本当のアンティーク-2
通常、躙り口は60㎝四方という、人が一人なんとか入れるほどの大きさだ。大きな二枚半の板を張り付けた引き戸でできている。大人の脹ら脛くらいの高さにあり、踏み石という高さのある石の上に乗って正座をしてから、両手をついて躙るようにして入り口をくぐる。
茶道が発達した千利休の時代は戦国時代だ。主従関係の強い時代ではあるが、茶室に入ったらすべてのものが平等だという意味が込められている。この小さな入り口をくぐるためには、どんなに偉い武将でも低く頭を下げなければならない。
そして、この小さな入り口は、茶室という現世の喧騒を離れた別世界への入り口でもあるのだ。
駒子の茶室の躙り口は、90㎝四方とした。30㎝下の地面とは緩やかなスロープで繋がっている。つまり、バリアフリーの躙り口だ。幅は90㎝だが、板は一枚と半分に割った板をつなぎ合わせている。この一枚半という形には「完成系ではなくこれから大きく広がる余地がある」ということを示している。この未来へ続く希望のような由来は残しておきたかった。
涼真と美葉は体をかがめて躙り口をくぐった。一度後ろを向き、通常の躙り口でそうするように脱いだ草履の裏側をそろえて壁に立てかける。
ふふ、と涼真が笑う。
「この躙り口は、健常者は頭を低く下げるけれど、車いすの方はひょい、と楽に通れるね。」
「そうなんです。遊び心があるでしょう?」
得意な気持ちになり、上目遣いに涼真を見上げた。涼真も視線を合わせ微笑み返した。その後で、四畳半の茶室を見まわし、思わずといったように感嘆の声をあげる。
フローリングの朴ノ木は白く、空間を広く見せる。朴ノ木はフローリングでありながら、和の風情を持つ。朴ノ木の和を引き立てるのが浅黄色の聚楽壁であり、北山杉の丸太そのままの柱である。
床の間の柱には細い北山杉の丸太を使った。木肌のこぶをそのまま残した丸太は野趣にあふれ、空間を引き立てる。床の間に飾られている薄紫の
天井は、駆け込み天井にした。
客側の天井は屋根裏の構造をそのまま見せる化粧天井となっている。傾斜した天井の中央部分に90㎝四方の障子ガラスを埋めた。そこから光が漏れる。突き上げ天井を模した埋め込みの照明だ。まるで天窓が開いて自然光が差し込むように天井から柔らかな光が降り注ぐ。LED電球なので、調光はリモコンで自由自在に操ることが出来る。
手前をする亭主が座る側の天井は平らで、蒲天井である。白く艶のある蒲の莚は、フローリングの朴ノ木とよく合う。化粧天井と蒲天井の間には段差があり、そこにエアコンの吹き出し口を隠した。
朴ノ木のフローリングの中央に、ウォルナットの
シンプルな作りながら、ウォルナットの深い艶と木目を生かした端正なたたずまいだ。駒子の祖母の代から使われているという鉄の茶釜や柄杓、水差しといった茶道具が乗っていても、年月の差を感じない。
美葉の心臓が大きくはねた。
「……これは、知らんかったらアンティークのものやと思ぅてまうね。シンプルながら、すきのない仕事や。」
涼真の声が遠くにあるように感じる。
柔らかな艶からあふれるぬくもり。
「アンティークは、最初からアンティークやったわけではありません。最初はどれも新品です。ただ、しっかりとした作りと作り手の愛情が大切にされ、人から人へ受け継がれ、自然に時間を経てアンティークと呼ばれるものになったんです。」
駒子の声が聞こえた。
給仕口といわれる亭主専用の入り口から、杖をついた駒子が現れた。
「この立礼卓は、いずれアンティークと呼ばれるものになるでしょう。そして、美葉さんが愛情込めて作ってくれはったこの茶室も、時を超えて後世に伝えられていくはずです。」
駒子が初めて投げてくれた誉め言葉を聞いている余裕はなかった。
吸い寄せられるように、立礼卓へ向かう。天板に手を滑らせる。その滑らかな感触を、手が覚えている。
かがんで、卓の内側をのぞき込んだ。
絶対にある。そう確信していた。
四つ葉のクローバーを捧げ持つ小人の焼き印。その下に書かれているのは。
――手作り家具工房 樹々。
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