私が帰る場所-2


 「美葉さん……。」


 目を泳がせる正人に、美葉はゆっくりと微笑んだ。


 「一目見て、分かった。これは、私と正人さんのソファーでしょう?私が、帰る場所なんでしょう?」

 正人は、ゆっくりと頷いた。

 「じゃあ、正人さんが座らないと私が帰ってきたことにならないわ。」


 「美葉さん……。」


 美葉は、正人の瞳をまっすぐに見つめた。


 「私の帰る場所は、正人さんの隣しかないんだから。」


 「美葉さん……。」


 正人の瞳が、頼りなく揺れた。美葉は、軽く自分の右側を叩いた。


 「早く、座って。」


 正人は、躊躇いながら近付き美葉の隣にゆっくりと腰を下ろした。


 美葉は、目を閉じた。胸に暖かな熱が沸いてくる。両手を胸に当てた。芍薬のペンダントに指が触れた。逢えることを祈って、外さずにいた。その小さな花をそっと握りしめる。


 「幸せだね。」


 その熱の正体に名前を付けるとすれば、これ以外に何があるのだろう。


 「このソファーは、私を幸せにしてくれた。」


 人を幸せにする家具を作る。それが目標なのだとしたら、今達成できた。でも恐らく、正人もうはそんな目標などどうでも良いと思っているはずだ。ただただお客さんの求めるものを探り、その先に幸せがあることを願って一生懸命に家具を作る。それだけ。


 家具は、お客さん達が紡ぎ出す日々の営みと、喜怒哀楽の中で共に育っていく。


 「今の僕が、ここに座る資格はありません。」


 正人は俯き、膝の上に両手で握り拳を作った。美葉はその拳の上に、自分の手を重ねた。


 「正人さんがここに座ってくれないと、私は生きていけないわ。」


 正人はやっと顔を上げ、美葉を見た。その瞳が困惑に揺れている。


 「この数日、樹々で過ごしていてよく分かったの。正人さんと一緒にいないと、私は心を休めることが出来ないんだって。」


 正人は、首を小さく傾けた。


 「私は、頑張ることは得意だけど休むのは苦手。正人さんの側にいないと、ほっと息をつくことが出来ないの。」


 正人の瞳が、驚きで満たされる。


 「京都から帰ってきて、頑張りすぎて身体がボロボロになっていることに気が付いた。佳音にも怒られちゃった。」

 佳音の顔を思い出し、ふっと笑ってしまう。


 「正人さんは、私がいないといろんな歯車が狂っちゃう。」

 「はい……。すいません。」

 うつむいて、頬を掻いた。その仕草が、愛おしい。


 「一緒にいたら、全部上手くいくね。」


 正人の手からじんわりと暖かなぬくもりが伝わってくる。このぬくもりに触れたいと、どれだけ願っていただろう。逃さぬように、自然と指先に力がこもる。


 「正人さんは家具作りに専念できるし、私は心穏やかに過ごせる。……そして、何より幸せでいられる。」

 「こんな、僕と一緒にいて……?」

 「こんな正人さんも、あんな正人さんも、みんな私の愛しい正人さんよ。」

 鼓動が早くなる。落ち着かせるために、一度大きく息を吐いた。


 その言葉を伝えるために。


 「正人さんが、好きなの。ずっと、そばにいて欲しい。」


 高鳴る胸を押さえながら、正人の顔を見る。正人の顔がみるみる赤く染まっていく。


 「正人さんは……?」


 問いかけると、正人は口をぱくぱくさせた。だが、やがてその口を閉じ、真一文字に結ぶ。一度顔を反らせて、肩で大きく息を吸い、吐き出した。


 再び美葉の方を向いたときには、固い決意が瞳に宿っていた。


 「僕も、美葉さんが好きです。」


 正人の声は、少し震えていた。


 心が熱いもので満たされていく。


 こんなにも短くありふれた言葉を伝え合うのに、長い時間がかかった。遠回りをして、痛い思いをして。


 それでもやっと、伝え合うことが出来た。


 ふう、と正人が大きく息を吐いた。正人を包んでいた、緊張で強ばった空気が一気にほぐれていく。拳を握っていた手が解け、肩からだらりと力が抜けたようだった。


 正人の瞳が細められる。そして、端正な造りのその顔がゆっくりと近付いてきた。

 美葉の鼓動はまた早くなり、緊張しながら目を閉じた。


 高鳴る鼓動が正人に聞こえてしまうのではないのかと思う。正人の湿った吐息が頬に掛かる。


美葉は、瞼にきゅっと力を入れた。震える心で、正人の気配が近付くのを感じている。


 ごん。


 正人の額が、肩に落ちた。


 「……え?」

 思わず声を上げる。


 「ぐー――……。」


 正人の口から、鼾がこぼれた。


 「嘘、でしょ。」

 脱力した正人の体重を受け止めながら、呟く。


 緊張の糸が一気に切れてしまったらしい。おそらく逃亡中ほとんど眠っていなかったのだろう。ほっとした途端、スイッチが切れてしまったようだ。


 無防備に上下する背中を見つめる。


 「こりゃ、大変な人を好きになったもんだ。」


 美葉は呟き、正人の髪に頬を近づけた。伸びた坊主頭の髪は柔らかくて、猫に触れているようだと思った。


 その柔らかさは、じわじわと美葉の胸に甘く暖かな温もりを連れてくる。


 幸せな温もりの中で美葉は身体の力をほどき、そっと目を閉じた。

 

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