第16話 初めてのデート
「じゃあ、母さんとシオンは二人で出かけるからこれでお昼食べてね」
母さんは僕が出かける時そういって三千円くれた。
もちろん、いつもいつもこんなにくれるわけじゃない。たかが昼ご飯一回分だ。そんな金額必要ない。
ちょっと僕が知恵を働かせれば買い置きの棚から適当なインスタントラーメン作って食べれば一銭もいらないのだ。
だけど、これは母さんのちょっとした後ろめたさのあらわれだ。シオンにばっかりかまっていることへの。
別にそんなの気にしていないのに。昔よりも女らしく穏やかで綺麗になった母さんの姿を見られるだけで僕は十分なのだ。
祭りのために手の皮を破きながら必死に内職をしたり。まわりからどうみられるか全く気にしていないのか、それとも周りの目を気にしすぎてありきたりで好きではない服を身に着けて毎日を辛そうに生きる母よりも。
こうやって、村の外の世界の存在に気付いて、そこに一時的でも向かう母さんの姿の方が幸せそうにみえるのだか。
だけど、今回ばかりはありがたく懐に納めさせてもらう。なんせ昨日クジを引いたせいで一文無しなのだ。
「大丈夫。楽しんできて」
僕は母さんとシオンに笑いかける。
「行ってきます」を言った瞬間、シオンはちょっとだけ心配そうにこちらを見ていた気がした。
そういえば、アカネとシオンは面識があるのだろうかと疑問に思う。もしあるとすれば、それは改変された記憶としての面識なのかそれとも元いた世界で知り合いだったのか……。
「遅いよ、ヒロト!」
家の前ではアカネが門に寄りかかって待っていた。
残念ながら大して待っていないことが丸わかりだ。アカネの肌はさらりとしていて汗の粒一つかくいていないのだ。外にでてからそんなに経っているはずがない。
アカネは流石に着替えたらしく、あの白い質素なワンピースからこの世界の女の子として年相応な服を着ていた。
デニムのシンプルなスカートにレースが少しだけあしらわれたノースリーブのブラウス。
シンプルで清楚だけど活動的な服装だ。
「ごめん、ごめん」と僕は謝ったあとにこう聞いた。
「それで、君の望みはなんなんだい?」
できるだけ抽象的に話をもっていき、こちらが何も知らないことを悟らせまいと思って一応気を遣った台詞だった。
なのに、彼女といったらこう返事をしたんだ。
「ヒロトとデートがしたい」
そういって微笑んだ。ひまわりが咲いたみたいな全力全開の笑顔なのにも関わらず、なぜだか少し儚げだった。
伏せた目を縁取る睫毛は艶やかで夜の色をしていた。
デートなんて急に言われても何をすればいいか分からない。幼馴染のユキとだって、将来は結婚すると思ってはいたけれど、デートらしいことなんてしたことなかった。ただ、村の中を一緒に散歩したり、お互いの家、あとは二人の秘密の場所でだらだらとすごすだけだった。
「ねえ、お願い」
アカネのそのお願いは上目遣いに可愛いあざといお願いではなく、必死の本気のお願いだった。女の子からこんな風に頼まれて断れる人間がいるのだろうか。居るわけがない。
でも、デートなんて何をすればいいか分からない。
「とりあえず、ご飯でも食べに行く?」
「うん!」
僕はできるだけ無難な提案をすると、アカネは嬉しそうに頷いた。
「何が食べたい?」
「何でもいいよ。ヒロトが好きな物が食べたい」
「なんでもって難しいな。ハンバーガーでもいい?」
「うん、ハンバーガー食べたことない。食べてみたいな」
アカネとそんな話をしながらバス停に向かう。
街に行くならば母さんとシオンと一緒に車に乗せてもらえばよかったかなと思ったけれど。これはデートなのだ。
初回のデートから母親と妹つきなんていくら学生の身分だとしても幻滅される。
しかし、ハンバーガーを食べたことないって・・・・・・本当に他の世界の人間なんだ。ハンバーガーなんて日本に生まれれば誰だって食べたことがあるはずだろう。それなのに食べたことがないっていうのはすごく不自然だ。
たとえ家が厳しくてジャンクフードを禁止されていたとしても、最近はジャンクではない食事としてのハンバーガーを提供している店が増えてきた。
このくそ田舎にだってあるのだからそれだけ人気ということだろう。
僕は一番安くて有名なチェーン店を選んだ。
赤字に黄色でその企業の頭文字が書かれている。たぶん世界で一番大きなハンバーガーショップ。
店に入るとポテトがあがったことを知らせる音とコーヒーの香りが漂う。
健康的とは言えないけれど、安価でいつも変わらない味を提供してくれる。
