のえるの交渉技術-2
篠田は表面上はにこやかに、しかし明らかに立腹して席を立った。
のえるは黙ったまま、一気にアイスコーヒーを飲みほした。のえるは篠田がいなくなってもなお、怒りの塊になっていた。
一体、何にそれほど怒らなければならなかったのだろう。篠田はプロとしてまっとうな意見を言ったに過ぎない。
天然パーマの分厚い前髪で顔半分を隠している、女性よりも背の低い男は誰が見ても気持ちが悪い。ステージにそんな男が鳴らすドラムだけがあり、モデル顔負けの美しい女性がその前に立って歌う。それは、奇妙な光景だ。しかも、生音はドラムだけで、後は打ち込みの演奏。
そんなライブを、誰が見に来るんだ。
沈黙が流れる。
店内にBGMはかかっておらず、ざわざわとした喧騒と食器がぶつかり合う音だけが聞こえる。
のえるの上にかぶさっていた怒りが徐々に収まっていく気配は、肩のあたりに感じていた。
やがてのえるは、一つため息をついた。
「……ごめん。」
のえるが頼りない声で謝った。
こんな小さな声は、のえるに似合わないと陽汰は思う。そう思いながら、のえるの顔を見る事が出来ない。
「私、だめでしょ。人と折り合うことができないんだよね、昔から。」
陽汰は、小さく首を横に振った。
自分こそ、申し訳ない。傍観者のままでいて。そう、心の中で呟いた。その気持ちを伝えられないことがもどかしい。
「テンパっちゃってさ。きっと怒らせたよね。この話、無くなったら私のせいだね。陽汰に偉そうに言っておいて、御免ね。」
テンパる。のえるが。
陽汰は困惑した。
いつも堂々としているのえるでも、テンパることがあるんだ。
そして、あらためて申し訳ないと思う。交渉事が苦手なのえるに、すべてを任せてしまった。
のえるがサポートメンバーを入れたがらないのは自分のせいなのでは無いだろうか。サポートメンバーとはいえ、一つの音楽を他人と作るということは、かなり濃密な意見交換が必要だと思われる。そんなことは、自分には出来ない。のえるはその事を分かって避けてくれたのでは無いだろうか。
篠田のいうとおり、自分が裏方に回りのえるだけが全面にでる方がいいと思う。のえるがそうしないのは、きっと自分を表舞台に立たせて社会に顔を向けさせようとしているからなのだろう。
自分のせいで、のえるに負担をかけている。
陽汰は今ほど自分の病を疎ましく思ったことはなかった。
人前で動かなくなる頭も、ぴたりとくっついてしまう気道も、重たく重なってしまう唇も。
「……ごめん。」
陽汰は、かすかな声で精いっぱいの一言を伝えた。
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