第5話 ささやかな疑惑


 紗香さやかは小さい頃からよく転んだ。何もない平らな道でも転ぶ。運動神経に恵まれなかったこともあるが、転ぶのは大抵考え事に夢中になっている時だった。

 今日もりくの姿が頭から離れてくれなくて、歩きながら彼のことばかり考えていた。


(あたし、泣き虫だったっけ?)


 帰宅して自分の部屋に戻ると、紗香はケインの呟きを思い出した。

『紗香は泣き虫だなぁ』と彼は言ったのだ。


(あたし、我慢強い子だったよね?)


 外で転んでも泣いた記憶はない。意地悪された時だって、その場では必死に我慢して後でこっそり泣いた。その事を知っているのは、お隣に住んでいた彼くらいだ。



「紗香、夕飯食べなかったからお腹空いたろ?」

 ケインが部屋に入って来た。彼は一口大に切ったリンゴの皿を手にしている。

 紗香はベッドの上で膝を抱え、泣き過ぎて腫れぼったくなった目を彼に向けた。


「お腹空いてない」

「少しでも何か食べないと体に悪いぞ。おまえ、昨日も夕飯食べてないだろ」

「朝と昼は食べたよ。大丈夫だからほっといて!」


 枕を投げつけても、ケインは余裕でキャッチする。それどころか枕を紗香に投げ返し、そのままベッドの上に乗って来る。


「ほら、口を開けろ」

 フォークに刺したリンゴを、怖い目つきで差し出して来る。

「だからいらないって……むぐっ」

 口を開いた瞬間に、リンゴが投入された。

「ほら、よく嚙め」

 ケインの手には二切れ目のリンゴが準備されている。


 仕方なく、紗香はリンゴを咀嚼した。シャクシャクと嚙み砕きながら、目の前のアンドロイドをじっと見つめる。

「ねぇケイン……むぐっ」

 リンゴを飲み込んでやっと口を開いたら、二切れ目をねじ込まれた。

「ちゃんと食べないと。俺は何を聞かれても答えないぞ」


 もぐもぐしている間に、ケインは怖い顔でそんな事を言う。まるで何を聞かれるか、わかっているみたいだ。


 ならば、と紗香は自ら進んで残りのリンゴを食べた。皿を抱え、シャクシャクと噛み砕きながら目の前のケインを見つめる。

 自分の考えが、あまりにも荒唐無稽で馬鹿らしい事だとはわかっている。でも、確かめずにはいられないのだ。

 もくもくとリンゴを食べる紗香の頭を、ケインの手が優しく撫ではじめる。紗香が最後の一切れを口に入れた途端、むぎゅっと抱きしめられた。


「今日は疲れただろう。もう、あいつのことは考えないで、少し休め」

 最後のリンゴがまだ口の中にあって、紗香はしゃべれない。

 必死にもぐもぐしている間に、ケインの着ているセーターが温もってきて、瞼がトロンとしてくる。


「ケイン……正直に話して……ケインは、陸兄りくにい……な、の?」

 必死に紡いだ言葉の答えを、紗香は聞くことが出来なかった。

  

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