っていたのが案外小さくて拍子抜けする。


「よく、ここからおちたらワニに食べられるなんてふざけたなあ」


 なんて思わず独り言がこぼれると。


「そうそう、ヒロトは何度食べられたことか」


 そういって、アカネは笑う。


「アカネだってとっくに食べられてる」

「あら、ヒロトは骨一本残らず食べられてる」


 アカネが大真面目な顔でこちらを見つめてきた。

 そして二人で笑った。 

 小学校の校庭で軽口をたたく。

 本当に昔からこんな感じだった気がする。

 一緒の小学校に通って一緒に遊んで。

 ときどき、こうやって喧嘩にまではいたらない軽口をたたき合う。


 そんな過去が本当に存在したような気がした。

 そう、こうやって何度も繰り返せば、僕さえ騙せればこの記憶は本物になる。

 だって、偽物だって指摘するひとがいないのだから。

 みんなほっとしているくらいだろう。

 ユキの記憶のあるはずの部分がぽっかりと空いているより、その部分がアカネに書き換えられている方が矛盾がない。


 僕が、本物だって信じさえすればみんな幸せだ。

 でも、そのとき僕は自分のことが信用できるだろうか。

 もし、偽物の記憶を本物と思い始めたら、本物の記憶さえも偽物とうたがうことになってしまうような気がする。

 何よりも、ユキのことをすべて忘れてしまっていいはずなんてない。


 だけど、一方でそんなふうにはならないような気もする。シオンだ。

 シオンと一緒にくらしてきて、周りにとってはシオンは小さいころから僕と一緒に生まれ育った兄妹だけれど、僕はシオンがやってきたときのことをしっかりと覚えている。

 幼い僕はなんど、自分の現実の認識と記憶が違うことに苦しめられたのだろうか。

 いっそ、狂って偽物の記憶を持ったほうが幸せなんじゃないかとかんがえたこともあった。


 だけど、僕は偽物の記憶をもつことなくシオン兄としての自分を時間とともに受け入れた。


 でも、どうなのだろう。シオンは銀髪で赤い瞳とうはっきりとわかりやすい違和感がある。しかし、アカネにはそういう目立つ特徴なんてないのだ。

 学校という集団のなかでまわりと合わせて生きているうちにおれはアカネを本物の幼なじみと思ってしまう日がくるのだろうか……。


 そして、きっとその時、ユキのことを完全に失ってしまう。


 だけれど、もし、ユキを取り戻せる代わりにアカネを差し出せといわれたら?


 僕は迷わずにアカネを差し出すことができるだろうか。


 今まで、シオンが来てからくじ引き屋の男はなんども俺に取引をもちかけた。

 あの男は僕の欲しいもの何度も探ってきた。

 それは金だけじゃなくて、最新式のおもちゃ、さらにはなにか特別な力まで。

 そんなものと交換できるなんて普通なら疑うようなものまであった。


 もしかしたら、あのくじ引き屋の男に会えば、ユキを取り戻せるかもしれない。

 シオンは絶対に渡せない。


 でも、アカネなら……僕の中に小さな炎がともった気がした。


 それは、正義感という名前なのか、はたまた欲望なのか今の僕には答えることはできない。

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