第12話 妹の価値
シオンが来た次の次の夏のことだろうか……よく覚えていない。
でも、シオンの容姿の異常さには疑問はあるけど、シオンはすっかり家族の一員となっていた。
その日もとても蒸し暑かった。
空気に重さがあってじっとりと肌の上でべたつき固まるような感じがした。
その日はシオンは浴衣を着ていた。
白地に赤い金魚や水草が描かれたとても可愛らしい浴衣。
この前、幼馴染のユキの家が、物置のものを整理していていらないからもらって欲しいと持ってきた物だ。着られるか試してみたところ、シオンは酷く気に入って脱ごうとしなかったのだ。
確かに金魚の浴衣はとても涼しげで見ているこちらも気分だけは涼しくなる。でも、あくまで気分だけだ。
肉体は変わらず汗をかいて、じっとりと着ている衣服の質量が増していく。
「あら、お祭りなんてあったかしら?」
すれ違う人々はシオンをみてそんな独り言を口にしたり、僕に祭りの日程を確認したりしてくる。
その度に僕はシオンが浴衣を着ている理由を説明することになった。
「オニイチャン……クジ……」
シオンがつぶやく。
さっきまで浴衣を着せてもらってはしゃいだ姿のシオンは消え去っていた。怯えたように僕の服の裾をつかみ僕の後ろに身体の半分を隠す。
「さあ、兄ちゃん。一回やってくかい?」
男はあの時とまったく同じ格好でそこにいた。
馬鹿みたいにかんかん照りで暑い日なのにも関わらず、ハンチング帽と薄汚れた色のジャンパーを身につけている。
そして、汗を一滴もかいていない。
僕は怖いと同時に、ずっと疑問に思っていたシオンのことを聞かずに入られなかった。
「なあ、シオンは何者なんだ?」
「兄ちゃん。一回やってくかい?」
「わかんないんだよ。教えてくれよ。なんでシオンは突然現れて、それなのにみんな気づかないんだ」
「一回やってくかい?」
男は笑顔をはりつけたみたいな顔で繰り返す。
そう、僕の問いになんか答えない。そもそも僕が客かどうかも疑わしいと思っているようだった。
怖い。
客じゃないとしたら、この男に何をされるか分かったものじゃないと思った。
全く笑っていない笑顔の形に貼り付けられた顔。季節外れの暑苦しくて古くさい服装なのにも関わらず汗を一滴もかいていないその様「この男は絶対に人間ではない」そう僕に確信させた。
そうなると、僕の疑問を解消させるためにできることは一つだけだった。
客になることだ。
客になればこの男は少なくともこちらが聞いたことをある程度なら答えてくれるとこの前の時の様子から想像できた。
「おじさん、クジ引き一回」
そう言うと僕は男の差し出した手の上で財布を逆さまにして振った。
あのときより、たくさんのお金が入っていた。
学年も上がって与えられるお小遣いも増えたし、まだまだ夏休みは続くのだ。お財布の中身には余裕がある。前回よりたくさんのお金をいれるのだからもっといいものが当たるかもしれない。当たってしまったらどうしようとドキドキした。
結果は残念ながら「はずれ」だった。
何の賞品ももらえないらしい。前回は五百円ちょっとで人間が一人というのは随分な大当たりだったらしい。
ただ今更、妹がもう一人増えても困るのだ。はずれたことを残念に思うと同時にほっとした。これで、本題に入れる。
「シオンは、シオンは何者なんだ?」
僕は改めて男に聞いた。男は少しめんどくさそうな顔をした。それを僕がぎろりと睨むと慇懃な態度になった。
「うちで扱っているのは別な世界の品物でございます」
男は答えになっているとはいえない、けれど間違っていない返事を僕によこす。
僕は努めて冷静に男に話を聞いた。
何度も質問をくり返していくうちに僕はシオンがこの世界の人間でないことを知った。
この世界でない世界というのがどんな世界かとは表現は難しいが、僕たちが生きているのとは別な世界が確かにあるというのだ。
シオンはその世界から志願してやってきた。
