友と語らう-2
あきれ顔の健太を尻目に、用途の決まっていないフェイスタオルを台所から取って来て絨毯をふく。
「……珍しいね、健太が飲みに来るの。」
これもシミの一つになるのだろう。しかし、自分が去った後、誰かが目にすることはない。沈んだ気持ちで頭が重たくなり、執拗に水分を拭き取りながら、声を掛ける。
「……珍しい、になっちまったんだな、飲みに来るの。」
健太はふっと呟いた。そうだ、遠ざけたのは自分の方だった。苦い思いが広がっていく。
「農家の仕事が一段落付いたからな。打ち上げだ。付き合え。」
明るい声で言い、缶ビールを天に掲げる。正人も、中身が落ち着いたらしい缶を掲げる。
二人でゴクリとビールを飲む。ぷはー、と健太は息を吐いた。
「このビールが一番美味いんだ。」
正人は思わず笑った。
毎日毎日飲みに来るくせに、農業が一段落したと晩秋にやってきて飲むビールが一番美味いと、毎年言う。未成年の時からだ。
「今年の成果は?」
正人はもはや決まり文句になった言葉を問う。うーん、と健太は首をかしげた。あまり良くない年の仕草だと思った。
「麦は良かったな、雨が少なくて病気が少なかったから。でも、稲が日照りの影響を受けて良くなかった。……有機農業も相変わらず停滞。」
ぐびり、とビールを飲む。
「親父もお袋も、有機農業は好きじゃ無いんだ。オーガニックなんて、まがい物だって言いやがる。害虫の発生源になってよそに迷惑かけねぇうちにやめろとさ。耳にタコができる。」
正人は、黙って頷いていた。
「思うとおりに行く事って、少ないのかもな。」
弱気な健太は、珍しい。いや、普段は自信過剰だと思うくらいだが、一年に一度、弱音を吐くのがこの日なのかも知れない。
「生きていくって、難しいなぁ……。」
そう呟いて、空を見つめる。
健太の言葉が胸に落ちて、ずんずんと膨らみ、喉元を締め付けていく。息が苦しくなり、止まるのでは無いかと思う。慌てて息を吐くと、大きなため息となった。
「でっかいため息だな。」
健太が、苦笑いを向ける。かろうじて口角を持ち上げて、ビールを口に含んだ。苦い。
「……看板、しまったのかい。」
苦笑いのまま目を伏せて健太が聞く。気付いているだろうと思っていた。だから覚悟していた言葉だった。それなのに、頷く首が重たい。
「いろいろ、片付け始めないと。まず、一番簡単に出来ることから始めた。」
本当は、それ以外のことは何をどうやっていいのか分からないでいた。商品が未納となっている客のリストも無い。その連絡先を探すことから始めなければ。ショールームの家具はどう処分したらいいだろう。作業台や工具など、増えていった商売道具はどうしたらいいだろう。
頭がぐるぐる空回りして、何も出来ない。
「何年後かのこの日に、本当に美味い酒を飲みたいんだ。」
目を伏せたまま、健太が言う。絨毯のシミを見つめながら、その声に耳を傾ける。
「今年は、豊作で美味い麦も米も野菜も出来た。有機野菜の農園も順調に広がっている。やっぱり有機野菜は味が違うって、評判がいいんだぜ。……ってお前に自慢したいんだ。」
もう来ることの無い未来に、自分に向かってそういう健太を思い浮かべる。
大きな口をいっぱいに開けて笑って、大きな声でまくし立てるみたいに自慢話をするのだろう。ビールをどんどん飲み干して、顔を赤くして。
「お前は、ちょっと悔しがって、来年は自分も頑張るって言うんだ。そしたら美葉が、現状維持でいいって怒るんだ。お前は真っ赤になって、身体をちっちゃくするのさ。俺の隣で、えくぼがあって色っぽい、いい女が笑っているんだ。……それが、俺の夢だ。」
順風満帆の健太をうらやましく思ってちょっと悔しくなって、自分も来年はもう少し仕事を増やそうと、思うだろう。
『正人さんはこのままでいいの。』
美葉が、腰に手を当てて言う。それから、困ったように微笑む。健太の彼女と、仲良くなるのだろうな。誰とでも仲良くなる人だから。
幸せな空想は、心を冷たく締め付けていく。
そんな未来は、来ないのだ。
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