逃げないという決意-2
『逃げたら、後ろめたい気持ちが残りますよ。ずっと後ろめたい気持ちを抱えて、生きていくことになりますよ。』
高校三年生の冬休み前、退学を本気で考えていた。ポロリと正人に伝えると、正人はそう言って卒業まで頑張れと諭したのだった。
しかし、自分は結局逃げていたなと思う。のえるの言うとおりだ。自分は「緘黙症」という病名に隠れて、社会に適応する努力を放棄してきた。
陽汰は今日、のえるに伝えようと思っている。病を克服し、現実の世界で生きていく決意を。
そう思いながら、三十分近くここで待っている。
飛行機に乗るのだから時間に余裕を持って来るべきだろうと、腕時計をチラリと見る。緊張で、手に汗をかいている。これ以上待っていたら干からびてしまう。
「陽汰!」
自分を呼ぶ女性の声が聞こえた。のえるの声と少し違うように感じたが、期待を込めて振り返る。そして、本当に驚いた。
美葉が、スーツケースを引き摺りながらかけてくる。自分の前にやってくると、膝に両手を当てて身体を折り曲げ、肩で息をした。
「えー。まじで。陽汰が迎えに来てくれたの?」
「…………なんのこと?」
何故京都にいるはずの美葉がここにいて、自分が迎えに来たと思われているのか、さっぱり分からず問いかける。美葉は不思議そうな顔をした。
「え、正人さんに頼まれて来てくれたんじゃ無いの?」
陽汰は首を横に振った。美葉は落胆の色を顔一杯に浮かべた。
「有給とって節子ばあちゃんに線香を上げに帰れることになったからさ、正人さんに迎えに来てって電話したの。でも、待てど暮らせど来ないのよ!電話してみたらさ、電源が入ってないか電波が入らない所にいるってさ。……仕事始めちゃったのかなぁ。」
美葉はスマートフォンをポケットから取り出した。陽汰も自分のスマートフォンを取り出し、正人に電話を掛ける。
「お客様のおかけになった番号は――。」
無機質な女の声が聞こえる。
正人は、仕事をしていない。もう、樹々は閉じたのだから。
陽汰は、まじまじと美葉を見た。
美葉は、その事を知らないのか……。
「……あいつ、逃げやがったな。」
思わず呟いた。ムクムクと怒りがこみ上げてくる。
「陽汰!ごめん!待った?」
そこに、今度こそのえるの声が飛び込んできた。小さな赤いスーツケースを引っ張り、黄緑色の幾何学模様の入ったコートを羽織っている。緑色の髪に大きなサングラスを掛けたのえるを人々が振り返ってみている。
「……のえるだぁ。格好いい……。」
美葉が呟く。美葉も、ku-onの動画を見てくれていたのかと思うと、驚きと嬉しさがこみ上げる。「しゃべらない」という事に対して、一番厳しかったのは美葉だった。
『だって、治す薬は無いんでしょ。だったら、努力して克服するしか無いじゃない。』
緘黙症と診断され、錬が陽汰に対して言葉を促すのをやめようと言ったとき、美葉だけが反対していた。
今思えば、皆優しすぎたのかも知れない。自分の周りにいる人々は。
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