ゆりかご-2

 波子はそれきり口を閉じ、ゆったりと椅子を揺らしていた。


 節子は、安らかな寝息を立てている。


チクタクと、年代物の振り子時計が時を刻む。森山家の居間は広い。ここに親族が大勢集まり、節子はせっせと皆に手料理を振る舞ったのだろう。幸せに満ちた笑い声がこの広い居間の柱や壁に染み込んでいるような気がした。


今は、時計の秒針と節子の寝息が聞こえるだけだけれど。


 「正人、あんたばっちゃんに『見栄と意地は張るもんじゃない』って言われたことはないかい?」

 不意に、波子が問いかけてきた。


 その言葉に思い当たる事はたくさんあった。恐らく、美葉に想いを伝えられない自分を案じてかけてくれた言葉だと思う。


 「ありますよ。」

 きっと今も言われるだろうな。そう思いながら頷いた。


 「ばっちゃんは、私には一度も言わなかったよ。」


 波子の手が止まった。


 「みんなに、口癖のように言うくせに、肝心の私には言わなかったよ。」


 その言葉は、ポトンと音を立てて絨毯の上に落ちたようだと思った。


 「本当は、私に一番言いたかったんだと思う。見栄を張らずに、意地を張らずに夫と仲直りをしろと。……本当はばっちゃん、息子と一緒にいたかったんだろうなぁ……。」


波子の声は、掠れていた。


 波子はうなだれて、腕をロッキングチェアに預けたまま体を小さく丸めた。


 「正人、私、ばっちゃんから大事なものを奪ってしまったね。息子と過ごすっていう大事な時間を……。」


 ロッキングチェアの奥で、波子が小さく肩を震わせている。


 正人は胸を射抜かれたような痛みを感じ、息をするのも苦しいと感じた。


 たくさんの選択肢の中で、なぜあの時その答えを選んでしまったのだろう。


時間を経て目の前に突き付けられた回答に、うろたえている人がここにもいる。


 時の流れの残酷さに、愕然とする。波子は、それを取り戻すために夫が戻ってくることを許し、子供達と供に過ごす時間を大切にしている。まるで、大きく空いてしまった穴を、小さな針で繕うように。


 正人は、節子を見た。

 節子は、満ち足りた表情で眠っている。


 ふと、それが答えのような気がした。


 「波子さん、節子ばあちゃんは、幸せそうですよ。」

 波子は、目のあたりをぬぐって顔を上げた。


 「節子ばあちゃんも、いろんな選択をしてきたんじゃないですか、波子さんと同時に。その結果今、こんなに幸せそうなのだから、それで良かったのではないですか。」


 波子は、小さく息をついた。


 「……そう思って、生きていくしかないんだろうね……。」

 秒針が刻む音にかき消されそうな、小さなつぶやきが波子の口から洩れる。


 答えは、いつもどこにもない。


 だから誰かの幸せな顔を見て、良かったのだと思い込む事しか、できない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る