躙り口は異世界の入り口-3
「異世界への入り口!?」
最近はやりの奴じゃないか。千利休の時代から、人々は現世の世知辛さから逃れ、異世界に癒やしを求めていたと言うことか。
癒やし。
――確かに、茶道の全てが客に対するもてなしであり、癒やしの時間を提供する心と言って良いのだろう。
「この形状にも、意味があります。」
感心しているばかりの美葉に克子は躙り口を開けて見せた。
中に明かりは灯っておらず、薄暗い空間が広がっている。そっと中を覗くと、片引き窓から差し込む陽の光が畳の薄黄緑を照らしていた。
「躙り口を通るために、皆が共通にすることはなんやと思います?」
「窮屈な想い?」
「いや、確かにそうですけど、それは心の中のことで私が伺っているのは身体の姿勢のことです。」
「……頭をぶつけないように気をつけます。」
「まぁ、そうです。ぶつけないためには頭を下げますでしょ。」
躙り口をくぐるときの光景を思い浮かべる。皆正座の姿勢のまま、頭を下げて戸口をくぐる。
「そうですね、頭を下げていますね。」
克子はうんうんと頷いた。
「茶道が発達したのは千利休の時代。それは、室町時代です。千利休は、茶室ではどんな身分の人間でも平等であるという考えを持っていました。その象徴が躙り口です。この小さな入り口をくぐろうと思ったら、お侍さんかて腰の刀を外して、頭を低うして通らんとあかんでしょ?」
「なる程……。」
美葉は心から感心した。
平民であれ、武士であれ、躙り口という不思議な入り口を通れば皆平等である。茶室という異世界では皆平等にもてなされ、癒されるという訳だ。
これをバリアフリー化するには、どうしたらいいのだろう。
でも、未来への可能性があることや、茶室では皆が平等であるという理念は現在でも大切にするべきだし、未来へも伝えていきたい。
この歴史ある庭に、バリアフリーの新築の茶室を作る。
ますます難しいことに感じてしまう。
「美葉さん。」
克子さんが躙り口の戸を閉めながら声を掛けてきた。
「えらい、悩んではるようですけど。」
考えていることがすぐに顔に出てしまうとは、色々な人によく言われる。気付くと思い切り眉間に皺を寄せていた。美葉は恥ずかしくなり照れ笑いを浮かべた。
「ちょっと、怖じ気づいてしまいました。この風流なお庭に似合う新築の茶室を作るって、大変だなって。しかも、車椅子仕様のバリアフリーの茶室。どういう形に仕立てたらいいのか、悩ましいです。」
率直に想いを伝えてみる。克子は美葉の言葉を頷いて聞きいていた。
しばし、お互いに黙って茶室を見つめる。
「
克子が静かに美葉の方を振り返った。
「なにも、怖じ気づくことはないんと違います?」
いたずらっぽい表情で首をかしげてみせる。
「この茶室だって、いつぞやは新築やったんですよ。」
克子の言葉は美葉をはっとさせた。茶室がまだ新しかった頃の姿を思い浮かべる。しかし、そこで気付いたことがあった。
「でも、お庭もまた、新しかったのではないですか?この茶室は、このお庭と共に年をとっていったのでしょう?」
克子は頷いたが、でも、と言葉を継いだ。
「庭は、常に生まれ変わっているんですよ、美葉さん。」
「え?」
美葉は驚いて克子の顔を見た。
「木は育ちすぎたら剪定しますし、枯れたら新しい木と入れ替えます。庭の樹木は生き物です。できるだけ自然にと思いますけれど、メンテナンスを怠ったら荒れてしまいます。置き石も砂利も、時折足したり入れ替えたりしますよ。必要があればね。
……美葉さんは、古いものに負けない物を作ろうとしていませんか?そんなん、どだい無理ですわ。時の流れに勝てるものなんて、ありはしません。」
克子の言葉は新鮮な風を美葉の心に吹かせた。
「美葉さんにはこれから百年先、もう我々がいない世界の人々に、『この茶室は風情があってええね』と言ってもらえる物を作っていただきたいのです。それが、母の願いです。素晴しいものと信じて伝えてきたものを次の世代にも伝えていく。その土台となるべき茶室を作って下さい。」
克子は、静かに頭を下げた。
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