大企業の商品なのだからリニューアルはしているのだろうが、いつ食べても同じ味に感じる。それだけはっきりと濃く、印象的な味。塩分が多いだの添加物があるなどいわれて不健康なイメージがあるかもしれないけれど、なにがあっても変わらない味というのはすごく安心できるのだ。
自分の感覚が信用できなくなったときでも、その味のところに戻ってくればすこしだけいつもの自分を取り戻すことができる。単なる「美味しい味」を求めるのではなくて自分の碇を求めているのだ。
店の中で適当な席を確保してアカネを座らせる。
「何か食べられないものはある?」
「んー、殻のついた虫はちょっと苦手かも」
アレルギーとか好き嫌いを確認するつもりだったので、意外な返事が帰ってきてぎょっとした。
最近、昆虫食が流行っているとはいえ一般的にはまだまだ普及していない。
昆虫食の缶詰が観光スポットに設置されたり、昆虫入りのスナックがネット限定で販売されたりするようになった程度だ。
僕も虫なんて食べたことないし、食べようと思ったことはない。
とはいっても、人間は寝ている間に口に入ってきた虫だとかを食べてしまったりしているらしいが。
すくなくとも意識があるなかで虫を食べ物として認識していなかったのでその答えは異常だった。
「わかった」
僕はそれだけ言って、注文の列に並ぶ。
ハンバーガーにシェイクにポテトSサイズのおきまりのセットを二つ注文する。
別にこのセットが一番美味しいというわけじゃない。だけれど、人間というのは恐ろしい生き物で小さな頃の刷り込みというのだろうか。子供向けのセットメニューがまさしくこの組み合わせにおもちゃが付く物だったから、僕はついつい特に食べたくもないポテトやシェイクを注文してしまう。
「バニラといちごどっちがいい?」
アカネのところに戻るとアカネは恐ろしく行儀よくそこに座っていた。
しゃんと背筋が伸びて、上品にそろえられた膝。その上にそっとそろえられる両手。まるで映画のワンシーンみたいだった。ただでさえ美少女なのにその上品な態度は店の中でも浮いていた。
いまどき、待っている暇な時間があったら誰だって姿勢を崩してだらだらとスマホを見る物だと思っていた。どんなに育ちがいい子だってスマホに何かしらの連絡がないかチェックくらいかするだろう。
なのに、アカネはそんなそぶりがちっとも無く。白黒映画の世界の女優さんが高級なレストランで給仕を待つように澄まして座っていたのだ。
「バニラといちご、どっちがいい?」
僕はすこしドキドキしながらもう一度、聞いた。
「いちご」
アカネは即座に返事をする。いちご味のシェイクをアカネに渡しながら席につく。
アカネは興味深そうにカップを手に取り眺める。
別に変わったことのない普通の紙製のカップに蓋がされているものだ。チェーン店なら普通によくあるものだろう。
なのにアカネは物珍しそうにそれを観察している。おそらくこの様子では飲み方も分からないのだろう。
僕はアカネにストローを渡したあとわざとらしくゆっくりとストローの袋をやぶりシェイクにさして飲んで見せた。アカネもおとなしく真似をする。
「冷たくて甘い」
シェイクを一口飲むとアカネは誰にいうでもなくそう言った。甘すぎたかな。口に合わなかったかな。そんな風に心配しているとアカネはにこりと笑った。どうやら気に入ってくれたらしい。
僕はまたアカネが食べ方を分からないといけないので、今度はハンバーガーを食べてみせる。包み紙を半分だけはがしてかじりつく。できるだけ大きく口をあけて。するとアカネも真似をする。
次はポテト、そのまま摘まんで食べてみせる。うん、いい塩加減。ここいらでちょっとした裏技、シェイクの蓋をとって、ポテトにディップしてみる。一見ミスマッチしそうな油と冷たい飲み物だけど、ポテトの塩気とシェイクの甘さとそのふわふわとした食感がよく合うのだ。
普通の女の子ならちょっと眉をひそめるかまたはびっくりする。だけど、アカネはなんの疑いもなく僕の行為を再現する。ためらいもなくポテトにシェイクをつけて食べたのだ。
でも、ついやってしまった。
ユキと来ていた時は、ユキはそんな風にして食べていたから。
「はっ」と息を呑む声が聞こえた。
ちょっとふざけすぎただろうか。どうしても口に合わないならティッシュもあるので吐き出すことも可能だと言おうとしたとき、アカネは泣いていた。
「こんなに美味しい物があるなんて知らなかった」
アカネは嬉しそうに笑った。ああ、この大手ハンバーガーチェーンの広報担当者がいたらきっと即CMのキャラクターに起用されるだろう。アカネはそれくらい美味しそうに食べていた。
