逃げないという決意-3

 健太も美葉も、自分をいじめ、傷つけようとするものから庇ってくれたし、錬と佳音は病を理解し、言葉を促すことが無いよう周囲に働きかけてくれた。美葉の反応は正論だったと思う。その厳しい態度に反感を覚えていたが、本当は中学生の時に克服しようとしなければならなかったのかも知れない。


 のえるは美葉を見て、明らかに不審そうな視線を向けた。あ、と美葉は慌てた顔をした。


 「私、陽汰の幼なじみの谷口美葉です。陽汰とは、物心ついた時からの友達。」

 ああ、とのえるは笑顔を見せた。その顔に安堵の表情が浮んだのは気のせいだろうか。


 「知ってる知ってる。陽汰がしゃべる数少ない人間達の一人。」

 「まぁ、そうかな。」

 のえるの表現に、美葉は苦笑いを浮かべた。


 「あなた、のえるでしょ?動画見てます。凄く素敵だなーって思ってたけど、実際に会うと本当に格好いい。……今日は、二人でお出かけ?」

 美葉の言葉にのえるは首を傾けながら頷いた。


 「アッシュの事務所に行って、今から正式に契約するの。」

 「えー、マジで!?」

 美葉は目を見開いて陽汰の顔をまじまじと見た。それから、肩をバンバンと叩く。


 「すごいじゃん!陽汰!おめでとう!!」


 ……痛ぇな。と陽汰は思った。

 それから、改めて美葉を見上げる。


 よくよく考えたら、こいついいタイミングで現われたよな。


 陽汰は、のえるを避けるように美葉の方に身体を向けた。


 のえるに直接言うのは怖じ気付くけれど、美葉にだったら、言える。


 『逃げたら、後ろめたい気持ちが残りますよ。ずっと後ろめたい気持ちを抱えて、生きていくことになりますよ。』


 正人の言葉を頭に思い浮かべ、両手の拳を握った。


 「のえる。」


 美葉を見上げながら言う。は?と美葉の口が動き、視線がのえるのと自分の間を彷徨い始める。


 「俺、逃げるのやめる。病気を克服して、自分の気持ちを言葉で伝える。」

 美葉に向かって、力強く頷いた。


 美葉の前に、のえるが割って入る。背を少しかがめて、顔をのぞき込んできた。前髪越しに、のえるのグレーの瞳が見える。頬が熱くなり、頭が真っ白になった。のえるはグレーの瞳を細め、オレンジ色の唇を持ち上げて微笑んだ。


 「オッケー。じゃあ、まず前髪を上げることから始めよう。」


 ええ、まじで。


 陽汰は怖じ気付いて身体を硬直させる。前髪は、自分と外界とを遮断する強固なバリアだ。その前髪を上げる。


 でも、確かに。


 これからメディアにでるのだとしたら、前髪で顔半分を覆う奇異な姿は卒業しなければならない。この姿をやめるだけでも、のえるは随分救われるだろう。


 陽汰は、意を決して頷いた。


 「よし、じゃあコクミン薬局行ってワックス仕入れよっ!」

 のえるは陽汰の腕を掴み、もう片方の腕を高らかに上げた。そのまま、ずんずんと前に進んでいく。その動きに合わせて足を動かさなければ転んでしまう。


 「陽汰、頑張れ!」


 美葉の声が聞こえる。のえるが美葉にいたずらっぽく微笑んだ。


 「美葉さん、神!今ここに美葉さんいなかったら、陽汰はまだモジモジしてたかもね!今度一緒に飲もうね!」

 「うん、是非!」

 美葉が大きく手を振る。


 ああ、女同士の結束って、面倒くさい。陽汰は内心そう思いながら、美葉に右手を挙げた。それから、大切なことを思い出し、美葉に告げた。


 「正人は多分来ないぜ!健太に電話しな!」


 美葉の顔から、さっと血の気が引いたのが分かった。申し訳ないと思いつつ、もう一度手を挙げて早足で歩るくのえるに引き摺られて行く。

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