スペースデザイン事業部-3

 去年の夏、年度一杯で会社を辞めて故郷へ帰ろうと思い、その事を社長の涼真りょうまに相談した。


 大学も卒業したし、五年も仕事をして、一通りのことは覚えたつもりだった。


 それに。


『僕には心に決めた人がいますので』


 その言葉を聞いた時、自分の中にずっとあった感情に名前が付いた。


 自分は、正人まさとのことが好きだ。ずっと前から。その事に気付いてしまったのだ。


 あの、皆で放送を見た翌日、正人は新千歳空港まで車で送ってくれた。その道すがら、美葉みよはずっと正人の言葉を待っていた。あの言葉を人伝では無く正人の口から聞きたかった。


『次に帰ってくるのは、シルバーウィークですかね』


 しかし、正人が言ったのはその言葉だった。


 思えば、正人はずっと自分の気持ちを伝えることを先延ばしにしてきた。京都に行くことを勧めたレクサンド記念公園で言葉を濁してからずっと。


 もう、待つのはうんざりだ。自分の気持ちは、決まっている。正人の気持ちも、多分。だったら、なぜ遠回りしなくてはいけないのだろう。自分は正人といたいのだ。修行期間ももう終わりにしても良いくらい、実力が付いたはず。


 それが思い上がりだったのだと、最近思う。


 片倉かたくらに、認められなければ、一人前になったとは言えない。一人前にならなければ、京都に修行に来た意味が無い。でも、早く正人の元に帰りたい。


 だから、受けられる仕事は何でも受ける。数をこなせばそれだけ早く実力が付くはずだ。


 美葉は腹を括り、仕事に専念することを決めた。


「皆さん、おはようございます」


 オフィスのドアが開き、涼真が顔を出した。全員、立ち上がっておはようございます、と頭を下げる。


「スペースデザイン部は少数精鋭の頼もしい部署ですからねー。今日も頑張ってくださいね」

 ブリオーニのスーツをそつなく着こなし、爽やかな笑顔を一人一人に向ける。


「社長、決済お願いします」


 佐緒里さおりが三㎝程厚みのある書類の束を涼真に差し出した。涼真は涼しげな笑顔で受け取り、隅にあった丸椅子を片手で引き寄せて美葉の隣に座った。美葉のデスクの空いている場所でポンポンとシャチハタの印鑑を書類に押していく。


「全く、このはんこ文化、早くなくなったらええのにね」

 美葉に向かって笑いかける。ほんのりと、ネロリの香りがする。微かに甘く、ほろ苦い香り。


 そりゃあ、モテるわ。


 微笑み返しながら、美葉は思う。


 大手企業の令嬢や、歌舞伎役者の娘、モデルやキャビンアテンダント。涼真が女性を連れ歩いている姿が度々目撃されている。三十六歳になる若社長がいつどのような女性と身を固めるのか、見奈美みなみ一恵かずえはよく話をしている。美葉にとっては、どうでも良いことだが。

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