正人の異変-4

 正人の生活基盤はこの家だ。美葉が京都に行ってからも、正人は仕事を終えるとこの家に帰ってきて食事の支度をし、和夫と食事をする。風呂に入り、和夫とテレビを見て、居眠りを始めた和夫を布団に連れて行き自分も宿直室に帰る。


 そんな生活が、続いているはずだった。


 「……そうだな。」

 和夫は更に眉をしかめた。


 「おかしいと言えば、ずっとおかしかった。あの、健太が呼んできたテレビ番組が放送されてからだ。


 それまでは、平日に客が来ることはあまりなかった。だから夕方になると波ちゃんが節子ばあちゃんを連れてコーヒーを飲みに来ていた。そしたら、自然と近所のおばさん連中が集まる。持ち寄ったお菓子を食べながら、閉店時間まで井戸端会議をしていたな。それが、物忘れが進んでいく節子ばあちゃんのいいリハビリになっていたようだ。


 おばさん連中は、帰る前に樹々の掃除をして、足りないものを補充してくれてた。正人は細かいところに気が回らないからな、助け合いの場が成立していたんだよ。


 ところが、テレビが放送されて樹々が有名になった。家具も売れたが、家具を買う客以上に興味本位でやってくる客が増えた。波ちゃんと節子ばあちゃんは客がいる時は邪魔になるから樹々に行かないことに決めていたそうだ。そうしたら、おばさん連中が樹々に集まることも無くなった。


 ……誰かが、食器を洗わないとか、ゴミを放置するとか、ルール違反をするとそれをまねする客が増える。樹々の掃除が大変になったのと、家具の注文をこなすのが大変になったのが重なってしばらくショールームを閉じる事にした。


 それくらいから、寝る時間がバラバラになって家に来る事が出来なくなった。食事を運んでやったり、風呂に入らない日が続いたら引っ張ってシャワーだけでも浴びさせていたが、だんだん目つきが険しくなって声を掛け辛くなってな。


 節子ばあちゃんが入院してからは、ひょっこりやってくる節子ばあちゃんを家に送り届ける役目も無くなって、人との接点が無くなってしまった。」


 やはり、正人は狂いだした歯車に翻弄されていた。


 狂いだした歯車を何とか元の状態に戻そうと独りで足掻いたのだろう。しかし、あの状態は正人が自力で修正できる範疇を超えている。どうしようも無くなった今の状態を見せる事が出来なくて、逃げ出してしまったのだろうか。


 唇を噛みしめる。


 正人を見失ってしまった。少し気持ちを傾けたら、もっと早い段階で異変に気付けたはずなのに。


 「美葉。」


 佳音の声に目を上げると、湯気の立つ茶碗が目に入った。和夫の話を聞きながら、佳音は〆の雑炊を作っていたようだ。その湯気の向こうで、佳音が微笑んでいる。


 「今は、考えちゃ駄目。これを食べたら、布団に入って寝るのよ。夜中に目が覚めても、余計な考え事をせずに眠ることに集中して。」


 「……分かった。」

 美葉は、差し出された茶碗を受け取った。


 まずは、自分を立て直すことが大事。佳音の瞳はそう言っていた。

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