節子ばあちゃんのカレーライス-3
瑠璃がジャガイモの皮をむき、佳音は玉ねぎを切る。波子はシンクでレタスをちぎっていた。
「ばあちゃんのカレーってさ、再現できないよね。」
皮むき器でジャガイモの芽を取りながら瑠璃が言う。森山家の女性はみんな色が白くてふくよかで程よくカールした天然パーマ。瑠璃は長く伸ばした髪を後ろで一つに縛っていた。
「そうなんだよね。どうやってもなんか、一味足りないというか……。」
背中で母が答える。
「どんな隠し味を使ってたのかな。」
佳音も思い当たる節がある。節子の作るカレーは、コクがあって味に深みがある。使うルーは決まっているので同じものを使うが、どうしても節子の作るカレーと同じ味にならない。
芋団子もそうだ。誰が作っても同じ味になりそうなものが、節子が作る味にはならない。
一度でも、作っているところをちゃんと見ておけばよかった。
佳音は深い後悔の念を抱いた。
大切なものは、失ってから気付くといつか聞いたことがある。古い歌の歌詞だったかもしれない。
ふと、佳音の脳裏に包丁を持つ節子の手が浮かんだ。
佳音は、テーブルの向こうで車いすに座る節子に視線を移した。もしかしたら、まだできるかもしれない。
佳音は、まな板を節子の前に置き、半分に切った玉ねぎをその上に置いた。
節子の右側に立ち、膝をついて視線を合わせる。
「節子ばあちゃん、カレー食べたいな。」
節子は佳音のほうに顔を向け、にっこりと笑う。
「カレーかい?」
小さくしわがれた声が答え、節子の手が玉ねぎのほうに伸びる。佳音は、玉ねぎの横に包丁を置いた。
「危ない!」
瑠璃が声を上げた。佳音は唇の前に人差し指を立てる。
節子が包丁を持った。その手は、いつもみんなに料理をふるまっていたころと変わらない形をしている。
トントントン。
小気味良いリズムでまな板が鳴る。玉ねぎが等間隔に刻まれていく。
瑠璃と波子は驚いた顔を節子に向けていた。
手続き記憶というものがある。
顔を洗ったり着替えをしたりといった毎日繰り返される動作や、自転車に乗ることや編み物など習得してから無意識にできるようになった動作。この動作の記憶は小脳に刻まれる。認知症になり大脳の機能が衰えても、小脳に刻まれた手続き記憶は残っていることが多い。調理も、この手続き記憶に含まれる。
佳音はカセットコンロをちゃぶ台の上に置き、大なべを上に置いた。節子の車いすを押して、ちゃぶ台の前に連れていく。
鍋を火にかけてみじん切りにしたにんにくを入れ、サラダ油を入れる。節子は木べらを手にして、にんにくを炒め始めた。ぷーんとにんにくの香ばしい香りが広がる。
いつの間にか、紫苑と紀夫、そして瑠璃の子供たちが集まって少し離れた場所から節子を見つめている。
佳音は鍋に大量の玉ねぎを入れた。節子は力強くその玉ねぎを炒めていく。
波子が、エプロンで目のあたりをぬぐった。
玉ねぎがしんなりしたところで豚肉を入れようとまな板を鍋に近づけた。
「まだ……。」
節子が言う。
「まだ、入れちゃダメ?」
「だめだね。」
佳音の問いに節子が答える。
「カレーは、玉ねぎをうんと炒めないと。」
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