駒子の茶室

駒子の茶室-1

 呆気にとられていると、いつの間にか車を降りた涼真りょうまが助手席ドアを開けた。駐車場の向こうに、和風の庭園に囲まれた平屋の古い建物がある。涼真が「師匠」と呼ぶ駒子こまこという茶道家の茶室だ。


 どうしてここに、と問いかける前に女性の声が涼真を呼んだ。


 数寄屋門すきやもんという格子戸の前に和服姿の老女が立ち、深々と頭を下げている。駒子だ。


 「今日は、無理言うてすいません。早速お越し下さってほんまにありがたいことです。」


 七十を越えていると思われる駒子は小柄ながら姿勢が良く、流石に矍鑠かくしゃくとしている。お稽古の時しか会わないので、着物姿しか知らない。しかし、稽古の無い日にもこうして着物を着ていると言うことは、どうやら着物が普段着であるらしい。


 駒子は木寿屋もことやと縁の深いゼンノーという工務店の社長夫人でもある。ゼンノーは元は寺社大工の集団で、木寿屋は彼らに木材を提供していたという関係なのだそうだ。


 「あら、美葉みよさんも来て下さったの?おおきに。」

 「今日は、駒子さん。」

 美葉は丁寧に頭を下げた。少しでも行儀が悪いと、こっぴどく叱られる。


 でも、なんの用事だろう?問いかけるように涼真を見上げると、あ、と小さく声を上げた。


 「大切な話をしていたら、肝心なこと伝え忘れたな。師匠が茶室を建て替えるので、美葉ちゃんに設計をお願いしようと思ったんや。」


 「茶室ですかぁ?」


 応じた自分の声が頼りない。駒子が鋭い視線を投げてきた。


 「設計を担当してくれはるの、美葉さんやの?涼真さんじゃなく。」

 「ええ、もう僕はデザイナーの座は美葉さんに譲りましたので。」


 駒子は明らかに不満そうな顔をした。


 「茶室には、色々な決まり事があるんですよ。茶道に精通してはる涼真さんやったら、安心してお任せできると思ったんですけど……。」


 分かっているから、声が頼りなくなったのだ。でも、自分も茶道を五年あなたのところで習ったのだと言いたい。


 「改めて、お勉強をさせて下さい。設計をさせていただいたら、きっと茶道の腕も上がると思いますので。」


 両手を身体の前で合せて、頭を下げた。片倉かたくらさんに仕事を押しつけるのもありかな、と思いながら。


 「僕からも、どうぞよろしくお願いいたします。家の看板娘を仕込んでやってくださいな。」

 涼真も隣で頭を下げた。

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