きつねの嫁入り

堀切政人

きつねの嫁入り

 ここへ来るまでの道、清々しく晴れた空から、突然の雨が降ってきた。

『きつねの嫁入り』なんて聞いたことはあるけれど、その意味はよく知らない。ただ、今日が姉ちゃんの結婚式であることから、ふと頭に浮かんだその言葉が、何故か子供の頃のことを思い出させる。

 花嫁衣裳の姉ちゃんは、とても綺麗だ。でも僕は、化粧をしていない素顔でも、十分に綺麗なことを知っている。そんなことを本人に言ったことなどないし、他人が聞けば、シスコンなんて思われそうだから、口にすることなどない。

 僕は姉ちゃんのことが大好きだ。もちろん、恋愛感情のような好きではない。だからといって、友達のことを好むような、好きでもない。けれど、他人の男の隣に座り、家族にも見せたことのない笑顔で見つめ合っている二人には、僅かな嫉妬を覚える。娘を嫁がせる親も、同じような気持ちだろうか……と思うが、父さんは顰めっ面など見せておらず、むしろ微笑ましく思ってるような表情だ。

 僕が小学校二年生の頃に母さんが病気で亡くなってから、父さんは仕事が忙しかったから、三歳年上の姉ちゃんと二人で過ごす時間が多かったからだろうか、大学四年生になった今でも、姉ちゃんに甘える自分が抜け切れていない。成長とともに二人で家にいる時間も少なくなっていたかと思えば、突然に結婚するなんて言い出したから、纏まらない気持ちのまま、今日、ここへ来た。

 そんな僕に姉ちゃんは、親族からのスピーチをしてくれなんて言ってきたから、昨晩は寝る間も削り、ネットの情報を頼りにしながら、話す内容を考えた。

 そして、丁寧な言葉遣いでありながらも、時々笑いを交えて場の空気を和ませている司会者から名前を呼ばれると、僕は席を立ち、思わず右手右足を同時に前へ出してしまいそうなほどに緊張しながら歩いて、マイクの前に立つ。

 話を始める前に新郎新婦の座る席に目を向けると、新郎である丸山さんは、大切な姉ちゃんを横取りされたなんて憎しみを抱けないほど、優しそうな人柄を表情に浮かべて、僕のことを見ている。姉ちゃんは少し心配しているようで、自分が頼んでおきながら、『大丈夫?ちゃんとできる?』なんてことを、目で訴えているように見える。それを見て僕は、『馬鹿にするなよ、姉ちゃん。もう子供じゃないんだよ』なんて思いながら、スピーチの内容を書いた便箋を、ジャケットの内ポケットから取り出そうとしたが、なぜかまた、『きつねの嫁入り』を思い出して、手が止まった。

 あぁ、そうか。僕にとって、きつねの嫁入りの『きつね』とは、あのことだから、思い出すのか……母さんが亡くなってから、姉ちゃんと過ごした中で一番の思い出は、あの時間であり、心残りでもあるのが、その事だと気づいたら、伝えたいことは、文字に起こした堅苦しい定型文ではなく、自分の気持ちなのだと思った。


 丸山さん、お姉さん……あぁ、やっぱり、お姉さんなんて呼んだことないから、ちょっと照れ臭いや。姉ちゃん、ご結婚おめでとうございます。

 姉ちゃんは中学生になってから、料理の腕がみるみると上達したけれど、母さんが亡くなって、父さんも仕事が忙しかったから、小学生の頃は、学校の給食が無い土曜の昼といえば、二人でカップ麺を食べることが、よくありました。特に、姉ちゃんが好きだったのは、『赤いきつね』だったことを、よく覚えています。

 僕は、あの油揚げを全部食べてしまうのが勿体なくて、つゆの染みた油揚げを、しゃぶるようにして、また浸して、それをまたしゃぶって、なんてまねをしていたら、「そんな意地汚い食べ方、やめな!」なんて怒られて、自分の油揚げを、僕の器に入れてくれました。

 あの頃、家で食べていたのは油揚げが一枚の物で、そうすると、姉ちゃんの方は『かけうどん』になってしまうから、それには子供ながらにも気が引けたので、その後から、あの食べ方はやめたけれど、それでも姉ちゃんは、その次も、またその次も、油揚げを僕にくれました。

 それは、断るのも悪いと思わせる優しさで、ならば、油揚げを食べたくないと思わせればいいと考えた僕は、「きつねは飽きたから、たぬきがいい」なんて嘘をつくと、次の土曜日には『緑のたぬき』を買ってきてくれました。

 うどん好きの姉ちゃんは、いつものように『赤いきつね』で、そんな姉ちゃんのうどんに、今度は僕が天ぷらを入れてあげたいと思って、つゆに浸さず取っていると、「また、意地汚い食べ方しようと思っているんでしょ!」なんて言われたから、僕も素直にはなれなくて、「ちがうよ、後で入れた方がおいしいんだもんね!」なんて言い訳をしたけれど、姉ちゃんは「普通に食べな」と言いながら、また油揚げをくれたので、結局、僕の考えは浅知恵どころか、天ぷらも油揚げも食べられる、ずる賢さのようになっていました。だから、この場を借りて伝えたいと思います。あの時は、ありがとう。そして、ごめんなさい。

 そんな姉ちゃんなので、僕から丸山さんにお願いすることは、どうか姉ちゃんに、具の無いうどんを食べさせるような人には、ならないでください。姉ちゃんには、僕みたいな男ではなく、ちゃんと油揚げのある、いや、これからは、油揚げが二枚入っているうどんを一緒に食べられるような人と、幸せな家庭を築いてほしいです。


 思いのまま言ったことに、丸山さんは大きく頷いていて、その隣の姉ちゃんは、微笑んだ顔に涙を浮かばせた目で、僕を見ていた。

 その涙を見ると、外は今も、晴れた空に雨が降っているだろうか……なんてことを思わされたけど、『きつねの嫁入り』のことはよく知らなくて、僕が『きつね』と聞いて思い浮かぶのは、大好きな姉ちゃんがくれた、あの頃の油揚げのことだった。

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きつねの嫁入り 堀切政人 @horikiri

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