第2話 一生、彼女を守ろうと思っていた
「……話したいことがあるの」
キスの甘い余韻が唇から耳にかけて踊るなか、ユキの声がそっと囁いた。
学校で一番歌が上手いと言われている彼女の声は普段から耳に心地いいが、今日はキスのせいなのか少しかすれて甘美だった。
「なに?」
僕はぼんやりとしたまま聞き返す。
今思い返すと馬鹿みたいだ。
ただ、想像してみて欲しい。初めてのキスに酔っていた童貞を。
ユキの声の深刻さに気づくべきだった。
もっと、彼女の話を真剣に聞くべきだった……だけれど、そんなことを今更思ってももう遅い。
ユキは僕の阿呆な様子をみて、いいかけた言葉を確かにあのとき飲み込んだ。
そして、いつも通りのかすれのないソプラノで、
「どうしよう。シミ落ちなかったら、お父さんに酷く怒られちゃう」
そう言って何時もの徴して小首を傾げた。
冗談っぽくいっているけれど、確かにユキの着ている浴衣は村にとっては特別なもので、汚せばただでは済まない。
絹のように美しく、水に弱い。
下手に水に濡らせばあっというまに、無数の糸へと分解される。
村の年頃の少女たち、全員に与えられるけれど、あくまで借り物なのだ。
この村の守り神からの借り物――決して穢してはならないとされている物だった。
ユキの肌を包む、朱の浴衣はこの土地のだけの特別な織物で出来ている。
祭りの灯りの元では鮮やかな朱に見えるが、昼間の、本物の光の元でみればそれは真っ白な浴衣なのだ。
こんな小さな村が、村として存在できている理由がこの織物。『希和蛇織』だ。
村は過去に存続の危機に陥る度にこの特別な織物を高貴な方に献上して守られてきた。高貴な方はこの織物をたいそう気に入り、自らの血族以外がそれを身に着けるのを禁じた。
そのため、製法どころか存在までも門外不出とされている。
ただし、この祭りの夜だけは村の娘達も身に着けることが許される。
どんなに美しくても、端切れ一枚たりとも持ち出すことを禁じられている。
村の子供は物心がつくと、村の小さな塚に連れてかれ、過去に織物をを持ち出そうとした女の昔話を聞かされる。
大人になって知るのだが、家によって語られる物語は違う。
僕の家では未亡人の女性が端切れを子供のために持ち出して、そのまま川に落ちて死んでしまった話を聞いた。
ユキの家では、糸くずが付いていただけで、女は鬼に頭からばりばりと食べられたという話だったらしい。
語るのか騙るのか、僕たちにはどうしてそんなことをしているのか分からないが、田舎というのはきっとそういう場所なのだという半ば諦めめいた気持ちがあった。
「謝りに行こう。僕が一緒なら、きっとユキのお父さんもそこまで酷いことはできないはずさ」
僕は半ば不安な気持ちを振り払うように努めて明るく言った。
ユキを守らなければ。初めてのキスをして、浮かれていた。
彼女を何者からも一生守ろうと思っていたのだ。
そのときは本気で。
ユキの小さな手をつかむと少し汗ばんでいるのに凍ったように冷たかった。
本当は恋人のように指を絡めて繋ぎたかったが、ユキの指があまりにも強張っていた。僕は彼女の手を包むようにしながら、ユキの家の方に歩き始めた。
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