二人の夢-2

 それは、だめだ。


 錬がいなくなったときの、母親の半狂乱になった姿を見ている。今でこそ気丈に普段通りに振る舞っているが、息子を案じていることに変わりは無い。本当ならば、引っ張ってでも両親に会わすべきなのだ。


 錬の指が、頬に触れた。錬は困ったような顔をしている。


 「心配すんな。どっか行こうとしてるんじゃ無い。」

 不安が、顔に出ていたようだ。佳音は安堵と羞恥の入り交じった気持ちで錬を見つめる。錬は、その黒目を斜め上に向けた。


 「……当別に、店を構えたいなぁ、と、思ってるんだ。」


 意外な答えに、スプーンを落としてしまう。銀色のスプーンが白い皿に当たり、カシャンと音を立てた。錬がその音に視線を移す。


 「……やっぱ、帰りたいな、当別に。」


 落とした視線に、哀愁が滲む。喉の奥がツンと痛くなる。その哀愁には、気付いていた。自分が実家に帰る時に錬の顔に浮ぶ哀愁。錬は当別が好きだったし、ずっとそこで暮らす前提で生きていた。でも今は帰ることが出来ない。車を走らせれば一時間もかからずにたどり着ける、緑豊かな故郷と錬の間には、見えない巨大な壁がある。


 「店を持つ準備が整ったら、親に会いに行く。親に会って、謝って。」

 錬はもう一度視線を上げて佳音を見つめた。

 「その足で、佳音の実家に行く。『佳音を嫁に下さい』って、言いに。」


 佳音は、小さく唇を開いた。だがそこに、言葉を乗せることが出来なかった。ただ闇雲に、胸の鼓動が高まって体中が熱くなる。


 一緒に生活をし、将来のために貯蓄をし、共に夢を語ってきた。


 それは、これから先の未来をずっと一緒に過ごしていくという暗黙の了解の元だった。けれど「結婚」という言葉はあえて避けてきた。「結婚」は、二人の関係だけでは済まない事だから。「結婚」するためには、錬と佳音の両方の親に了承を得なければならない。それを避けようとするならば、今錬が身を置いている境遇に自分もその身を投じなければならない。


 錬は自分を置いてどこかに行くことはない。そう固く思っていたが、「もしかしたら。」という恐れがあり、両親との再会について触れることが出来ないでいた。


 それが。


 共に当別で暮らす未来を、錬も夢見てくれていた。こんなに嬉しいことは、無い。


 錬の大きな手が、ぽんと頭に乗った。


 「……なぁ、何とか言ってや。」

 頭に錬の手のぬくもりが伝わる。

 「俺、プロポーズしてんだぜ?」


 錬の手は少し重たくて、温かい。衝動的に佳音は錬の手に自分の両手を乗せ、頭をぐっと押しつけた。そのまま、ぐりぐりと左右に振る。髪がぐしゃぐしゃになるのも構わず。錬が困惑しているのが分かる。首を横に振ったら、断っているみたいだと気付き、今度は大きく頷いた。


 「……どっちが、正解?」


 錬の頼りない声に、佳音は思わずふっと唇を綻ばせた。涙が唇の縁に触れ塩っぱい味が微かに舌を刺激した。


 佳音はもう一度、大きく頷いた。錬の手が脱力し、重さが頭に伝わる。


 「……分かりにく。めっちゃ焦った。」

 涙は出るし、おかしくて笑えるし、どうしていいのか分からない。佳音は小さく鼻を啜った。


 「頑張って金貯めて、佳音を早く『俺の嫁さん』って呼べるようにするから、もう少し、待っててくれな。」


 うんうんと、佳音は何度も頷いた。

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