四つ葉の紫露草-2

 二十分後、駒子は若い女性作業療法士に伴われ、杖歩行で戻ってきた。背筋がピンと伸びて、まっすぐ前を見ている。麻痺をしている右足をぶん回すようにして前に出しているが、しっかりと足が上がっていて躓くような不安を感じさせない。


 「駒子さん、すごい回復ぶり!」

 「そやろ。」


 美葉が拍手で迎えると、駒子はいたずらっぽっく上目遣いで美葉を見た。

 ベッドに腰を下ろし、失礼、と言って例のBCAAを飲む。


 床頭台の上に、今日も四つ葉の紫詰草が飾られている。


 紫詰草は、家具職人の手土産なのだという。自分の工房の敷地に咲いているものを摘んできてくれるそうだ。紫詰草は都心部ではあまり見かけない。工房は山の中にあるのだろうか。立礼卓を作った職人とは直接顔を合わせていないが、頻繁に駒子とはやり取りをしているようだ。


 「家具職人さん、駒子さんが車いすがいらなくなりそうって知っています?」

 「もちろん。この前訪ねてきてくれはった時に、確認しましたよ。それで、退院までにもう一つ通常の立礼卓を作ってもらうことになったんです。リハビリの先生方とも、細かくやり取りしてくれはったみたいで。本当ほんまにようできた方。」

 駒子が人をほめるのは珍しい。というか、自分はまだ一度も褒められたことがない。


 駒子は飲み干したBCAAの紙パックを足元のごみ箱に右手で捨てた。


 「手も動くようになられましたね。お点前も右手でできるようになりそうですか?」


 美葉の問いに駒子は頭を上げ、得意げに頷いた。

 「その為に猛特訓中です。麻痺している右手で使いやすいように作ってもらっているから、がんばらんとね。」


 「そんな細かいところまで気を使ってくれているんですね。その職人さん。」

 「ええ。本当は一遍納品してもろうたんです。外泊の時に見せてもらった立礼卓があまりにも素晴らしくてね。これ、車いすで使うの嫌やと思ったの。何とか歩いて皆さんをお迎えして、きちんと右手でお点前したいと思ってね。そしたら、闘志がこう、むくむくと湧いてきて。リハビリへの意欲が沸き上がったのよ。」

 「それで、こんなに劇的に回復したんですね。」

 「そうなんよ。」

 駒子はうなづいた。


 すごいなぁ、とつくづく感心する。


 駒子のしぼんだ心に命を吹き込んだ立礼卓。勝手に描いた人物像は、白髪の温厚そうな家具職人だ。熟練の職人が、駒子に寄り添って人生を豊かにした。そんな仕事をする職人が京都にもいたのかと思う。


 「なかなか、お会いすることができないのですけど、一度ご挨拶をしたいです、その職人さんと。またお仕事をご一緒したいな。」


 思わず呟くと、駒子はこくりとうなづいた。


 「退院したら、今回茶室のリフォームに関わってくれはった皆さんをお招きしてお茶会をしようと思うてます。もちろん、美葉さん、あんたも呼ぶし、家具職人さんも呼びましょう。」

 「やった!」


 美葉は思わず拍手をした。はしたない、ととがめるような眼を駒子が向けてくる。慌てて、手を止めた。


 「茶室は、家具のように簡単に作り変えることができなくてすいません。すっかり車いす仕様で作ってしまいましたが、どこかここだけは修正してほしいということはありますか?」

 車いす仕様にするため土壁にしたり、壁を薄くしたりして床面積を広げた。躙り口の形も通常のものと全く違う形になった。


 駒子は静かに首を横に振った。


 「茶室は現状のままで結構。今回私は車いすがいらん位まで回復することができましたけど、これから仲間の誰が同じような目に合うかわからへん。


 私、今回病気になって改めて心の糧というものがいかに大事か知りました。もう、自分の人生そのものというべきお点前ができへんと思うたら、目の前が真っ暗になりましたよ。こんな、半身不随の体になって、生き延びても仕方ない。いっそ助からんかったらよかったのにとあんたと涼真さんを恨みがましく思ったこともありました。


 立礼卓を使うてまでお点前するのも嫌でした。でも、職人さんが提案してくれた立礼卓は風格があって素晴らしく、使ってみたいと素直に心が動いたんです。それから、生きる気力がわいてきました。


 もし、仲間が病に倒れて自分と同じような目にあったとしても、茶の道をあきらめる必要はない、うちの茶室に来てもらえたら、車いすでもお点前ができると伝えることができるでしょう。そやから、今の車いすの仕様の茶室がええんです。」


 駒子の力強い言葉に口元がにやけてしまう。


 「駒子さんがお元気になられて、本当に良かった。もうすぐ退院ですよね。退院したら、またしごいてくださいね。」


 駒子はきっと眉をしかめた。


 「しごくやなんて、人聞き悪い。あんたには、まだまだ礼儀作法を仕込まんとあきませんね。」


 美葉は思わず首をすくめた。

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