前髪の下
前髪の下-1
「いくよ。」
のえるが正面から自分を見据えて言う。陽汰は、両手を握り、頷いた。
新千歳空港の出発ロビーで、膝をつき合わせるようにして向かい合っていた。のえるはこすり合せていた両手を陽汰の前髪に差し込んだ。そのまま、後ろになでつける。
超ハードタイプのワックスで、強制的に前髪をオールバックにされた。陽汰の顔が露わになる。のえるの指が、ゆっくりと陽汰の髪から離れた。
「やっぱりね。」
にっこりと微笑む。
「目がお兄さんにそっくり。陽汰って超イケメン。」
陽汰は恥ずかしくて顔を上げられない。顔に当たる光が今までの何倍も明るくて目がくらみそうになる。白く無機質な床でさえ、眩しい。
「顔を挙げて、よく私の顔を見てよ。」
のえるに言われて、おそるおそる顔を上げる。
常に前髪に隠れて途切れ途切れだった視界が、広くて眩しい。その真ん中に、のえるの小さな顔がある。マスカラで目をくっきりと縁取り、グレーのカラーコンタクトを付けた瞳が自分をまっすぐに見つめている。恥ずかしくてうつむきたいが、のえるの両手が頬にあてがわれ、うつむくことを許してくれない。
「私の顔は、怖くないでしょ。」
そう問われて、頷く。怖くは無く、眩しいのだが。
「怖くなったら、私を見て。」
恥ずかしくて、汗が出てくる。のえるはオレンジ色の唇をにっと開いて笑った。
***
書面での契約を交わした後で、ポスターの撮影をするとさっき急に連絡が入った。
ポスターの撮影をするに辺り、陽汰の姿をどう映すのかが議論に上がり、結論は出ていないはずだった。のえるはモデル並みにスタイルが良く美人でビジュアル的に申し分ないが、極端に背が小さく陰気くさい陽汰をどのように並べるといいのか結論が出ないらしい。
そもそも、プロデュースをする上でボーカルとドラムというバンドは取り扱いが難しい。ギターやベースといったサポートメンバーを入れるか、いっそのえるだけを前面に出してはという意見で割れており、そこも結論が出ていない。のえるは陽汰と二人でないと意味が無いと言い張り、自分一人が脚光を浴びるのであれば契約しないとまで言った。
今日は、とりあえずのえると陽汰の二人で撮影をするのだが、のえるだけの写真も撮りたいと事務所から言われ、のえるが電話口で怒りをぶちまけていた。こんな混沌とした状態で、契約を交わしても大丈夫なのかと心配になる。
陽汰としては、のえるだけ前面に出て自分はその陰に隠れていても全く問題は無いと思うのだが。
事務所のドアを開けると、篠田ともう一人の男性社員が振り返った。二人とも、驚いた顔を向ける。
「陽汰、君?」
陽汰は仏頂面で頷くのが精一杯だった。
「どうも。」
のえるは勝ち気な態度で頭を下げ、中に入っていく。後に続くと、急にのえるが立ち止まり、肩に頭をぶつけそうになった。
「アッシュじゃん。」
のえるが呟く。陽汰は反射的に顔を上げて、ぎょっとした。
事務所の社長であり、カリスマ的なアーティストのアッシュが窓際に立っていた。ぴったりとした黒い皮のスーツを着こなし、肩までグレーの髪を伸ばしている。まるでそこにスポットライトが当たっているようだ。視線が持って行かれて釘付けにされる。
アッシュ本人が会社に現れることは滅多に無いので、会うことはまず無いだろうと言われていた。
アッシュは片手に一眼レフを持っていた。
「初めまして。写真は、俺が撮るね。その方が話題になるだろうからさ。」
強烈なオーラを放ちながらアッシュは軽く肩を上げて見せた。
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