沈香の香りー2
問いかけると、保志は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……本人の口から、聞いてんか。」
口調から、事が深刻であるとを察する。背筋をぞっと悪寒が走る。
返ってこないメッセージ。埋もれていく正人のアイコンを思い出す。忙しいのだろうと言い聞かせていたが、もしかして、避けられているのだろうか。
「とにかく一遍、帰ってきぃな。親父さんも心配してるで。」
隣でピクリと、涼真の指が動いた。
「……美葉さん、あんた確か故郷にお父様おひとりで暮らしていると言うてましたね。それは、里帰りしてあげんと可愛そう。涼真さん、あんた雇い主やねんから、ちょと配慮してあげなさい。」
駒子に言われ、涼真は苦笑いを浮かべた。
この人のせいなんですけど。
美葉は心の中でつぶやいた。
カレンダーを頭に思い浮かべながら、涼真の車に向かう。連休はないから、土日の休みを使って帰ろうか。そう思った時だった。
涼真の腕が、後ろからするりと胸のあたりに伸びてきて、そのまま抱きしめられた。
驚いて身動きができなくなる。
今日は、ネロリの香りではない。もっと和風の……沈香の香り。
腕に、力が籠められる。
「帰らんといて。」
耳元で囁く。その声が、少し寂しげで戸惑う。こんな声を、涼真の口から聞いたのは初めてだ。
「顔も合わせんと逃げるような男なんて、やめとき。このまま帰らんと、ずっと僕のところにおり。」
鼓動が早くなる。涼真の香りが着物に移ってしまう。
重厚で、ほんのり甘い木の香り。一度嗅いだら忘れられないような、特徴のある、しかし安らぎを感じる香りだ。しみこんで、取れなくなってしまう。
正人は、なぜ逃げたのだろう。
逢えない事でできる隙間に、涼真の香りが入り込んでしまいそうだ。鼓動が高鳴る。それが正人に会えなかった事への不安からなのか、涼真の腕に抱かれている羞恥からなのか判断が付かない。
息苦しくなり顔を上げると、夜の帳が降りたばかりの空が見える。
半月が頼りなくぽつんと浮かんでいる。
故郷の空を鮮明に思い出した。
黒い稜線まで広がる星空。青白い月。ひんやりと冷たい風。消えていく白い息。
正人とともに、眺めた空。
美葉は涼真の腕に手をのせ、そっとほどいた。くるりと向きを変え、その顔を見上げる。
「ごめんなさい、社長。私、一度帰ります。何が起こっているのか知らないままではいられません。」
涼真の瞳が大きく見開かれ、美葉の顔を凝視する。
「そうか……。」
涼真は呟くようにそう言って、哀しげに目を伏せた。
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