第18話 閑話 ――アカネ――
私の生まれた世界は女しかいない。
これが異常なことだなんて知らなかった。
でも、古い本の中で知ったのだ。男と女が存在していたと。
私たちのいた世界は静かで美しい。
争いごとも、不平等も存在しない。
ただ、あるがままを受け入れて穏やかな世界。
それが当然のことに育ったから世界というのはそういう物だと思っていた。
私たちの生活というのはこちらの世界でいうと閉ざされた修道院というイメージがふさわしいのではないだろうか。こちらの世界のような神様の像なんてなかったけれど。
でも、代わりに「きわださま」がいた。
「きわださま」は私たちとは違ったし、男でもなかった。
こちらの世界に来たときは驚いた。街は色と物であふれている。
宝石みたいにキラキラ光るビルがあったり、道行く人々はみんな様々な洋服を身に付けて街は消費を煽る看板が争うように原色の文字を巻き散らかしたりしていた。
もちろん一番驚いたのは男性の存在だけれど。
ただ、ただ圧倒された。
私たちの世界とそっくりな世界のはずなのに全然別なものなのだ。
美しいと思うと同時に私は自分が飢えて乾いていたことに気づいた。
森や川、夜空に太陽それらとは異なる美しさに私は飢えていた。
「きわださま」のいる世界が、ひどく淡く色褪せて見えた。まるで、滅びるときを待っているみたいだとも思った。
ただ、自分たちの世界に男性が追加されただけの世界を想像していたからこの違いには驚いた。
「ほら、あなたもこれが欲しいでしょ?」
「花の命は短いのだから楽しまなきゃ!」
「あなたは何者になりたいの?」
すべての物が私に競争するように話しかけてくる。
たくさんの色と音が洪水のように頭の中に流れ込んでくる。
それに比べて、私の今までの人生というのはとても静かな物だった。
そもそも、自分の物という概念がないのだ。
私たちは「きわださま」とそれ以外しかなかった。
私たちはお互いを助け合って生きている。
みんなが生き残るのが一番で自分のことは後回し。
そもそも個という概念がほとんど無いのだ。
そして、「きわださま」が穏やかに暮らせるようにする。
それが私たちの生まれきた理由であり義務だった。
いつだって物資は足りなかった。
「きわださま」が平等に分けるようにと言ってくれていたから、不公平には感じなかったけれど。もっと欲しいとかは思わない……思ってはいけなかった。
この世界はとは別な世界が存在するらしいと話は昔から聞いていた。
でも、それは誰が話したかもわからない。
ただ、そのとき世話係だった自分より年上の少女が、寝付けないで駄々をこねていたときに、仕方なく話てくれた。
ただ、同じ人じゃなかったと思う。
昔話のように、大きな筋はみんなだいたい一緒だ。
ある女の子が村から連れ出された話。
その女の子は、私たちと一緒でお父さんどころかお母さんもいなくて、周りの大人たちもだれも優しくしてくれる人はいなかった。
その女の子が大人になりかけた夜、「きわださま」にであったのだ。
「きわださま」は女の子に優しくしてあげた初めての存在だった。
そしてその女の子は一生、「きわださま」のそばにいることに決めたのだった。
「女の子はどうなったの?」
私がそうきくと、どのお姉さんも、
「さあ、知らない」
と困ったような顔をした。
そして「でも、私たちは幸せよね?」そういって、困った私が眠ったふりをするところで毎回物語は終わってしまった。
きっと、他の少女たちも本当になにもしらないのだろう。
私たちは生きるのに必死だった。
物語の先を気にしたり、自分で考えたりする暇なんてない。
私たちはみんな平等で同じように「きわださま」に愛されている。
だから、個人なんてない。
みんな「きわださま」の大切な子供たちだった。
だから、清潔な衣類と食事が与えられる。
洗濯の日に洋服を洗濯に出すと、別なワンピースを与えられる。
それは洗濯に出す前よりも新しくて軽やかな絹でできた物かもしれないし、毛玉ができて蟻を編み込んでつくったんじゃないかと思うほどチクチクするラム製かもしれないし、よく洗いざらして自分の肌にすうっとなじむ木綿のワンピースかもしれない。
だけど、どれであっても私たちは受け入れなければいけないのだ。
「きわださま」が与えてくれたものだから。それを喜んで受け入れなければいけない。
運命だってそう。
私たちに個人の人生と言う大それたものはない。
ただ、その日に生きていた人間が仕事を割り当てられるだけ。
それは、農作業だったり、洗濯だったり、子供の世話だったりする。
大抵の場合は割り当てられやすい仕事が決まっている。慣れていたほうが、効率がいいからだ。
だけれど、誰も自分の好みや得意なことを主張することはなかった。
私はわずかな自由時間に図書館と呼ばれる場所で過ごした。
噂では「きわださま」がどこか、別な世界でいらなくなったものをもってきたという話だった。
建物を運ぶなんて普段何もしない「きわださま」からは想像できないけれど、みんなそういうものだと受け入れていた。それにだれも図書館になんて興味がなかった。
灰色の石のようなもので作られたその建物の壁に触れると、ひんやりと冷たい。
騒がしい群れの中の一部でしかなかったものが、その壁にもたれかかっている時だけ私という一人の人間に戻れるような気がした。
太陽の光が届かないひんやりとしたその場所にはカビが大敵だった。本が日に焼けたりしないように静かな暗い建物にしたのかもしれないが、そのおかげで文明が失われて人々が訪れなくなったそこの空気は循環しなくなり、その本という重要な記録がほとんど失われてしまったことに気づいたときには遅かった。
もしかしたら、その本を保護できていたら私たちの暮らしは幾分かマシな物になってしたかもしれない。
