悲しい背中
悲しい背中
茎が四方八方に伸びて絡んだまま枯れているトマトを見つめる。
節子の畑にはたくさんの野生のトマトが生え、こんもりとした茂みと化していた。そこに、雪が積もっている。
泣きすぎて、喉が痛い。
節子は小さな骨壺に入って帰ってきた。今、その節子を囲んで人が集まり、節子の思い出話に花を咲かせている。その話を聞いているだけでまた大声で泣いてしまいそうになり、外に出てきたのだ。
「風邪ひくで。」
後ろから、保志が声を掛けてきた。居間に忘れてきたコートを手渡してくれる。保志は胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
いがらいような香りをのせて、紫色の煙が広がっていく。
保志はトマトに歩み寄り、しわくちゃになった赤い実を手に取ると、遠くに放り投げた。トマトは弧を描いて空を飛び、雪原の上に落ちた。きっと、そこにも来年トマトが生えるのだろう。
保志は、その場にしゃがみこんだ。
自分にコートを持ってきたくせに、保志は喪服の上に何も羽織っていない。その広い背中を見つめた。
保志の背中が、凍りついているように見える。哀しみの塊になってしまったかのような大きな背中を、正人は見つめた。
「なぁ、正人。」
保志が、つぶやくように自分の名を呼んだ。
その声は頼りなく、煙のようにたなびいて消えていく。
ふと、正人は思った。
この人の心にはとてつもなく大きな哀しみが在るのではないかと。それは、節子の死を悼むものとは別の、保志の魂の奥底に深く根を張り、彼を苦しめ続けているもの。
「……はい。」
その悲しみに触れて壊してしまわぬように、自分もつぶやくように答えた。
保志はふわっと紫煙を吐き出した。
「俺、町を作ろうと思うねん。」
広がっていく煙を見つめる。
「町、ですか。」
雪はやみ、気の早い夕暮れの光が保志の耳を茜に染めている。
「そうや。」
保志の指の間の煙草が、細い煙を伸ばしている。
「節子ばあちゃんが……。俺らみんなが頼ってた福の神みたいなばあちゃんが、子供のようにボケて、赤子のように死んでいくのを、みんなが支えて見守った。それを、自分らだけのものにするのは、もったいないと思うねん。」
真ん丸な顔に笑顔を浮かべる節子。もういない夫と幼いわが子の話をしながら、手をつないで歩く節子。ロッキングチェアの中で体を丸めて、すやすやと眠る節子。思い出がまた蘇り、涙が溢れてくる。
「人が生まれて、死んでいく姿がみんなに見える町を作りたい。今、社会からそこだけが切り離されて目隠しされているような気がすんねん。でも、一番大切なところや。それが見えていたら、そんな簡単に自分の命を捨てるようなことは、せぇへんのんと違うかなぁ……。」
保志の声は、弱々しく掠れていた。
夕日が目に差し込み、まぶしくて手をかざした。
命が、見える町。
人が生まれてくる姿も、死んでいく姿も身近にある町。
もしもそこに家があったなら、母は今も生きているのだろうか。
「お前も、手伝えや。一緒に作ろうや。」
喪服の背中に目を移す。保志は煙草を雪にこすりつけた。
「旭川に帰るなんて言うな。美葉に頭を下げて帰って来てもらえ。二人やったら、何とかできるやろう?」
正人は何も答えられず、その背中を見つめた。
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