しかも、若さも美しさも一級品。
「本当に良い買い物をされましたね」
男は籾手をしながら嬉しそうに微笑む。
「下取りも可能ですよ」
とぼそりとつぶやいたのはもちろん聞き逃さなかった。
もし、シオンを下取りに出せば僕は元通りの生活にもどれるのだろうか。妹が居ない生活。おやつも親の愛情も独り占めにできる。
シオンが来てからというものの母さんは何かとシオンをひいきする。
可愛らしい服を着せ、髪をとかし一緒にお菓子作りをする。
それを見かねてか父さんは僕に余分に小遣いをくれるようになった。「母さんには内緒な」そういう父さんとは前よりもずっと距離が近くなったような気がする。二人で秘密を持ったせいだろうか。
でも、一方でシオンがいない生活などもう考えられなかった。
「オニイチャン」そういっていつも後ろからくっついてくるだけだったシオンは気がつけば僕にとって代わりのいない存在になっていた。たしかに、見た目は相変わらず浮き世離れしている。だけど、繋いだ手の温かさや僕に一生懸命ついってこようとするその姿。
家族として過ごした時間。
決して物のように簡単に手放せる物なんかじゃない。
シオンは僕たちの家族になっていた。シオンが居ない生活なんて考えられない。
得体のしれないところはあるかもしれないけれど――どこから来たのか、一体何者なのか――だけど一緒の時間を過ごす内に僕たちは血はつながってないかもしれないけれど確かに兄妹になっていた。
「下取り」そんな単語が妹に使われて冷静で居られるわけがない。気がつくと僕はわなわなと震えていた。
それをみて男はおもちゃを見つけた猫みたいな顔をした。
「いや、旦那。これは珍しい代物なんですぜ。その価値を分かっていないんでしょうか。こんなに若いなんて普通はありえない。大抵すぐ死ぬまで僕たちの前にはでてきません。こんな上物。残り時間で考えても下取りであっても十分に高値がつく。そりゃあもう、一生遊べるくらいの大金をだす輩もいるくらいです」
にやりと笑ってこちらを見つめた。口調だけは今までとちがって慇懃である。ビー玉みたいだと思っていた瞳には微かだが揺れと光が見えた。
「……シオンはものじゃない!!」
気がつくと僕は男を怒鳴りつけていた。
自分の声が思ったよりも荒れていて驚いた。
カサカサと乾いた大地がひび割れるような音だった。
男は愉快そうにこっちをみる。
「へえ、お客さんを見ていると他の客がどうしてあんなに必死にクジを引きにきて絶望するのか分かる気がしますよ。ほら、これ。ついさっき大企業の社長さんがもってきたんですよ。たった一回、このクジを引くためだけに。土地の権利書に株……すべてを差し出して。人間とはなんて業が深いんでしょう。たった一回、当たりを引いただけで必死ですべてを差し出すようになるなんて。悪いことは言いません。お客さんもさっさとそれを手放しなさい。失ったときが怖いですから」
ほらというように手を差し出してくる。
何を言っているのだろう。妹をそんな風に手放せる訳がないだろう。
そして、たった一回のクジの引きのために大の大人が全財産を手放すなんてあるのだろうか。そんな風に考えてどれくらいたったのだろう。
「オニイチャン、カエロウ」
シオンがぎゅっと僕の服の裾を引っ張った。
その様子をみて男はやれやれとわざと大げさな身振りをしながらいう。
「分かりましたよ。ではまた次の機会にでも」
男がそういうと世界がふわふわと溶け始めたような気がした。
でも、前回と違うのは全く頭が痛くならない。
おそらく、当たりを引いてないから記憶とか世界とかが書き換えられないからだろう。
「ああ、でも来年はその価値は減ってしまっているから気を付けて――」
遠くで男が言い捨てる声が聞こえた気がした。
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