過呼吸の理由-2

 薄い雪にくるまれるように佇む赤い屋根の、平屋建ての廃校。体育館の前には、「手作り家具工房樹々」と書かれた一枚板の看板が。


 看板が、無い。


 髪が逆立つような怖気が走った。はじけるように駆けだして、入り口の引き戸に手を掛ける。固い抵抗があり、動かない扉。


 「美葉、勝手口のほうは開いてるから。」

 健太が肩をたたいた。


 薄い雪を踏みしめながら勝手口に回る。勝手口には鍵はかかっていなかった。軽い力を加えると、簡単に扉が開く。


 工房の作業台の上には、まだウォルナットの木材が置かれていて、蝶の羽のような木くずが周囲に散らばっていた。道具だけはきちんと箱にしまわれていたが、その荒れた様子に愕然とする。


 イスやテーブルなど、たくさんの家具が壁際に乱雑に寄せられている。その殆どが、制作の途中であるようだった。スケッチブックが開いた状態で床に伏せてある。どうしてよいのかわからなくなった正人の手から滑り落ちるスケッチブックが脳裏に浮かんだ。


 ふらふらとさ迷うようにショールームへ続くドアを開ける。


 ソファーセットや雲の形のテーブル。懐かしいそれらの家具は隅に置かれて、ここにも作りかけの家具が点在していた。


 これらの家具は、発注を受けたまま未完成で放置されているのか、もしくはキャンセルされた物なのか。


 もしも未完成のまま放置されているのであれば、一体どれくらいの注文が未納なのだろう。こんなに沢山の仕事をやりかけのまま、京都の駒子の所へ足繁く通い、最優先で仕事をしたのだろうか。納期が遅れる連絡はしているのだろうか。――連絡が出来るくらい、これらの仕事内容を、正人は把握できているのだろうか……。


 去年の八月までは樹々は問題なく稼働していた。その後、涼真の妨害に遭い帰郷できなくなった。月に一度正人の仕事をチェックしていたが、その時点では正人も自力で仕事をもれなく回すことが出来ていたので、もう自分が手を掛けなくても大丈夫だと思っていた。

 

 そう思わざるを得ないほど、自分も自分の仕事で手が一杯だった。


 目の前にある光景に自責の念をかき立てられる。


 正人と二人で作り上げた樹々という場所に未練がましく手を差し伸べておきながら、自分の都合でその手を離した。正人の生活時間が狂っていることも感じ取っていたのに、連絡が取れない状態を放置していた。


 連絡が取れない。


 その状態が正人からのSOSだったのでは無いだろうか。


「……本当は、正人本人から聞くべき事なんだけどさ。」

 健太が、躊躇いがちに口を開いた。


 作りかけの家具の上に、窓からの光に照らされた埃が舞う。目の前の光景がまだ現実のものとは受け入れられないでいる。


 健太の言葉が、そんな気持ちに更に追い打ちを掛ける。


 「正人は、樹々を閉じて旭川に帰るって、もう決めたんだ。」


 どくり、どくりと心臓が音を立てる。


 まさとはじゅじゅをとじてあさひかわにかえるってもうきめたんだ


 記号のような言葉が頭にぼんやりと響く。パズルを組み合わせるように、言葉がゆっくりと意味を持つ。


 正人が、いなくなる。樹々が、無くなる。


 殴られたような衝撃が、頭に走った。喉の奥に大きな塊が現われて気道を塞ぐ。慌てて、酸素を求める金魚のように天井を仰いだ。吹き抜けの体育館の梁が、ぐるりと回る。


 息が出来ない。酸素を求めて、息を吸う。苦しくて、立っていられなくなる。


 「美葉!?どうした!?」

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