第7話 殴られた頬
殴られた頬がじんじんと痛む。
腫れ上がり、そこに小さな心臓でもあるのかと思うくらいドクドクと脈打って主張するのだ。
結局、僕はユキの両親にユキが妊娠したことを告げることはできなかった。
ユキは、その日、約束の場所に現れなかったのだ。
蝉が啼いては何匹か落ちる。
落ちた蝉は、しばらくすると再び生きることを思いだしたのか、バタバタとその羽を振るわせ不快な音と尿をまき散らした。
さすがに挨拶にいくのにラフな格好ではまずいと思い、母さんにいぶかしがられながらもクリーニングにだした制服がじわりと汗を含んでべたつき重くなっていった。
でも、僕はなにも行動ができない。
ただ、蝉と一緒でうだるような熱さのなかその場に居続けることだけ。
何も考えたくなかったのだ。
少し頭を働かせればそこで待ち続けなくとも、ユキの家にいって確かめれば良いことが分かったのに。
いや、本当は僕はユキの家に行った。
だれにも、言ってないけれど、行ったのだ。
ユキの家は村の中でもはずれた場所にあった。
ユキの家は二つある。
一つの敷地のなかに、昔ながらの土間があるような古い家と近代的な家。
ユキの叔父さんが、東京のハウスメーカーに勤めているから、その付き合いで建てたということだった。
幼い頃はユキの家に遊びに行くのが好きだった。
ユキが生まれたころに建てられたその家は新しくて、艶々のフローリングがキャラメルとナッツを敷き詰めたお菓子のように美しい飴色をしているのを眺めるだけでも楽しかったから。
あの日、ユキの家、正確には旧い家のその奥にある納屋から、この世のものとは思えない啼き声が聞こえた。
最初に聞いたときは、なにか獣が絞められているときの声だと思った。
断末魔というのだろうか。
だけれど、その悲鳴はあまりにも長く続いた。
何匹もの獣や家畜が絞められていたかもしれないって?
いや、それはない。
その啼き声は、確かに一つの生き物から発せられていた。
声をあげればあげるほど、ぎゃあぎゃあという声が濁り、いつのまにかがああがあと悲鳴ではない何か喉から声が絞り出された音に変わっていった。
そして、その間に微かに聞こえた言葉があった。
『ごめんなさい』という人間の言葉が何度も何度も……つぶれた声で繰り返されていた。
それは間違いなくユキの声だったと思う。
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