夜、君が啼こうとも
華川とうふ
第一章 幼馴染
第1話 夏祭りの夜に幼馴染とキスしたけれど、彼女はもう既に……
その夜は、美しかった。
祭りの夜はいつだって特別なのだ。
本物の夜空は星一つ輝かない。そのかわりにいくつもの提灯が淡い偽物の昼間を作り出す。
ほんのりとした光を放つそれは、たった一つだと控えめな癖にいくつも連なると途端に人を惑わせる。
子供の頃から、祭りの日には不思議なことが起きる。
そもそも、この村の夏祭りというのは夏よりずっと前に行われる。
夏祭りというのに、まだ世間的には夏を感じる前、雨が滴るような陰鬱で気が滅入る季節に行われるのだ。
それでも、夏祭りの日は本物の夏と変わらないくらい熱く蒸して、そしてどこからかやってきた蝉が鳴く。
さっきまで、恐ろしいくらい人の熱気と喧噪に囲まれていたのに、波が引くように静かになる瞬間が必ずあるのだ。
汗がすうっと引いていき、自分の血が流れる音が聞こえるくらい音が消える。
なにかよくないことが起きる。
そう、直観するような瞬間が。
「ねえ、聞いてる?」
提灯の灯までが遠ざかり始めたとき、僕のことを現実に引き戻したのは幼馴染のユキの声だった。
鮮やかな朱の浴衣をまとった彼女は恐ろしいほど綺麗だった。
いつもは黒一色のセーラー服を身に着け田舎らしく地味な彼女が妖艶に微笑む。
手には浴衣よりも紅いリンゴ飴が月の光をあつめたかのような蜜をまとっている。
僕が返事をできないでいると、ユキは少し小首を傾げたあと、リンゴ飴を一口囓る。
小首を傾げるのは子供のころからの癖だ。
困ったときも、照れたときもユキはちょこっと小首を傾げて俺のことを見つめる。
そのあどけない仕草にほっとすると同時に、ユキの唇がリンゴよりも濃い赤であることに気づいてドキッとした。
「一口、食べる?」
そういって、ユキはこちらにリンゴ飴を差しだそうとした次の瞬間、
「「あっ……」」
ユキと僕の声が重なる。
ユキが手にもつリンゴ飴からパラリと飴がヒトカケ剥がれてユキの浴衣に落ちていく……。
さっき、ちゃんと現実にもどって来れたばかりなのに、その瞬間は全ての動きがスローモーションに見えた。
全ての音と光が遠ざかる。
薄硝子のような一欠片が、ユキの浴衣に舞い落ちた。
「あーあ、シミになったらお母さんに怒られる……」
困ったように眉が八の字を描いている。
笑っているけれど、泣く寸前。
そのことは幼馴染である僕だけが知っている。
ユキは子供のころから泣き虫だった。
そんな彼女の涙を止めたいといつも想っていたけれど、僕はただ側にいることしかできない。
きっと、ユキは浴衣を汚したことで酷く叱られ当分、僕らは会うことができないだろう。
ユキと会えない。
そう思うと僕はいてもたってもいられなくなり、気が付くとユキの手首を捕まえて、そして――僕らはキスをしていた。
わずかに香る苹果の香りと喉が痛くなるくらい甘い蜜の味。
ファーストキスが甘酸っぱいなんて嘘だった。
恐ろしいくらい甘くて、そしてどこか固いキスを僕とユキは暗やみのなか必死にむさぼった。
このとき、僕は知らなかった。
僕とユキ以外の存在がそこにいることに。
そう、僕にとってはファーストキスだけど、あのときユキのおなかには小さな別な命が脈打っていたことを。
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