正人の異変-3
健太は手を合せてから、塩ちゃんこ鍋のつみれを口に放り込んだ。熱かったのか、顔をしかめてハフハフと口を動かす。
「上手い!ショウガと葱が良いアクセントだな。錬の好みだわ、これ。」
「でしょう?」
佳音が目配せをする。それから、美葉にも鍋を取り分ける。
「美葉、一口に三十回噛むこと。」
とんすいを手渡しながら佳音が言う。美葉はえー、と思わず叫んだ。
「しっかり噛んで、唾液を出して、胃に準備運動させてから食べないと、気分が悪くなるよ。」
「……はぁい。」
キリリとした表情で言う佳音に反論できず、美葉はしぶしぶ頷いてから白菜を摘まんでフウフウと息をかけた。胃が、まだかまだかと催促するがまあ待てと語りかけるように口に入れ、咀嚼する。まだシャキシャキとした歯ごたえを残した白菜は、噛むほどに甘くなっていく。
――ボサボサの髪、伸び放題の髭。
鮮明に、初めて会ったときの正人の姿が脳裏に蘇った。
あの時、正人は餓死寸前の有様だった。見かねて、家に招いて消化の良い物をとあり合わせの食材で雑炊を作った。勢いよく一口目を口に入れ、熱さにのたうち回っていた。しっかりと息を吹きかけて冷ますことと、しっかりと噛んで食べるようにと伝えた。
正人は伝えられた言葉を忠実に守った。雑炊を掬ったレンゲにひたすら息を吹きかけ、焦るように、しかし何度も咀嚼しては飲み込む正人の姿を思い出す。懐かしさにふっと頬が綻び、その後で急激に寂しさが胸を襲う。
健太が和夫に、節子を偲ぶ会に現われた錬に、陽汰が見事な跳び蹴りを見舞った下りを説明している。和夫は、鍋を食べるのを忘れて聞き入っていた。
「……そんな、一大事に何でワシは寝とったんだ。」
その呟きに我に返り、吹き出してしまう。佳音も健太も声を上げて笑った。和夫は坊主頭を照れくさそうにこする。
それから、はっと顔を上げた。
「……正人は、何でここにいないんだ?」
すっと空気が冷える。健太と佳音は視線を落とした。しかし美葉は父の顔をまっすぐに見た。
「正人さんと連絡が付かないの。お父さん、正人さんの様子、おかしいことは無かった?」
和夫は箸を止め、斜め上を見上げた。記憶をたどるように眉をしかめる。その頭に、白髪が増えたような気がした。
「おかしいかどうか、分かるほど最近顔を合せていないな。それこそ節子ばあちゃんの葬式の時、久しぶりに会ったような気がした。……その時は、おかしいとは思わなかった。当たり前に節子ばあちゃんが死んだことを悲しんでいた。居眠りしていた俺を起こして連れて帰った時も、いつもと変わらなかった。」
美葉がテーブルを小さく叩いた。
「そんなに顔を合わさないって事がおかしいじゃん。」
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