みんなに守られている
みんなに守られている-1
母は、泣きながら抱きしめてくれた。
正座をした足のしびれが和らいで血流が戻るように、少しずつ視界は色彩を取り戻し、絵空事のようだった世界が現実の物と感じられるようになってきた。
居間には、送り届けてくれた健太と正人、陽汰に加え、たまたま居合わせた陽汰の兄の悠人もいた。佳音にとって隣人の悠人は実の兄のような存在だ。波子と悠人は、健太からこれまでのいきさつを聴き、衝撃を受けたようだ。
波子は真っ先に、なりふり構わずわが子を抱きしめたのだった。
「心配かけてごめんなさい。」
佳音は波子の肩に額を預けながら言う。久しぶりに自分の声を発したような感覚に戸惑う。
波子の腕に力がこもる。
「あんたが謝る必要ないの。」
そう言って、もう一度ぎゅっと抱きしめてから、体を離して顔をのぞき込んできた。
「いい?佳音は私の宝だよ。どんな佳音だって、すべてが私たちの宝物。」
答えられずにいる佳音に、波子は大きくうなづいた。
「もう、仕事はやめてしまいなさい。そんな男が看護師長をやっている病院なんて、ろくなところじゃない。しばらく家でゆっくり休んでいなさい。」
「でも、そんなことしたら、ほかの人に迷惑がかかる……。」
「ほかの人の迷惑なんて、気にする必要はないよ。今、佳音が生きていることだけが大事なの。」
波子の言葉に、頭が混乱する。突然やめればほかの看護師に迷惑がかかる。それに、もう自分を指導してくる人はいなくなってしまう………。
「看護師になれなくなる……。」
「だったら、ならなくていい。」
つぶやいた言葉に、波子は言葉を被せた。
「蹴ったりぶったりされなければなれない仕事になんて、就く必要がない。」
佳音の身体から全ての力が抜けて行く。
当たり前にあるはずだったものが、ガラガラと崩れて行く。
看護師になる必要がない。そんなことを、考えもしなかった。看護師になれなければ、自分の人生は終わりだと思っていた。だから、必死でしがみついていた。
「佳音。」
波子は佳音の肩を小さくゆすった。
「……今は、とにかく休もう。安全なところで、心を休めて。先のことなんて、考えるのはずっと後でいいの。体と心が元気であれば、どうにだってなるんだから。」
佳音の身体は、自分では思い通りに動かせない程力を失っている。佳音は頷く事も出来ず母の顔を見つめ続けた。
放心状態の佳音の肩を一度ぽんと叩いてから波子は立ち上がった。
テーブルの上に置いてあったスマートフォンを掴み、画面に触れる。
程なく、居間に波子の声が響いた。
「そちらで働いている森山佳音の母ですけど。今日限りで娘はそちらの病院を辞めさせますから。」
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