救出劇-3

 健太の驚く声が肩の横で聞こえる。それよりも大きく、美葉の声が頭の中で響いた。


 『早く一人前になって、正人さんと一緒に樹々じゅじゅで仕事するのを目標に、がんばってる。』


 反射的に、体が動いた。


 「それ、美葉は知ってるの?知らないでしょ?美葉は正人さんと一緒に働くのを目標に、がんばってるんだよ!大体、樹々は正人さん一人で作り上げたものじゃないでしょ!?美葉と二人で作ったものでしょ!?」


 そう怒鳴りながら、正人に詰め寄っていく。


 「それなのに、工房を閉じることを美葉に事後報告で済ませようなんて、おかしいでしょ?まず、相談するべきじゃない。」


 正人がたじろいで後ろずさりし、壁に背中を付けた。佳音は自分の心も体も制御できず、支配されているように声を出し、身体を動かしていた。


 「美葉の気持ちを踏みにじって、勝手に去っていこうとするなんて、許さないから!」


 正人の顔の横に、どんと手をついた。正人の顔が「い!?」とひきつる。


 とたんに、体中に痛みが走り、たまらずにうずくまる。


 「佳音、どうした!?」

 健太の声に、大丈夫だと答えようとした次の瞬間、自分ではない手が痛みのもとに触れた。激痛が走り、体を固くする。


 「ごめんなさい!強すぎました。」


 正人の声が頭の上に聞こえた。


そのあと、ふわりとしたやさしさが、背中に触れた。そこは、小野寺に蹴られ、殴打された場所だった。いくつかの場所に触れた後、手は体を離れた。おもむろに正人が立ち上がる。


「ぅわぁああああああああーーー!!!」


 耳に、空気を切り裂くような叫び声が聞こえた。


 次の瞬間、壁を殴打する音が響く。壁が割れてしまったのでは無いかと思うほど、大きな音だった。


 顔を上げると、正人の横顔が見えた。その顔は真っ赤に染まり、鬼のような形相をしていた。正人はもう一度、腕を振り上げる。その腕を、健太が抱え込んだ。


 「正人!どうした!?商売道具の手が、つぶれるぞ……。」

 正人は体をよじらせて健太の力に抗おうとしていたが、暫くしてもう片方の手の平をバンと壁につき、額をその横につけた。


がん!がん!と額を壁に打ち付ける。そして、額を壁に付けたまま、怒りで震える声が問う。


 「……佳音さん、暴力を、受けているのでは、ないですか……?」


 その言葉に、体が凍り付く。

 健太が青ざめた顔をこちらに向けた。


 「暴力……?」

 「あざがありますね。背中や、お腹、太ももにも。動きにぎこちなさがあったので……。」


 正人の目から、涙が零れ落ちる。膝から崩れるように跪き、両手を佳音の肩に乗せた。


 「一度や二度ではないでしょう?そんなことをするのは、誰なのですか。僕は、許さない。僕らの大事な佳音さんに暴力をふるうなんて、許せません。」

 肩から手が離れ、床にこぶしを打ち付けた。その上に正人の頭が崩れ落ちる。正人が悲鳴のような泣き声を上げる。


 頭が、しびれる。


 この人は、なぜ泣いているのだろう。不思議で仕方がない。

 「暴力じゃない。指導だよ。私があんまり頭が悪いから、痛みを伴わないと、覚えられないから……。」

 正人の横に、健太が膝をつく。

 「佳音……。あいつか?」

 健太の目からも、涙が流れている。


 あれ、と思う。健太は、泣き顔を見られるのが、すごく嫌いだったはず。


 「心配しないで。私は教えてもらってるだけ。頭が悪くて、容量が悪くて、判断が遅くて、ミスが多くて……。


看護師としての資質があまりにも欠けているから、特別に指導してくれているの。そうしてもらわないと、私看護師としてやっていくことはできない。


小野寺さんは、優しい人よ。公私共に支えてくれる。たたいたり蹴ったりするのは、私の能力が低いから。


でも、顔を殴ることは絶対にないの。女性としても、大切にしてくれている……。」


 「洗脳。」 


 ぼそりと、陽汰の声が聞こえた。その後に、女性の声が陽汰が差し出したスマートフォンから聞こえてくる。

 『wikipediaによると、洗脳は強制力を用いてある人の思考を根本的に変えさせること。日本語の洗脳は英語の……。』


 「そうだわ。お前、洗脳されてるんだ。」

 健太はうなづいて、目を見開いた。正人も涙と鼻水でぬれた顔を上げてうなづく。


 「顔を殴らないのは、やさしさではありませんよ。人に暴力をふるっていることを悟られないためです。相手は、暴力をふるうことに慣れています。こうやって、洗脳させて服従させたのは、佳音さん一人ではないはずですよ。」


 頭がしびれて、何も考えられない。

 でも、こんなことをしていたら、小野寺にまた叱られるに決まっている。


 叱られる。


 ――暴力……?


 腹部に、背中に、痛みがよみがえる。体ががくがくと震えだす。その肩を健太の腕がつかんだ。

 「心配すんな。怖がんな。俺たちがついてる。もう二度と、お前に痛い思いはさせない。」


 正人と陽汰が、大きくうなづいた。

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