正人の異変

正人の異変-1


近所のスーパーで食材を買い込み、佳音の後について実家に帰る。


 久しぶりの我が家。ふと立ち止まり、雪化粧した紫陽花畑に目を向ける。


 咲き終わった花がまだこんもりとした形を残し、立ち枯れた塊になってもなお、夏に咲かせた色を残している。帽子のように乗った雪がその色を濃く引き立てる。


 今年も沢山の花が咲いたのだな、と思った。一度も見ることは出来なかったけれど。


 お母さん、ただいま。


 心の中で呟いた。


 紫陽花、ほったらかしにしてごめんね。


 『紫陽花の良いところは、ほったらかしにしていても毎年必ず大きな株に成長して、綺麗な花を咲かせてくれる所よ。美葉も紫陽花みたいに、強くたくましく育って欲しいなぁ。』


 紫陽花の手入れをしながら、笑顔でそういう母の姿を思い出した。まだ自分が随分幼い頃だったように思う。


 ――育ってるつもりだったけど、どうやらそうでも無いみたい。


 苦笑いを浮かべる。


 私、案外弱かったのかも知れないね。


 急に頼りない気持ちになる。思い出の中の母が、自分に向かって微笑んだ。


 『紫陽花は、花が咲かない年もあるの。でも、諦めることは無いのよ。その分次の年には、沢山の花を咲かせるからね。』


 あれは何時どんな出来事の後だったのか、忘れてしまった。でも確か、何かにしょげている自分を慰めるために掛けてくれた言葉だった気がする。


 和夫がいつか、死んだ者は案外近くにいるのではないかと言ったことがあった。見えないガラス窓の向こうから、生きている者を見守っているのでは無いかと。


 今、頭に蘇った思い出は、ガラス窓の向こうで娘を案じた母が掛けてくれた言葉なのかも知れない。そう思うと、胸がじんと熱くなった。


 「おじさん、今日は。お台所借りて良いですか?」

 玄関口で、佳音が奥に声を掛ける。しばらくして、和夫が玄関口に姿を現した。 


 「あ、お父さん、ただいまー。」

 佳音の肩越しに顔を見せる。和夫はぽかんと口を開けた。


 「お邪魔しまーす。」

 佳音は和夫の許しを得る前にブーツを脱いで中に入っていった。

 美葉、健太と続く。その姿を、和夫が口を開けたままみている。


 相変わらず、ぼうっとしている。


 美葉はおかしくなり、和夫の顔を見て笑った。


 「……美葉、帰ってくるなら電話くらい……。」

 驚いて頭が回らないようで、言葉がしどろもどろになっている。


 「え、正人さんに連絡したよ。何も聞いてない?」

 「ああ、なんも。」

 正人は家族も同然だから、いつも帰省の連絡は正人にしていた。正人は毎日谷口家にやってくる。食事をし、風呂に入るために。


 その当然の営みすら、出来ていないのだろうか。一体、いつから。


 美葉の胸に、また不安が去来した。

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