本当のアンティーク-3
両手で、口を覆う。
「美葉さん?」
背中に、駒子の怪訝そうな声が聞こえる。はしたないと言われようが、今は立ち上がるつもりはない。焼き印の小人に触れる。
「……この職人さん、変わった人だったでしょう?」
問いかけに、駒子が小さな笑い声を立てた。
「ええ、それはもう。初めてお会いしたときは、あまりきれいではない作業着を着ていて、まくり上げたズボンの裾に木の削りカスがたくさん入り込んでいました。」
「その作業着は、何色でした?」
「そうやねぇ。」
一拍おいて、駒子が答えた。
「最初お会いしたときは、紺色やったと思うわ。その後は、カーキ色のやったけど。」
「よっぽど、急いで駆け付けたんだ……。」
「ええ、そりゃあもう。朝、事情を伝えてこういうものを作れないかとメールをして、夕方には来てくれはったんです。スケッチブックを抱えて、息せき切って。」
克子があきれたように答えた。
メールを開き、衝動的に飛び出したのだろう。目についたスケッチブックなどを手に、外に出て車に乗って、そのまま新千歳空港に向かったはずだ。
着る服は作業着しかもっていないけれど、余所行き用はカーキ色の方。紺色はいつ洗ったのかわからない普段着用。裾上げもせず折り上げた裾に鉋で削った蝶の羽ように薄い木片が無数に入り込んでいて、歩くたびに落としてきたはず。
汗をかきながら、病室に飛び込んで来た正人の姿が鮮明に頭に浮かび、思わず声を上げて笑った。
笑いと、涙が止まらない。
「もしかして、美葉さんのお知り合い?」
駒子の問いかけに、美葉はうなづいた。
「知っていますよ。家具工房樹々の木全正人さん。どこまでもおっちょこちょいで、誰よりも愛情深く、お客さんの幸せだけを願って家具を作る、最高の家具職人です。」
正人が、駒子の命を蘇らせた。
そして、自分もまた正人の立礼卓に導かれて茶室を作った。だからあんなにワクワクして、エネルギーが湧いてきたんだ。
「大変や!あの阿保、逃げよった!!」
給仕口から男の怒鳴り声が聞こえてきた。
この声、どこかで聞いたことがある。
立ち上がり、声の方を見ると、給仕口から保志が飛び込んできた。しかも、縦じまの袴と紺色のお召し着物を着ている。
「なんで目ぇ話したんや!」
「そやけど、着物に着替えるというから、じっと見ているわけにもいかんでしょう。」
「あいつの裸くらい減るもんやなし!」
駒子とも親しげに会話をしている。ポカンと眺めていると、保志が徐に顔を向けた。
「美葉!ぼぅっとせんと追いかけぇ!正人が逃げたぞ!」
躙り口を指さされ、とっさに駆けだした。
正人さんが、逃げた?
ここにやっさんがいるのはなぜ?
頭の中を疑問がぐるぐる回る。飛び石の横の地面を走り、数寄屋門を抜け、駐車場の砂利を抜けて広い車道に出る。
遠くまで見渡せる道のどちらにも人影はなく、ただ道端に吾亦紅が揺れていた。
正人さんが、逃げた?
何から?
肩で息をするたびに、車道の白いセンターラインが上下に揺れた。
胸に両手を重ねる。
なぜ、会わずに逃げたの?
車道が消えていくカーブの向こうに問いかける。
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