そう思う一方で、どうせ別の世界の前提になりたった知識が書かれていたのだから今その知識が残っていても、土台となる環境がない世界ではその知識は十分に生かすことができないかもしれない。
『電子レンジでつくるホットケーキミックスのお菓子』なんて本が偶然よむことができる状態で残っていた。物語に出てくるケーキやクッキーと呼ばれるお菓子の写真が載っていてワクワクした。
ただでさえ、物資が足りない世界でお菓子なんて滅多に口にすることができない。砂糖は貴重品なのだ。
本当は「きわださま」にお願いすればそれくらい手に入ったのかもしれない。
だけれど、私たちは何かを欲しがることを許されていなかった。
ホットケーキミックスという粉があればこんなにいろんな種類のお菓子が作れる。一体どんな魔法の粉なのだろう。
ホットケーキミックスが作れればお菓子がたくさん食べられる。もしかしたら、食生活が大きく変わるかもしれない。そう思うと胸がドキドキした。すごい発見をしてしまったかもしれないと。
その魔法みたいなホットケーキミックスと電子レンジを使えば、あっというまに短時間でいろんな種類のお菓子や場合によっては食事が作れるらしいのだから。
だけど、私たちの文明にはホットケーキミックスなんて物はない。
(あとで知ったことだけど、ホットケーキミックスは小麦粉に砂糖やふくらし粉を混ぜ合わせて売っていたものらしい。それぞれ貴重なものなのでわざわざ混ぜ合わせたものを何にでもつかうなんて信じられない)
どうして私たちの世界はこんなにつまらなく窮屈なのだろうか。いつしかそう思うようになっていた。
物資も知識も男性もいない世界。
もし、どれか一つでもあれば世界はきっと全然別なものになるだろう。
本来なら、きっと私たちはとっくに死に絶えているはずだ。
だけれど、私たちは「きわださま」のおかげでいきている。
衰退ではなく、私たちは絶滅しているはずだ。
本の中の人間の生活している環境とあまりにも違いすぎる。
なのに私たちは決まりを作り生きている。
「きわださま」のおかげで私たちはかろうじで生きながらえている。恐らく、その不思議な力に生かされているのだろう。
なにもしてくれない恐ろしいだけの存在なのに。
でも、きっと「きわださま」がいなくなれば、私たちもいなくなってしまう。
「きわださま」が子供を連れてくる。
男性のいない世界ではこんな生活が続くわけがない。
生殖ができないのだから、人が死ねばそこで人類は終わってしまう。
赤ん坊は「きわださま」がどこからか連れてくる。
人から生まれる訳ではない。
目を離した隙にどこからともなくわいてでてくるという表現が一番しっくりする。
誰の子供でもない赤ん坊は私たちみんなで育てる。
大事な労働力であり、社会を保つのに必要な存在だから。
そして「きわださま」も喜ぶ。
誰の子供でもないから誰にも責任はない。
特別可愛がる人はいなくみんなで平等に可愛がる。
昔、子供の世話係をしたときに特別可愛い子がいてついその子にばっかり構っていたら注意されたことがある。
子供は「みんな」可愛いのだから、「みんな」を平等に可愛がらないといけないってね。
そんなことあるのだろうか。
みんなが一緒なんてことは本当のことなのだろうか。
一人一人違う人間なのだから、それぞれに別な感情を持つのは普通だと思う。
だけれど、ここではそれが許されないんだと言うことを学んだ。
抵抗しているうちに、私は世話係の仕事を任されなくなったのだ。
子供の世話係は楽しいけどほとんど自由がない。
だって、子供たちは活発だしひっきりなしに話しかけてくるし、目を離せばすぐに死にそうになる。
一瞬も目を離すことはできない。
でも、みんなその仕事が好きだった。
小さな子供はとても可愛らしい。
この世界がどんなに窮屈で生きるのが大変か分かっていないから、まるで明日にも希望があるように感じられる。
本当はどんなに頑張っても、時間がたてば死んでいくだけなのに。
私たちは衰退している。
発展しようとか、野望を叶えようとかそんな気力はもう私たちにはない。
ただ、惰性で生きているだけだ。
死ぬのが怖いから死なないように生きているだけ。
もし、死後の世界があったとき人類が絶滅してしまえはその死後の世界までなくなってしまうような気がするから。
いつかだれかがなんとかしてくれるかもしれない。
そんなどうしようもないくらい淡くてふわふわした希望なのか夢なのか戯言なのか分からないようなもののために厳しい規律の中で生きている。
つまり、私が生きている意味なんかないのだ。
それが私が自分の人生にだした結論だった。
生きていても死んでいても一緒。
私は生きていないのだから。
あるのは私の肉体という労働力だけだ。
私という一人の人間はないのだ。
本の中の世界とは大違いだった。
少しだけ読める本の物語のなかでは世界が大きく違う。
主人公も他の登場人物もちゃんと一人一人が選ぶことができるのだ。誰かを特別好きになっていい。
恋というものに憧れた。
誰かを特別好きになるだけじゃない。その相手の誰かも自分のことを好きになってくれて二人は恋人になる。
なんて素敵なことなんだろう。
特別な人がいてその人との時間を大切にする。
みんなを平等にするよりずっと自然のように感じた。
そして、人生の夏休みと言われる一ヶ月間が始まる前日にあの男にであった。
あのクジ引き屋の男は言った。
クジ引きの景品になれば、別な世界に行ける可能性があるって。
それが当たりかどうか分からないけれど、なにか変わるかもしれないって思った。
ああ、もう一つきになっていることがある。この世界の人間はどうしてこんなに寿命が長いのだろう。
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