ただのファーストフードなのに。
とても貴重な物を食べるように丁寧に咀嚼してもったいなさそうに飲み込む。それはもう見ているこっちがごちそうしてよかったと思えるくらい嬉しそうに食べるのだった。
ずぞぞっとアカネがシェイクの最後の一滴までのみきった。
「いちごってずっと食べてみたかったの。ありがとうヒロト」
嬉しそうにアカネは言った。
苺なんて食べさせた覚えはないのだけど・・・・・・ああ、苺味のシェイクのことかと合点する。確かに苺味のシェイクは可愛らしくて美味しいが、あれは本物の苺の味とはかけ離れている。
あくまであのシェイクの苺味というのは苺味という味であって本物の苺とは似つかない。いわばメロンパンみたいなものだと説明しようとしたが、おそらく彼女はメロンパンも知らないだろうと思って諦めた。
そして今度、本物の苺を食べさせてあげることを心のメモ帳に書き込んだ。
お腹を満たしたあとは街をぶらぶらする。残念ながら、街といっても僕たちの村からバスで行ける距離の田舎だからそんなに見て回ることはできない。
地方都市の悲劇というのだろうか。どこも同じようなものだと思うが個人商店なんてほとんどなくて、若者が楽しめるような店は郊外のショッピングセンターに集約されている。
なので駅前で行くところといったら、このハンバーガーショップとあとは本屋と図書館に雑貨屋が一件くらいしかないのだ。
大抵の女の子はそんなところに行ってデートだなんていったらうんざりした顔をするだろう。だけど、仕方ない。
他に選択肢がないのだから。
僕はじりじりと人を焼き殺そうとしているのではないかと思うような夏の太陽光をさけるために一番近くの図書館にアカネを引っ張っていった。
「ヒロト、私こんなにたくさんの本がいい状態であるの初めて見た」
アカネはふてくされるどころか嬉しそうにそう言った。
司書の人がこちらを見ている。
流石に声が大きすぎただろうか。僕はできるだけ静かに、
「アカネはどんな本が好きなの?」
と聞く。
「私は物語が好き」
物語ということは小説か。
僕はアカネを小説のならぶ棚に連れて行った。アカネはウキウキしながら棚から本を取り出して、嬉しそうに表紙を撫でると棚に戻した。
「えっ、読まないの?」
「・・・・・・読めないみたい。こんなにたくさん本があるのに」
アカネはとても寂しそうに言った。
どうやら、アカネの元いた世界とこの世界の言葉は異なるらしい。なにか不思議な力の影響で日常の困らない範囲の言葉は分かるけれど小説を読むという行為は日常に欠かせない行為に含まれないらしく読むことはできないらしい。
「こんなにたくさん物語があることを知れただけでも嬉しい」
そう言ったアカネはとても悲しげだった。
僕はあることを思いついてアカネを児童書のコーナーに連れて行った。
そう、児童書ならば絵本がある。文字が読めない子供だって楽しめるようにできている。その絵を眺めたり、誰かが物語の部分を読み聞かせて楽しめる。
久しぶりに足を踏み入れた児童書のコーナーは思い出とは少しだけ違った。広々とした布のソファーはとても小さく、僕たちでも二人で座ると少しきついくらいだった。
アカネに好きな絵本を選んでもらった本を二人で読む。絵本のコーナーは読み聞かせオーケーとされていて、僕はアカネに絵本を読む。
小さなウサギがバレエをしたり、勇敢な男の子が冒険したり、小さな魚が旅をして仲間をみつけたり、僕たちはいろんな世界を覗いた。絵本なんて読まなくなって久しいけれど、こうやってしみじみよんでみるとすごく面白い。
しかも、普通の本ならば少しだけしかない挿絵が前ページに大きくカラーで描かれているのだ。僕たちはいつの間にか絵本の世界にぼっとうしていた。
「はっくしゅん」
アカネが可愛いくしゃみをした。
「ちょっと寒いみたい」
と照れたように言う。
確かに、人気のない児童書の読み聞かせコーナーはやたらとエアコンが効いていて寒かった。
冷えやすい女の子の身体でノースリーブなんて来ていたら風邪を引いても不思議じゃない。
僕は自分の来ていたパーカーをアカネの肩にかける。
「これ使いなよ」
「うん、ありがとう」
アカネは案外素直に受け取った。
華奢なアカネには僕のパーカーは大きいらしく、どこもかしこもぶかぶかだった。とくに袖は長いらしく指先だけがちょこんとでているのが可愛らしい。ハムスターが温かい綿の寝床に入っている時みたいだった。
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