涼真の企み

涼真の企み-1


 駒子を見舞った後、ここのランチが美味しいからと涼真に半ば強引に小さな店に連れて行かれた。早く会社に戻って仕事の続きをしたいのにと思う。


 商店街の中にある、昭和を彷彿とさせる「喫茶店」。


 紺色のオーニングテントに、店の名称が白抜きされていて、ガラス戸にはカレーを捧げ持つドラゴンの絵が描いてある。


 「ここはね、かつめしとドラゴンカレーが有名なんやけど、僕のおすすめは日替わりランチやね。品数が多くてお得。美葉ちゃん、日頃栄養バランス取れてないから、時々こういう定食を食べるとええよ。」


 にこにこと笑顔でメニューを開く。今日のランチはハンバーグとカルパッチョサラダ、牛すじ大根と厚焼き玉子、お味噌汁。確かに品数は多い。


 「栄養バランスは誰よりもバッチリですよ、私。じゃあ、せっかくなんで日替わりランチにします。」


 栄養補助食品と呼ばれるものは、間違いなく栄養バランスが整っている。ただ、飽きるのが難点。涼真は軽く手を挙げて、年配の女性に日替わりランチを二つ注文した。


 「駒子さん、麻痺が残ってしまうかも知れないんですね。」

 病衣を纏い、一気に老け込んだ駒子の姿を思い出す。


 駒子が突然倒れた理由は脳梗塞だった。左脳の大きな動脈が詰まり、右側に麻痺が残る可能性があると言われている。右足を上げることが出来ず、今は車椅子に乗っている。


 「発見が早かったから、本当やったらt-PAっていう血栓を溶かす薬を使って後遺症を残さず治すことが出来るはずやったんやけど、師匠は持病の関係でその薬が使えんかったんやって。


あんな、気落ちしている師匠は、初めて見たわ。」


 手首がほとんど動かず、再び右手でお茶を点てることは難しいと言われたらしい。


「お茶を点てることが出来へんかったら、生きていてもしかたないわ。」


 病室の窓の外をぼんやりと眺めながら、駒子が呟いた。


 そんな駒子を見て、美葉は悲しく、すこし腹立たしく思った。母を早くに亡くした身としては、命があるだけ良いでは無いかと思ってしまう。しかし、命があっても、思うように生きられないなら「いらない」と思ってしまうようだ。折角つなぎ止めた命なのに。


 美葉の母が亡くなったのは、美葉が中学三年生の時だった。


 学校から帰ると、母が倒れていた。父も自分も、なんの前触れもなく、突然大切な人が居なくなってしまった事を受け止めきれずにいた。


 店の仕事や家事をするため、進学校への受験を諦めた。それでも、母と約束した公立大学に通うという目標は捨てなかった。

 心を閉ざし、家業と家事と勉強で時間を埋めていた時に、正人が現れた。

 同様に母を突然失った正人は、美葉の内側に隠れた悲しみに気付き、癒してくれた。


 雨宿りをしていた、林の中の小さな社で。


 思い出に心を奪われていると、ウェイトレスが大きな黒いトレーを運んできた。大きすぎて一度に二つのトレーを運べないようだ。二往復して涼真と美葉の前に日替わりランチを並べた。


 ふっくらとしたハンバーグには、青しそと大根おろしがのっていて、ポン酢がかかっている。わかめと葱の味噌汁に、小鉢。小鉢の中には厚切りの大根と大きな牛すじの塊が入っている。その隣に、ふかふかの卵焼きが添えられていた。


 ハンバーグに箸を入れると、じゅわっと肉汁がこぼれた。口に入れると、肉のうまみが広がる。濃厚なのだが、ポン酢と大根おろしが後味をさっぱりとさせ、次の一口を誘う。


 「美味しー!」


 思わず歓声を上げてしまう。

 くくく、と涼真が笑った。


 「美葉ちゃんは本当ほんま人を元気にさせるなぁ。」

 「そんな。普通に美味しいものを食べて感動しているだけなんですけど。」

 「その、普通の仕草がパワフルで元気もらえるねん。」

 そう言うと、涼真は一口大に切り取ったハンバーグを口に運ぶ。そして、うんうんと頷いた。


 「確かに美味しいなぁ。」

 「でしょ。」

 「なんで美葉ちゃんが自慢すんの?」

 「……なんとなく。」

 涼真と目が会い、思わず笑い合う。


 「美味しいもんを誰かと一緒に食べるのは幸せなことやね。」

 そう言って、涼真は味噌汁を啜った。


 美葉の脳裏に、和夫と正人と一緒に囲む食卓が思い浮かぶ。あの、当たり前にあった時間が今はとても恋しい。そう思いながら美葉は頷いた。


 「好きな人と一緒やったらなおさら。」

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