看板を仕舞ったら-2

 思わず声を上げて振り向くと、桃花が立っていた。


 口をへの字に曲げて、手の中の小石を正人に向かって投げる。小石は小さく弧を描き、正人の足元で落ちた。転がって、靴のつま先に当たる。


 「正人、どっか行っちゃうの?」

 桃花の顔が泣きそうに歪む。それを隠そうとするように、口元がさらにへの字に歪む。


 正人は答えられずにいた。


 小学四年の桃花とはもう六年の付き合いになる。桃花は重度のアレルギー体質だ。


母の千紗と二人で暮らす山小屋で、桃花の成長に合わせて電磁波シールドを使った家具を作ってきた。去年千紗が悠人と結婚することになり、桃花にとっては都会である悠人の家に生活の場を移すことになった。それからは尚更丁寧に桃花が安全に暮らせる場所を作った。


 幼児教育を受けることなく、母と二人きりの環境から、学校という集団の場に出ることになった桃花の苦労は計り知れない。しかも、給食を食べることができず持参した弁当を食べ、掃除の時間は咳が止まらなくなるため図書室に避難し、大型テレビの電磁波をよけて座席はいつも一番後ろ。クラスメートの衣類から発する柔軟剤の匂いで気分を悪くし、クラスメートの保護者に協力を求めると、親の文句を鵜呑みにしたクラスメートから仲間外れにされた。


 桃花は友達を作らず、学校から帰ると正人の作った電磁波を遮る部屋に籠る。そして、あまりにも辛いことがあると樹々にやってきて愚痴をこぼした。


 正人は、桃花の将来を案じていたが、これ以上何もできずに立ち去ってしまうことになる。


 「正人がいなくなったらさ、私が安全に生きる場所、誰が作ってくれるの?」

 とげとげしく攻め立てる口調で桃花が言う。母とよく似てきた小さな顔を正人は直視できない。


 「悠人さんに、電磁波シールドありったけ渡しておくよ。お父さんなら、それを使ってなんだって作れるはず。」

 正人の腹に、小さな石のつぶてが当たる。

 「そういうこと、言ってるんじゃない。」


 そう言い捨てて桃花がくるりと踵を返した時、正門に軽トラックが現れた。運転席に波子が座っている。


 波子は車から降りると桃花の姿を見つけ、「あら。」と小さく声を上げた。そして、何もかもわかっているというように、抱き寄せた。桃花も、素直に波子の胸に体を預ける。多分こんなことは、実の母にはできないのだろう。


 「正人、ちょっと相談したいことがあるんだけど、忙しいかい?」

 桃花の頭をポンポンと叩きながら波子が言う。

 正人は首を横に振った。


 「いいえ。もう、仕事は終わりましたから。」

 「仕事って、最後の仕事、かい?」


 波子に問われ、目を伏せてうなづく。波子はため息をつき、黙って正人の肩もポンポンとたたいた。ねぎらうような、励ますような、そんな力強さを感じ、涙腺が緩みそうになる。ぐっとこらえて、顔を上げた。


 「波子さん、相談したいことって、何ですか?」

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