工房を畳む-2

 工房を畳む。


 今の自分には、その選択以外に進む道は無かった。これ以上家具の注文を受けることはもう出来ない。それどころか、今受けている発注の内容でさえあやふやになっている。


 既に今受けている家具の納期は大幅に遅れており、沢山のクレームが届いている。孝蔵が言うとおり、家具を作れるからと言って、工房を経営できるわけでは無い。その事は身にしみて分かった。


 だが、一度始めたことをやめるのも、なかなか大変な事だと冷静になると分かってきた。


 一番大きな問題がある。


 工房を畳むと言うことを、美葉みよにどう伝えたらいいのだろう。


 そもそも樹々が家具工房として成り立っていたのは美葉のお陰だ。無計画に始めた工房の経営戦略を練り、人が集まる魅力的なショールームを作ったのは高校生の美葉だ。


 手作り家具工房樹々のショールームは、札幌近辺ではドライブやツーリングの立ち寄りスポットとしても、ちょっと名の知れた場所に育っていた。


 廃校になった小学校の体育館。流木の取っ手のドアを開けると、五人掛けの雲の形のテーブルやソファー、カウンターテーブルが並び、木製のキッチンが据えられた空間が広がる。


 木製のキッチンで湯を沸かし、ミルを使ってセルフサービスでコーヒーをいれて飲むことが出来る。珈琲のマグカップは正人のお手製で、樹々の小物商品でもある。飲み終わった後はキッチンで洗い、食器棚に戻すことがルールとなっている。


 リビングのスペースの奥は、ベッドルームになっている。


 シングルサイズのベッドに横たわると、天井にプラネタリウムが映し出される。


 ベッドルームの奥は、キッズスペースだ。勉強机や絵本を飾る本棚、おもちゃが入ったキャビネットがあり、壁はクライミングが出来るようになっている。


 ショールームを訪れた客が、自然に正人の家具を体感できるように工夫が施されている。その上、子供連れの客がゆっくりと家具を体感したり、商談をしたりできるよう子供がのびのびと遊ぶことの出来るスペースまで設けているのだ。


 美葉はこのショールームの設計でスペースデザインに魅了され、その道に進むため木寿屋もことやに就職した。


 木寿屋でスペースデザイナーとして修行した後、樹々に戻って共に仕事をする。去年の夏までは、二人の間に確かにその約束は生きていた。


 今は、どうなのだろう。


 美葉はもう、その気持ちがないのかも知れない。顔を赤くしてうつむく美葉を思い出す。一方的に想いを寄せられて困惑した顔だったとしたら、自分がいなくなることを喜ぶのかもしれない。


 背中に冷たいものが走る。


 落ち着かなくなり、窓際まで歩く。側にあった椅子の背に手を置き、芝生の校庭に目を向ける。


 自分がいなくなることを告げて、ほっと安堵の表情を浮かべる美葉を見てしまったら、もう生きてはいけない。鮮烈にそう思う。


 うつむいて、深く長いため息をついた。


 いっそ、なにも言わずに去ってしまおうか……。

 椅子の背もたれをぎゅっと掴んだ。


 かつてこの椅子の持ち主であったひとの儚いほど細い肩が脳裏に現れて消えた。はっと息を飲み、一瞬浮かんだ自分の思考に愕然とする。


 あれほどあの女を傷付けておきながら、また逃げ道を探している。


 正人は椅子の背から手を離した。しかし、力が入れることができず、だらりと重力に委ねてしまった。


 その時、パソコンからメールの着信を知らせる音が鳴った。


 新しい仕事の依頼ならば断わらなければならない。


 正人は思考を止めてパソコンを開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る